2019年06月15日

玉子焼きの儀式

土曜日の私です。今日はちょっと早め。家事がうまいこと片付いたので時間ができたのです。
今日は朝のルーティンのお話。

月曜日から土曜日まで、朝欠かさずやっていること。私が現在地で働くようになってからの平日の日課で、同居人が働き始めてからは土曜日もやっていること。
それが玉子焼きをつくることです。お弁当用の。
お昼のためにお弁当を作るのは、職場周りにお店が少なくて、バスが遅れたり天気が悪かったりしてお昼を買いそびれるとちょっと面倒だからです。お小遣いもできればとっておきたいし。
前の日の夜に用意しておいたおかず、ご飯にふりかけや菜っ葉や梅干しなどで彩り、そして必ず朝に玉子焼きを作ります。我が家のは甘いやつ。
使う卵は大きめの一個。醤油と砂糖を入れて混ぜて焼く、それだけのものですが、朝の支度を機嫌よく始めるには重要なものです。
きちんと火を通して、丸々太ったきれいな焦げ目の玉子焼きができたら、やっぱり気持ちが良いもの。
上手に焼けたら、フライパンからおろして、八つに切り分け。二つのお弁当箱に四つずつ詰めます。
私か同居人のどちらかが休みのときは、お弁当にする分を少し大きめに切って入れます。小さい物、端っこは家にいる方が食べます。
ときどき海苔や大葉や葱を入れて、そういうときはお昼がより楽しみになります。
この玉子焼きの儀式をやることで、一日を過ごすための気力をはかったりためたりしているのです。
あとね、お弁当をちょっと美味しそうに作っておくことで、働く同居人を応援してもいるんですよ。

起きて顔を洗ったら、お弁当を作って。そのあいだに同居人が起きて来て支度を始める。
お弁当ができたら朝ごはんを用意して、トーストが焼けるまでに着替えてしまう。
朝ごはんのあとは使った食器を洗って、それからまた自分の支度。冷めたお弁当を包んでから、夕飯のためにお米を仕掛ける。
土曜日は私がお休みなので、朝食用にもう一つ卵を焼きます。そして自分の支度が終わったら家事開始。
やることがあらかじめ決まっていて、その通りにできるほうが、私は気持ちが良いです。
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2019年06月08日

飲んだり食べたり

土曜お昼の私です。本日の昼食はパン屋さんのチキンサンドとコーヒー。
チョココロネ食べたいんですが、最寄りのパン屋さんにはないんですよね。少し遠出したら、市内にコロネの専門店があるらしいんですけど。
今度パン屋さんランチ遠征しようかな。

先週、近所の珈琲店に行ってきました。色々な種類のコーヒー豆を販売していて、店内飲食メニューがコーヒー各種とトーストだけのお店。
マスターがとても明るく気さくな方で、常連さんと仲良くお喋りされている。通りに面している広々としたおひとり様席で、書きものをしながらとても美味しいコーヒーをいただきました。
手元のこととコーヒーの味のことしか考えない、穏やかな時間。店を出てから、来る前に抱えていた疲労感やマイナスな感情を一切忘れていたことに気がつきました。ほんの一時間弱だったけれど、気持ちがすごく楽でした。
あの香ばしくてちょっと甘いコーヒーがまた飲みたい。豆を買ってくるのもいいな。お店で飲むのが一番美味しいだろうけれど。
先月行ったカフェで、選ばせてもらったカップで飲んだコーヒーも、ちょっとフルーティーで美味しかったなあ。コーヒーではないけれど、まだ行っていないカフェバーのメニューにチャイがあるのも気になる。
美味しいものを贅沢にとって、日々ちょっとずつ積もってしまうあれこれを小さくして忘れてしまいたいものです。

とはいえ、私も生活と将来がありますので。そうそう贅沢ばかりしていられないのが現実です。
今は同居人と二人で折半していますけれど、これからどうなるかはわかりませんし、貯蓄もしなければ。なので。
自宅で美味しいものをちょっと贅沢っぽく食べることも日々の課題です。
トマトのパックが安いときにはトマトソースをたくさん作って、冷凍保存しておくとか。週に一度は魚を食べたいので、一尾まるっと買ってきて自分でさばくとか。こういうのは作業も楽しい。
同居人も私も料理することが苦にならないタイプで、その点は得です。
あとは、お菓子作りの道具や材料を思い切って揃えられたらいいんですけどね。そこまではまだ余裕が足りない。私が揃えたら、同居人が作ってくれると思うんですけど。お菓子は圧倒的に同居人のほうが上手です。なぜなら私は大雑把すぎるので。
鍋を新調して、油の処理を面倒がらなくなったら、揚げ物もちゃんとやりたいです。

今年は5月の時点で真夏以上の暑さになり、今も7月並の気温の日が続いています。おかげでアイスの買い食いが増えてしまって。私個人ではお酒も。ちょっとなにか他の美味しい涼み方を考えるべきかな。
同居人が冷たい麺をそんなに好きではないので、それ以外のもので。
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2019年06月01日

しゃかりきお仕事のおとも

土曜のお昼の私です。お休みの人も、しゃかりき頑張ってる人も、お疲れさまです!
いつもはパン屋さんで買ってきたパンを、お茶を飲みながらいただいてお昼ご飯にしているのですが、今日は梅おむすびを握って、残りの玉子焼きとカップ麺と一緒に食べています。
カップ麺はめったに食べないんですけれど、セイコーマートの山わさび塩ラーメンを食べてみたくなったので。リニューアル前のはそんなにわさびの刺激がきつくない……のかな? 美味しいですよ。
夜は焼きそばの予定なので麺ばっかり。同居人がいないとこんなものです。


さて、本日はお仕事のときの話です。
平日は働いています。土日祝はお休みです。デスクワークで肩がごりごりにこりますが、楽しくやっています。
楽しくても頑張れば体力と精神力はだんだん削られていきます。そんな日々の労働を支えてなんとか金曜日の退勤までもたせてくれる、私のお仕事のおともを紹介します。

・持参したお茶
紅茶、緑茶、ほうじ茶、ルイボス茶などをポットに入れて持っていきます。
ポットは今の仕事を始める直前、昨年の1月に買ったものなのですが、偶然それっぽい色合いだったので、現在は机の上に置いているのを見るたびにしみじみと「ルパンレッドだなあ」って思っています。でも蓋を開けるとき、心の中でこっそり叫ぶのは「本能覚醒!」だったりします。あの回すアクション。
そうやって遊んでるとちょっとテンション上がります。
お茶は朝の気分によって、手持ちから好きなものを淹れていきます。冬は温かいお茶を持っていきたいので、朝の支度としてお湯を沸かすのが儀式。夏は前の日の晩に、ハンディクーラーに水出しで作っておきます。ポットのおかげで温かさも冷たさも結構長続きします。
お気に入りのお茶はルピシアさんで買っています。街に遊びに行ったついでにお店に行って、好きなもの気になるものを選ぶのが楽しい。

・コーヒー
会社の備品。これがとても助かります。自分でお茶を持っていってるのに、コーヒーも貰います。
業務中は延々とディスプレイに向かって同じ仕事をしたり、書類を長時間眺めたりするもので、眠気との戦いになるんです。特に私の場合それが深刻な問題で。
コーヒーを飲んで目を覚ますというよりは、その過程が大事です。
まずコーヒーをとりに行く。そのために立ち歩くことで、少し気分転換になります。
自席に戻って、コーヒーの湯気で目を潤す。目が乾いていることも眠気の原因っぽいので、蒸気を当てます。猫舌なのでコーヒーを冷ますのに吹く、そのついでにやります。傍から見たらめっちゃ吹いてる人です。
最後に、コーヒーを飲む。やや熱いうちに、一気に流し込みます。熱さと苦みで、またちょっと覚醒します。
そうやって眠気をごまかしごまかしお仕事をするわけです。

・飴
頭使うので糖分を補給します。お仕事しながら口に入れられるので、飴はかなり重宝。
私は徒歩圏内にあるカルディで買います。面白い飴を何種類か買って、毎日2〜3個ずつ舐めます。
最近のお気に入りはこちら
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あんこ飴です。薄い飴にあんこが入ってます。手軽に和菓子っぽい味を楽しめるのが良いです。あとこのシリーズ並べるとすごくパトレンジャー感がある。和菓子っぽいし。
ロングヒットはレモンの季節になると店頭に出る、「瀬戸内檸檬ソフトキャンディ」です。前職からずっとお世話になっていて、今年もカルディ限定のグリーンレモンのをストックしてあります。通常のもとても好き。取り寄せて一年中食べたい。やろうかな。
チョコミントキャンディや、辛い生姜飴、唐芋飴などもよく買ってきます。眠気覚ましも兼ねてますね。

・チョコレート
ごくまれに。通勤中にエネルギー不足を感じたときに、途中で買うか、会社の自販機で買います。
通勤の距離と時間が長いので、到着する頃にばててしまうことがあるんです。それだと仕事にならないので、着いてすぐに口に放り込みます。
業務中もやけにお腹が空いたり、ちょっと難しいものに取り組んで頭をフル回転させたときなどに、飴よりチョコレートを欲するときがあります。
溶けて手につくとキーボードを打てなくなるのが難点。

・ノート
教わったことや覚えておきたいことが書いてあるスーパーメモ。
……のはずが、休憩中のらくがきとか、ラジオから得た行ってみたいお店の情報とか、買い物メモとかがあったりします。
直に書けるものがあると落ち着きますね。

・ラジオ
地元局の番組が事務所でかかっています。眠気対策と時報がわりなのかしら。
番組がとても面白いのと、平日にラジオを聴く習慣がついたことで昨年9月の地震と停電の際に助かりました。テレビもパソコンもだめ、スマホは貴重、というときにあらかじめ充電してあったウォークマンでFMを聴いて情報を得ていました。
普段は仕事をしながら、投稿などに心の中で相槌を打ったりつっこんだりしています。仕事しよう。

・本
通勤バスで読む用。家でゆっくり読書ができないので、長い通勤時間を利用しています。
わりと泣いたり笑ったりしているので、怪しい人かもしれない。


遊んだり食べたりしてばっかりでお仕事を真面目にしているのか怪しいところですが、一応頑張っています。
日々に楽しみを持たないと、あまりの役立たずっぷりに落ち込むばっかりになってしまいますし。いや、少しはできるようになったかな。なってるといいな。
人と関わるのが得意ではないので、上手にストレスを和らげるようにしていかないと。それができるようになってきたのは良いことですね。自分にも周りにも。
今年も早いもので、まもなく折り返し。あと半年ちょっと、しゃかりき頑張っていきたいものです。
posted by 外都ユウマ at 13:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月25日

ライブ奔走(無理のない程度)

土曜日の日記、二週間ほど空きました。書ける時に好きに書くものですし、このお喋りに付き合ってくれる人もそういらっしゃらないと思うので、適当に書いたり書かなかったりしていきたいと思います。
本日は久しぶりのひとり。先週は同居人と楽しい時間を過ごし、先々週は最寄りのショッピングセンターに遊びに行っていたので、特に何も用事のない状態でひとりで部屋にいる日は随分となかったような。買い出しとかはあるんですけどね。この後も日用品の補充をしなければなりませんし。
夕方からは台所で色々作りたいですね。トマトがパックで安かったから、トマトソースをこしらえたり。明日は同居人と出かけるので、夕飯になるように鮭を焼き漬けにしたり。もちろん今日の晩御飯も。暑いから、冷たいうどんに肉味噌と薬味をのっけて食べようかな。
昨夜も、今朝食べるためのフレンチトーストを仕込んだり、暑い予報だからアイスコーヒーが飲みたいと思って淹れておいたりするのが楽しかったので、こういう「あとのお楽しみ」みたいなものを用意するのが好きなんでしょうね。


さて、「お楽しみ」といえば。
私が今の巣に越してきてから、一年半。ここでの暢気な生活は上記の通りめいっぱい楽しんでいます。
加えて、こっちに来ることであちこち足を運べるようになったのが、市内や東京都。コンサートや舞台演劇を、地元にいた時よりも気軽に観に行けることで、心がかなり潤っています。
地元にいた頃は、時間もお金もないしと思って諦めることが当たり前でした。北国の辺境からだと交通費が大きいんです。今でも内地に行こうと思ったらそれなりにしますけれど。でも使える交通機関の幅が広がったら、ちょっと余裕のある計画が立てられるんですよね。
行けるんだ、じゃあ行こう、という気になったのは、昨年2月に内地に遊びに行ったのが大きなきっかけでした。同居人がライブに行くので、現地でチケットと宿泊地を用意してくれていた身内を頼って飛んだのでした。私は飛行機の手配担当。
ライブは身内と同居人しかいけないので、私はそのとき都内の行ってみたかったビアバーで飲んでたんですけどね。
思ったよりも移動は簡単、ということに味を占め、その後再び同居人の好きな俳優さんのお芝居を観るため、私がヒーローショーを観たかったため同居人を道連れにして、という具合に東京との往復に慣れていったのが昨年。
市内だと、小劇場でやっているお芝居を私ひとりで観に行ったり、友人に声をかけてもらって規模の大きな舞台やイベントに行ったり。とても楽しい思いをしました。

今年最初のライブは2月。昨年末のうちに、自分の誕生日の近く(祝日があるのでタイミングが良いと連休になるんです)の日程を狙って抽選に申し込んでいたんです。
東京ドームシティシアターGロッソでやっていたヒーローショー。「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」の第5弾。第4弾が昨年の秋に同居人を連行していったときのですね。素顔の戦士特別公演です。テレビシリーズで活躍している俳優さんを観られるのです。
Gロ第5弾は千秋楽も申し込んでいたんですけど、さすがにご用意されませんでしたね。超人気で。当選した2月10日は、ちょうど本編最終回の放送日だったので、それはそれでいいタイミングだったんですけれど。
2月は同居人の都合がつかなかったので、ひとりで行きました。チケットの申し込みから当選、交通機関と宿の手配など準備するのが楽しかった。全部自分だけのためにやるので、贅沢していいところは贅沢して。出発当日の現地が悪天候で飛行機の出発が危ぶまれましたが、空港で遊んでたらなんとか飛びました。
Gロッソのヒーローショーは舞台設備とそれをフル活用したアクションがめちゃめちゃかっこいいんですよね。特別公演じゃなくてもきっと大満足。第5弾のレッド様は本家本元だしな。入場のときに1号さんと握手できたのも良い思い出。しばらく手が震えていた。さらにとても良い席が当たったおかげで、素顔の俳優さんたちがよく見えること。

東京まで飛ばないと見られなかったヒーローショーですが、本編とGロッソ公演終了後のファイナルライブツアーは札幌も来てくれるんですよね。あの俳優さんたちが北海道まで来てくれるめったにないイベントですから、当然申し込みました。そしてまたとても良い席で観られることに。
今度は同居人も一緒に。ふたりでキャーキャーしてました。本編最終話から続くお芝居も、トークショーと歌も、席運が発揮されたおかげで俳優さんたちとハイタッチができたことも、最高でした。推し役者に触れられるって奇跡よね。
3月のこのライブをめいっぱい楽しんで、生で観られる素晴らしさを確認した私たちが次に臨んだのは。

時は少し遡り、1月。私は男性アイドルグループのファンクラブに入会しましたが、その翌日に彼らは活動休止を発表しました。私はいつもタイミング悪いんですよ、好きになったアーティストが直後に引退したこともありましたからね。
彼らの熱烈なファンで当然のことながら大ショックを受けた同居人を、私はこの後3月の私が楽しいライブに連れて行こうとしていたわけです。
今、ちょうど彼らはライブツアー中ですよね。もとよりこのツアーには申し込む予定でした。同居人のためにも絶対に、札幌公演に行けるようにしたい。当落が3月頭なので、これでだめだったら失意の同居人を自分の楽しみのために引っ張っていくことになる。それはさすがに惨い。
はらはらしながら迎えた3月、当落発表の日のお昼に職場でメールを確認しました。そしてその結果を同居人に報せました。そして終業後、お祝いのケーキを買って帰りました。
平日の北海道、他の地域よりもちょっとだけチケットとりやすいらしいんですよ。ほんのちょっとだけね。入会したてのくせにって怒られそうですが。今回ファンクラブ会員限定だったから余計に。
というわけで先週、ライブコンサートに同居人と行って参りました。初めて札幌ドームに用事があって行ったんですよ。中学生のとき修学旅行で見学はしたけれど、当時は大して興味なかったしなあ。大きいですねドーム。いつも外観は見えてるんですけど、改めて。
普通にインテリアとして置いておけそうなデザインのライト(演出のために通信で光らせるようになってるので接続設定だけすればいいから楽)を、誰もが知ってる曲に合わせて振って。円盤で予習してたコール&レスポンスができて。彼らのめちゃくちゃかっこいいパフォーマンスを観て聴いて。プロの仕事ってかっこいいなあ、それが生で観られるのは幸せなことだなあとしみじみ思いました。


内地在住の身内が、音楽が好きでライブにもよく行っているのですが。通う気持ちがわかりますよね、実際に行くと。北海道からだと金銭、時間、体力の問題でそう頻繁には通えないんですが、生のものに触れるって楽しいです。
2月は市内でお芝居も観たんですよね。友人が声をかけてくれて、チケットも手配してくれたんです。毎度かなり楽をさせてもらっています。ありがたい。
現場に行くと、音を全身で感じられたり、その場限りその瞬間しか観られない聴けないことを体験できたりするのが良いですね。もっと色々行ってみたいなあ。音楽やお芝居もそうだけど、スポーツ観戦も興味が少し出てきています。
ただし、生活がちゃんとできる範囲内で。ここぞというときに動けるように、日ごろから身の回りのことをきちんと片づけておかないと。
現時点で、年内の予定はあと9月と11月。
posted by 外都ユウマ at 14:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

疲れたので贅沢してきた

春の大型連休、今年は10日もいただきました。
初日はいつもの土曜日、家事を片付ける日。翌日からお客が来るので、可能な限りしっかりめに。
日曜〜木曜の5日間は親(たまに長男)が来ていたので、街に出かけたり外食したり。
初めて行ったショッピングモールの、手作りアクセサリーの店や国産食料品の市場。普段あまり見ない場所を歩きながら、ちょうど見頃になった桜を楽しむ。
楽しかったけれど、疲れも溜まった。家に人間が2人以下の時間が恋しくなる。イライラすると具合悪くなってしまう。
5月3日金曜日は、同居人不在の日。家事は予定がなければ土曜日にまとめてと決めているので、ちょっと掃除するくらい。時間がある。
ずっと気になっていた、近所のカフェに行ってみようか。いいところだったら後日、同居人とまた行ける。
とにかく休みたい。美味しいコーヒーが飲みたい。
そこまで考えたのが、2日の夜。

カフェに行くだけにしようかと思っていたのですが、ひとつ諦めきれないことがありまして。そちらはちょっと距離があるし、自分の車を持っていない私には難しいかなと、見送る方向でいました。しかし地下鉄の路線を確認したところ、どうやら普段の通勤よりも短い時間で目的地に行けるらしいことがわかり、そちらも急遽予定に組み込みまして。

3日(金)、ストレスを思いっきり発散すべく、6時間程度の旅に出かけました。


カフェの開店は11時。家から近いので、10分前くらいに出発。
いつも買い物に行くときに通る道には、カフェが2軒あって、その片方が今回の目的。
写真や押し花、ビーズや真鍮のアクセサリーなどが見られるギャラリーと、お茶や食事のできるスペースが一緒に入っている建物は、かつて大学の寮だったそうで。同じ頃に店に入ったお客さんは、どうやら卒業生だった様子。
順番待ちの時間が少しあったので、ギャラリーを覗いてから、食事メニュー注文のためカウンターへ。
贅沢をすると決めていたので、ご飯と飲み物とデザートをフルセットで注文。この日は抹茶パフェがあるということで、デザートはそれにしました。メインのご飯はじゃこのたっぷり乗ったおこげご飯、食後の飲み物はコーヒー。
飲み物をいれてくれるカップは、たくさんあるなかから好きな柄を選べます。全てここで作られたカップ。花や動物の可愛いデザインが棚に並んで、お気に入りをゆっくり探す。
カップが決まったら、好きな席へ。木の壁や、色を合わせたテーブルとイス。ところどころに絵や焼き物、ハーバリウムなどの作品がある。部屋の真ん中には薪ストーブと、懐かしいかたちの灯油ストーブ。ちょっと寒いときは灯油ストーブを使うみたいですね。
それだけで居心地のとてもいい空間。しばらくのんびり。食事は落ち着いた頃に、まずサラダが運ばれてきました。
このサラダがとてもきれい。三種類がちょっとずつ盛ってあります。この日は、根菜のラタトゥイユ、おから入りポテトサラダ、赤大根と黄色人参のサラダでした。使われている地物野菜は店の入口で売っているものもあるのかしら。
薄味なので、お好みで店のオリジナルのハーブ塩やスパイス塩をかけます。私はそのままが美味しくてかけなかった……。
おそらくゆっくり食べて、メインの料理がくるまでにちょうどいいんでしょうけど、私は残念なことに行儀があまりよろしくなく食べるのが早いので、お皿を空にしてからまたのんびり待ちました。
メインは石でできた器で来ます。じゅうじゅうと音をたて、今まさにおこげごはんができている……! じゃことゆかりと卵黄ののったご飯を、少し崩してかき混ぜて、おこげをつくりながらいただきます。前半はおこげご飯を、ときどき醤油麹を足しながら。後半はエビのスープを入れて、お茶漬け風に。熱々なので今度こそゆっくり。
ここ、メインのご飯はどれも石鍋で来るみたいです。カレーやパスタもあるので、次はどれにしようかな。
きれいに食べたらまた少し落ち着いて、食後のコーヒーとデザート。コーヒーはもちろん、最初に選んだカップで。カップが大きいので、けっこうたっぷり飲めます。
デザートの抹茶パフェは、道産豆の白いあんこや、抹茶味の豆腐が使われています。甘さは控えめ。
これをゆっくり味わって、もう少し長居するなら+300円で飲み物のおかわりができるらしいというのを確認。おかわりはまたの機会だなあ。
約90分のくつろぎでした。ごちそうさま。

ランチの後は歩いて地下鉄駅へ。初めて向かう場所です。遠いけれど、徒歩+地下鉄+バスで1時間くらい。普段の通勤時間はバス+徒歩で80分なので、これくらいなら楽に移動できる。
実は連休前から行こうかどうしようか悩んでいたんですよ、ショッピングセンターのキャラクターイベント。3日にルパンレッドが来るって聞いていたので。もちろん子供向けイベントなんだけど、お母さんや大きいお友達もたくさんいたね。
あのスタイリッシュなガワでポーズとったり、子供たちとふれあったりするだけですでにかっこいいんだよなあ。これを見るために1時間かけて、ついでだから乗り物に楽しく乗って移動してきたんですよ。知らない土地まで来ようと思ったんですよ。都に行けないからGロとVシネの舞台挨拶は諦めましたが、見られるものは見たい。
本編にダンスなかったから子供たちとエアロビで遊ぶのはまあ仕方ないよね、これギャングラーじゃないのって思ったけど。
ジュウオウとゴーカイの名乗りとデカレンの変身やってくれたんですよ。子供たちは親御さんによって教育されているのか、15年前の作品でも割と余裕で知っていた様子。ああでもそうか、こないだスーパー戦隊バトルやってたものね。気になったら知りたいよね。
他のをあまり見たことがないのだけれど、ルパンレッドの演者さんは思いっきりかっこつけた仕草するのでドキドキしてしまう。至高は本家浅井レッドなのは間違いないのだけれど、あのガワで動くだけでときめくように1年以上かけて刷り込まれてしまったからね。だから写真撮影は緊張しました。並んでみただけでも思い切ったのに、手を取ってもらって、肩を抱かれて、握手してもらって、なにがなんだか。
撮ってもらった写真ちゃんと見られないのは、かっこいい人と一緒に写ってる半笑いのちんちくりん(私)が直視できないからです。ひっどい顔してる……。もっとちゃんと笑いたかった。
子供たちと写真撮ったり、きれいなお嬢さんたちとポーズ決めたりしてるの見てるのが楽しかったな。ヒーローと密着するという貴重な体験ができたのは嬉しいけど。
ショッピングセンターでちょうど九州フェアやってたので、同居人と2人でずっと食べてみたいと言っていたいきなり団子をお土産に買って帰りました。家でお茶しながらいただきました。美味しかった。

11時ちょっと前出発、17時半頃帰宅の短い時間でしたが、ひとりで好きに遊びに行けて満足の一日でした。
この調子でまた、今度はもう少し距離を伸ばせたら、楽しい思い出ができるかな。
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2019年04月27日

春の自己紹介テキスト

ブログ書くの久しぶりです。大体ツイッターでちょろちょろっと呟くので済んでしまって、しかもあれリアルタイムですからね。読んだ本の感想も短く連続して出せちゃって、なかなか長文をまとめて書くほうに戻ってこられない。
しかしながら、他人のタイムラインに勝手にお邪魔してしまうので、あまりにも情けない話やみっともない話は避けなきゃだめだなあとも思うのですよね。泣き言書いて投稿しては、数分経ってから消したり。その場の勢いで余計なことを晒すことにもなるので、気を付けなくてはいけないと思っているのですよ、一応ね。
好きなことを暴走気味に書くと、それはそれで自分の気持ち悪さが露呈するし。いやもうこっちはどうせなら気持ち悪く生きてやろうと思ってやってるんですけれど。

そんなふうにしていたら、何か月もまともに長文を書いてないことになってしまって。書きかけのお話もそろそろ放置しすぎだし、このあたりでちょっと勘を取り戻さないとな、と思っての、この落書き記事です。
ちょうどこの春から、土曜日をひとりで過ごすことが多くなったので、主に土曜日にもそもそっと書きます。気の向くままに、日記だったり好きなものの事だったり、もしかしたらお話だったり、またちまちまと書いていきたいです。


本日のテーマは、自己紹介。
気づけばもう平成が終わり、令和元年になろうとしています。私は昭和末期の生まれなので、平成の30年ちょっとをまるっと生きたことになります。生きられると思っていなかったけれど、結構しぶとかったんですね。
そこで新しい時代に向けて、改めてざっくりと自己紹介をしてみようかと。春ですし。自分のことを明るく書けるようになったかな、という実験でもあります。


今使っている名前は外都ユウマです。以前の名前からの流れで「ゆま」のほうが落ち着くかしら。とのとゆうま、と読みます。
本名のほうが、知ってる人は圧倒的に呼びやすい名前なのですが。それでいいかなと思ったこともありますけれど、どうしても自分で書(描)いたもののすみっこに「uma」って入れたかったのでこれで。
同居人からは「とん」と呼ばれています。本名に少しもかすっていません。これも割と気に入ってる呼び方です。

好きなことは、書(描)く・読む(観る)・食べる(飲む)。これができるなら生きていられる。
文章を書くのはちょっと気合を入れて、絵を描くのは力を抜いてやっています。どっちも好きですが。
読んだり観たりは、主に小説や漫画を読むとか、アニメやドラマや舞台を観るとか。説明書や成分表など文字が並んでいるとつい読んでしまいます。お芝居は物語と、それを作り上げているいろんな要素を自分の頭の容量に合わせて楽しんでいます。
お仕事もの、ファンタジー、ホラー、ミステリ、時代物、ご飯ものを本棚に並べています。小説は文庫多め。漫画は雑誌で追えないので単行本派。でもネタバレは自分から見に行ったりします。あと日曜朝の特撮に昨年から戻ってきて、今未履修のものをちょっとずつ観ています。
食べる量は多く、お茶とお酒が大好き。ひとりでご飯に行くとラーメン屋さんのカウンターとかちょっと渋めの串焼き屋さんとか入りがち。友人と行くとおしゃれなカフェとかイタリアンとかスープカレーとか。お酒は特に甘めの日本酒と色々なクラフトビール。ビールはエールのほうが好きだなあと感じることが多いですね。

北海道生まれの北海道育ち、大学生だった4年間だけ青森県にいました。内陸の田舎の人間なので、海の幸よりも山菜のほうがなじみがあります。ルーツをたどると静岡や福島だったりするみたいですが、どっちもまだ行ったことありません。冬は極寒、夏は酷暑のオホーツクが故郷。
北海道弁っぽいことばを度々使います。なまらめんこい、は頻出。〜でないかい、もわりと。大学でちょっとだけ方言の勉強をしていたのもあり、ことばとか土地の人の意識とか今でもたまに気になってます。

日頃意識しているのは、「自分の常識は他人の非常識」。
逆もしかりと思っておけば、だったら重なるところは、妥協点は、知らないことにしておくべきところはどこかな、と考えられるので、感情的になりすぎないよう気を付けられます。
できるだけ穏やかに生きたいんです、疲れるの好きでないので。苦手なものにこれ以上付き合えないと思ったらばさばさ切って、逆に切られても(こっちの方が多いかな)気にしすぎない。それが理想です。


あとなにかあるかしら。余計なことを省いたらこんなものですかね。
平成のうちにやりたかったことは大方できたので、令和の時代はもうちょっと背筋伸ばして歩いて、もっと遠くへ行ってみたいですね。
そうそう、目標は「余裕をもつ」でしょうね。もうちょっと色々できるようにしたいので、心と時間の余裕をもっと大きく持ちたい。理想の大人になりそこねているので、まだまだ頑張りたいです。

さて、また時間のあいた土曜日に。今度は好きなものやことのお話をしたいです。お気に入りの飴とか、好きな恰好とか。
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2016年12月10日

ひとり遊び思考

早いものでもう年末ですね。今年も本を選んで紹介したりする予定です。とはいえぎりぎりまで読むし悩むと思いますが。今年は特に。
その前に、しばらくお話も載せていませんでしたし(別館に集中していました。本館も年内に一話くらいやりたいです)ちょっとどうでもいい話置いときます。

ひとり遊びが得意です。昔からそうなのです。母曰く、宙に向かって一生懸命何かを語りかけようとしている、そんな幼児だったようです。
一人でブランコに乗っているところを幼稚園の先生に声をかけられた記憶がまだ残っています。
「なにしてるの?」
「お空の雲さんとお話してたの」
私は話しかけられるまで、本当に空に向かって相槌を打ち続けていたのでした。
「一緒に遊ぼう」と同級生に言われて、「今日はひとりで遊ぶから」と答えたことも何度もあります。幼稚園児なりにひとりで遊ぶことへのこだわりがあったのかもしれません。
とにかく、そのとき自分の頭の中にある設定を、他人が入ってくることによって崩されるのが嫌だった。今でもその傾向は変わっていません。(自分のスケジュールを狂わされると混乱する、他人に急かされると焦りからもともと低い能力がさらに低下するなど。外で働くうえで折りあいつけるのに苦労しています)
他の子と遊ばずに好きな本を読んでいても、とくに気にされなかったからということもあったのかも、と今は思います。弟たちや妹を見ていると、私は特に私のような子供に寛容な環境で幼少期を過ごせていたような気がします。少なくとも「同級生と遊ぶことよりひとりでの読書を優先していたら心配された」という記憶はないので。それとも私が気づいていないか、都合よく忘れただけでしょうか。
友人がいなかったわけではありません。小学生からの付き合いが今でも続いている人もいます。そういう人って、だいたい適切な距離を上手に置けていた人ですね。物理的なり気持ち的なり。

ひとり遊びといいつつも、遊び相手はいます。先ほどの「雲さん」のような自然のもの、着せ替え人形、ぬいぐるみ、読んでいた本の登場人物(夢小説も中学生くらいのとき書いてたな)、自分が作りだしたキャラクター。
ものを使うこともありましたが、基本的には得た知識と私一人の頭があれば、遊ぶのには十分だったのです。
脳内会話は当たり前、「ひとり」の私に常にツッコミと叱責と励ましをくれるのは、私の頭の中に昔からいる、亜矢と名付けた相棒です。私の本名候補の一つだったものからとりました。この相棒と離れることはないので、私はしょっちゅうひとりですが孤独だったこともありません。

友達がいらないわけではなく。みんなでやらなければならないことがあるということも知っている。ただ自分のペースとスペースを守れたほうが何かとやりやすい、というなら誰だってそうなのでは。
ひとり遊びは自分のペースとスペースを守ると同時に、行いを反省することと今後の自分のあり方を考えることでもあります。他人のことを全く考えないわけではなく、外部からの刺激の処理と対応のためにひとり遊びを必要としていることもあります。相当真面目に真剣に遊んでます。
そういう人って私だけではないのでは? と思うようになったのはここ十年くらいでしょうか。
人によっては相手をするのが面倒でしょうし、それで離れていくならしかたない。
味方がいくらかいたほうが世の中わたりやすいのは承知の上で、私はこれからも生きている限りはひとり遊びを続けていくのだろうなと思います。
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2016年09月18日

家族のこと

こちらではおひさしぶりです。お話を何かできればと思っていたのですが用意していなかったので、本日は個人的な日記です。

母と映画を観に行きました。今夏話題の『シン・ゴジラ』です。もう九月ですが。
内容や考察などはすでに公開から日が経って多くなされているのでここでは省きますが、共通して「とても面白い作品を観た」という認識が私たちの中にありました。
前情報をかなりもって臨んだはずが、やはり実際に観て自分で確かめる以上の情報ってないものですね。
今年は良い作品を映画館で観られて、とても満たされています。
『君の名は。』も妹と観に行って、想像以上の壮大さに驚いていましたし。(先にこちらを観て、もしやと思って検索かけたら、ゴジラとどこか共通したものを感じていた方いらっしゃいましたね。それもまた面白い)

映画館に行く行かないはともかくとして、映像作品を家族で観るということは、我が家ではそう珍しいことではありません。私の住む町にまだミニシアターがあった頃、そこで上映されていた作品を母に連れられて観に行ったことも何度かありました。休日に映画のDVDを借りてきて、居間でみんなで観ることもよくあることでした。
必ず家族全員が揃っていなくてはいけないというわけでもなく、それぞれが観たいものを持ち寄って流している、あるいは「これなら趣味が合うだろう」と思った作品を家族の誰かと一緒に観に行く。もちろんひとりで楽しむのもいい。面白かったら薦める(だけ薦めておいて本当に見るかどうかはまた別の話)。別々に観て感想だけ共有、ということもありました。
そうして育ったというほどではないのですが、家族と一緒に観たもの、または家族が好きで置いていたものに影響を受けてきたのはたしかです。

どちらかといえば母方寄りな私たちでした。私の本好きは確実にそちらの影響で、母方の祖父は歴史小説と検証・考察本と漫画を好み、母の書棚には小説、童話、ドキュメンタリー映画、漫画が並んでいます。そうして私や弟妹たちは、母の持ち物に親しんできました。
成長するにつれて影響が各々に色濃く出てきます。私たちは書物や映像や音楽といった趣味をそれぞれに持つようになりました。
父からの影響はなくはないと思いますが、あまり感じないのは、幼少期から成人するまで私となかなか合わなかったからだと思います。たぶん可愛い子供ではなかったので、私。(もう少し愛想良ければ違ったかもなあ。教えてもらおうとしていたら機械とか車にはもっと強くなれたかもしれない)

現在の私たちの興味の方向はばらばらで、住んでいる場所も異なっていて、それでも集まったときには何かしら一緒に楽しめるものがあります。
これを書いている私は、父を連れてもう一度『シン・ゴジラ』を観に行こうとしています。
さて、確かめてもらうことはできるのか、確かめてもらった先にどんな感想があるのか。それ次第で、年末にまた一家でテーブルを囲んだときの話題が一つ決まるかもしれません。
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2016年08月06日

14周年

本日でサイト開設14周年を迎えました。
文章放り込むだけになってますが、ゆるゆる続いてきました。
今年は一ヶ月放置とか、暗い7月とか、これまでよりお話を載せるペースも量も落ちてますが、書き続けていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
posted by 外都ユウマ at 10:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

工場時代の思い出

本日は創作文章ではなく、私自身の思い出話です。なのでカテゴリは日記。こうして自分の話をするのは、ブログでは久しぶりのことですね。
2月27日に日付が変わった頃、私はTwitterにちょっと長い連続ツイートを投稿しました。今回お話させていただくのは、そのとき語ったもののまとめと、その時は書かなかったけれど今でもよく憶えている、当時のエピソードです。
呟く(というか語る、ですね)に至ったきっかけは、村山早紀さんの作品『竜宮ホテル 水仙の夢』(徳間書店)を読んだことです。作中に、携帯電話の開発に関わっていたというお兄さんが登場するのです。携帯電話開発への誇りと、携帯電話そのものへの愛情を強く持っていたお兄さんが。
その物語から思い出したことを、ある程度整理して、けれどもほとんど勢いで、書いて投稿したのでした。ええ、一部の方はご存知かもしれませんが、私もかつて携帯電話をつくることに関わっていたことがあるのです。作中のお兄さんとは違い、その下請け、あるいは孫請けのような、本体の組み立てや部品の検査、完成品の梱包などをしている工場で働いていました。

その仕事を始めたのは、大学を出て少しした頃の4月終わりのことでした。当時の私は実家に戻って来ていて、職を探していました。そんなときに知人から「さほど人と話さなくてもいい」として紹介してもらったのが、携帯電話を製造する工場での仕事でした。派遣会社を通しての、つまりは派遣社員で、けれども当時はとても忙しく人手が足りなかったくらいの仕事だったので、すぐに就職が決まりました。任じられた仕事の内容は、携帯電話の部品検査。プラスチックのそれに、バリがあれば丁寧に取り除き、接着剤のはみ出しがあれば余分なところを剥がし、どうにもならない不良品があれば分別する、というようなものでした。黙々と部品を見つめ、汚れや空気、ゴミの混入がないかどうか探して、基本的には8時半から17時半まで、一時間の昼休みを挟んで八時間たっぷり働きます。たしかに研修と業務確認以外は人と話すことがほとんどありませんでした。
目は疲れるし、ダブルチェックで自分の仕事の甘さを指摘されたりもしましたが、ひたすら一つのことに集中するのは性に合っていましたし、ほぼ毎日の、上司の裁量で長くて二時間ずつあった残業も、辛さをあまり感じることなくこなせました。
当時の時給はたしか600円台(660円くらいだったかな)だったと思いますが、仕事の時間が長かったので手取りは現在よりも良かったです。
扱う物は部品で、製品の一部でしかありません。関わらなければほとんど誰も気にしないような、そんな部分だったと思います。けれどもこれが組み合わさって携帯電話という形になり、誰かの手元に届くんだと思うと、やっぱり仕事に多少の誇りみたいなものが生まれてくるのでした。ショップに並ぶその機種を見る度に、ああこれだ、と嬉しくなったりしたものです。店頭に出るのはもちろんのことモックで、製品そのものではないのに、こっそり手に取ってその部品をチェックしたりしました。
この製品を選んで使う誰かのところに、きれいなものが届くといいと、そうでなければならないと、私は私の仕事を全うしようとしていました。

ですが、状況は突然変わりました。2011年3月11日に発生した、東日本大震災を境に。
私の住む、そして働く工場のある場所は、もともと地震のめったに起こらない、または起こっても影響を受けにくい地域です。その日も珍しく長い揺れがあっただけで、被害はほとんどありませんでした。あの時間は仕事中だったので、東北や関東で何が起こっているのかもわかりません。上司も工場が揺れる中、「はい、仕事に集中してねー」と普段の調子で言っていました。
何があったのか知ったのは、業務が定時で終わってからのことです。それが大きな地震であったこと、その影響で電話が繋がりにくくなっていることを認識し、家に帰ってからあの凄まじい被害をテレビの画面を通して見たのでした。
まず気にしたのは大学時代の友人、知人の安否であり、自分自身に大きな影響が及ぶなんて考えていませんでした。
しかし、というか当然ながら、翌業務日以降に、影響は私たちへ及んできたのです。私たちが扱っていた、あの毎日検査をしていた部品を作っている工場は被災していて、たとえ無事だとしても流通がままならず、しばらく部品がほとんど入ってこないことになりました。無事だったところからは少しずつ部品が届きましたが、とても従業員全員をフルタイムでもたせる量はありません。
そのあいだ私たちにできたのは、今なんとか在庫を持っている部品を引き続き検査することにプラスして、他の部署の手伝いをすることでした。様々な部署をたらい回しになったわけです。
おかげで工場内でいろんな仕事を経験することになりました。別の製品の、完成品の梱包。携帯電話の中身を保護するシールをきれいに貼る。出てしまった不良品を素材ごとに分別して処分する。油が塗ってある防水パッキンを、竹串を操って細い溝にしっかりと装着する。……などなど。特にパッキンの装着は自分で言うのもなんですがほぼ完璧に速くできるようになり、心の中で竹串マスターを自称するほどでした。
もとの検査の仕事には、ときどき、本当に少しだけ呼ばれました。なかなか本来の仕事には戻れなくなりました。携帯電話とは全く関係のない部署もありましたので、そちらにいたこともあります。
そんな日々を経て、ついに別の部署に、完全に異動することになりました。検査する部品がほとんどなくなり、検査を担当する部署そのものの存続が難しくなったためです。

新しく配属された部署ではスマートフォンの組み立てをしていました。班を組んで流れ作業で、スマートフォンを完成形にするのです。私が担当した作業は、電動ドライバーでネジを装着したり、内部の小さな防水シールを貼るといった細かい仕事でした。そもそも手先が不器用な自分には、難しいものです。竹串マスターになれたのが奇跡だったのです。リーダーに何度も叱られ、長くなった残業時間(その部署は4時間ほどの残業になることもしばしばでした)や頻繁な休日出勤に適応できるようにし、新しい仕事をクリアしようとしました。
組み立てていた機種は、実は震災後の一時期に、幾分かつながりやすかったと話題になったキャリアで扱っているものでもありましたので、親会社からの発注台数が多かったのだそうです。
けれどもそんな状況も、まただんだんと変わっていくことになります。工場と契約をしていたある派遣会社が、業務から手を引いたのでした。その会社から派遣されていた従業員は、私が所属していた会社で多くを引き取ることになりました。ですが手を引くところが出てきた、という事実に、私たちは危機感を覚えたのです。
検査をしていた部品以外は、メーカーがすぐそばにあったこともあり、震災が仕事へ与えた影響がもともと少ないということはありました。それでも関わる会社が減ったということは、その頃にはすでに仕事がなくなってきていたのかもしれないし、派遣会社が見切りをつけ始めていたのかもしれないし、単に工場との契約が切れたということも考えられますが、そのことは派遣社員にショックを与えていました。私も派遣で働いている人間です。いつ自分の番になるか分かりません。
この頃から私は転職すること、というより派遣社員以外の道を考えるようになり、就活をするようになりました。役に立ちそうな職業訓練も探しました。
そうしているうちに、仕事に変化が出始めたのです。スマートフォンの組み立てをする部署は残業が多かったのですが、残った時間で組み立てではなく、翌日使うネジの準備をして時間を潰すということが出てきました。仕事はなくなってきていたのでした。通信の面が復旧していくにつれ、私たちのつくるスマートフォンは、あまり人気がなくなってきていたということもありました。環境が整えば、日々新しいものが生まれます。Twitterでは震災の影響で部品の供給が不安定だったと書きましたが、もしかするとそれよりも、こちらの要因のほうが大きかったかもしれません。メーカーは一応、そばにあったわけですし。

そうして2011年12月、新しい就職口はとうとう見つかりませんでしたが(受けた会社全部落ちたのでした)、職業訓練の方は情報を手に入れることができたので、私は工場をやめることを決意しました。すぐにというわけにはいかなかったので、契約が更新になる翌年の2月いっぱいまでということにして。
もともと派遣で長く続くとは思っていませんでしたし、いつまでもこのままでは後々大変になるという心配もありました。ですが自分の性格に合っていた仕事だったので、やっぱり少しは惜しかったです。
しかし、自分がやめた後、他に入っていた多くの派遣会社が一斉に工場業務から撤退して、失業者が大量に出たという話を耳にすることになりました。
工場をやめざるをえなかった人々は、他の仕事を探し、勤め、あとで再就職した時に再会したりもしました。検査部署の上司と職業安定所で会ってしまって、気まずい思いをしたこともあります。仕事を失ったのは、あるいは見限らざるをえなかったのは、派遣社員やパートだけではなく、正社員もそうだったのでした。
かつてはあの工場で、たくさんの人が働いていました。早朝から遅くまで、業務をこなし、みんなが廃れつつあった携帯電話や、あまり有名ではないスマートフォンを、一生懸命つくっていました。誰かの手にわたすために。また災害があった時、役に立つように。それでも多くの人が長くは続けられませんでした。仕事がなくなってしまったのですから、どうしようもなかったのです。
今でも工場はあるし、働いている人はいますが(それなりに大きな会社の下請け、孫請けなので)、当時と同じ仕事をしているのかはわかりません。当時の人はどのくらい残っているのでしょうか。業務は縮小されて、正社員もやめてしまって、今はいったいどんな仕事を。そんなことを、今でもふと思います。

ここはもともと職業選択の幅がそんなに広くない田舎です。私はあのあと職業訓練を受け、職を転々としましたが、現在働いている職場には、あの工場で働いていた人が結構多く流れてきていました。少なくはない人数が、履歴書に同じことを書いてきているわけです。
たまに、ですが、あのまま転職しないで続けていたらどうなっていたかなと思うのです。派遣切りにあっていたか、それとも雑用として残されていたか。いずれにせよ、私があの仕事をなかなか気に入っていたのはたしかです。今の仕事も、ものづくりではありませんが、取り組み方は似ていますし。
同じように考えたかもしれない人が近くにいるというのも不思議なものです。

そんなお話でした。現在もガラケーを見ると懐かしい気持ちになりますし、今使っているスマートフォンも、これが作られる過程でたくさんの人が関わって「魔法」を生み出していたのだなと、しみじみ思うのです。
物語にあったように、私たちは魔法使い、とまではいかなくても、例えば靴屋の手伝いをする妖精のようなことはできていたんじゃないかな、なんて。
この小さな機械が、たくさんの人が関わるものであることを、そしてたくさんの人が離れていってしまうこともあるということを、私は知っています。ひとつひとつが人間の手で組み立てられるもの(少なくとも私たちはそうでした)であることを知っています。だからこそ、物の向こう側にいる人々のことを、忘れてはいけないなと感じたのです。
以上、2010年4月から、2012年2月にかけての思い出話でした。
……と、書いていると、なんとテレビで例のスマートフォンの最新機種のCMが! つくってるのかな。まだあの場所で、誰かが。
posted by 外都ユウマ at 10:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする