2018年05月19日

商店街西、坂の上、縁結びアパート。(4)

 片付けをしていて、大変なことに気がついてしまった。礼陣大学の入学式は、学校ではなく公民館で行なわれるのだ。この町の公民館がどこにあるのか、方向音痴のわたしは直々に確認に行くことにした。それにしても、今のうちに気がついてよかった。
 地図とスマホと財布というおなじみのセットをバッグに入れ、部屋を出るとまたもや九鬼先輩に遭遇した。すでに驚かなくなっているあたり、わたしはこのアパートに順応し始めたのだろう。
「よう、今日はどこに?」
「公民館まで。わたし、入学式を公民館でやるって知らなくて。九鬼先輩なら公民館の場所知ってますよね」
「もちろん。案内してやろうか」
 暇そうなので、素直に案内してもらうことにした。九鬼先輩は二〇六号室から時澤先輩を召喚し、またこの三人で出かけることになった――のだが。
「おいおい、慧と一日、女の子連れてどこ行くの。ていうか、その子新入りじゃん?」
 階段を下りたところで、変な大人に捕まった。一〇一号室の前の段差に腰かけていたその人は、髪をツーブロックにして口の周りに髭を生やしている。人によってはかっこよく見えるのだろうけれど、正直その人には似合っていなかった。
「ヒロさん、どうも。外にいるのに煙草吸ってないなんて珍しい」
「この子は礼大の後輩です。つまりヒロさんの後輩でもあるってわけで、これから入学式会場の下見に行こうとしてるんです。まりちゃん、この人は礼大のOBで、ヒロさんていうんや」
 なんと、この見た目がちょっと残念な大人はわたしの先輩らしい。あんまり納得できないまま、わたしは自分の名前を告げて頭を下げた。ヒロさんと呼ばれているその人は「茉莉花ちゃんか、可愛いね」と褒めてくれたけれど、あまり嬉しさはなかった。
「オレは平松浩。五年前の春に礼大卒業して、そのままこの町の企業に就職してるから、このアパートには長く住み続けてる。九年も住んでいれば、新しく入って来た人を迎えるのも、人が出ていくのを見送るのも、もう慣れたもんだね」
「九年……」
 今のところ四年しか住むつもりのないわたしには、ちょっと大きな数字だ。言葉を失っていると、時澤先輩が問いをぶつけた。
「で、ヒロさんは煙草じゃないなら何してはるの。部屋、一〇二号室やないですか。ここ人んちの前ですよ。邪魔んなりますよ」
「邪魔とは失礼な。ちゃんと一〇一号室の住人に用があって待ってるんだよ。お前らが茉莉花ちゃんにいろいろ教えてるみたいに、オレも新入りの世話してんの」
 ヒロさんが言い返した直後に、一〇一号室のドアが開いた。身長はわたしより高いけれど、顔立ちはまだ幼い男の子が、ひょこりと出てくる。そういえば、高校生だっていっていたっけ。
「ヒロさん、お待たせ。あ、上の階の方ですか。こんにちは」
 男の子は部屋から出てドアをきちんと閉めると、わたしたちに向かってとてもきれいに一礼した。このびしっと決まった角度からして、体育会系なのかもしれない。こちらも思わず姿勢を正し、こんにちは、と声を揃えて返した。
「俺、錫木真生っていいます。この春から礼陣高校の一年生です」
「へえ、礼高か。じゃあ部活はもう決まってんの?」
「はい。礼高剣道部、ずっと憧れだったんです」
 先日は結局一歩出遅れて、話ができなかったそうだから、初めて見るはずの九鬼先輩の怖い顔。しかし少しも動じず、むしろ爽やかな笑顔で返事をする錫木君に、わたしは感心するばかりだった。時澤先輩まで「大した子やなあ」と呟いている。そして九鬼先輩はというと、「だからか」と何か合点がいったというように頷いていた。
 九鬼先輩はこちらを振り向くと、にやりと笑った。やっぱり私には、悪い笑顔に見えてしまう。
「わかったぜ、在さんが真生と笑いながら喋ってた理由」
「え、そうなんですか?」
 わたしがそのことを実はずっと気にしていたということが、九鬼先輩にはばれていたのだろうか。わたしには笑ってくれなかった、という問題の解決にはならないけれど、糸口くらいにはなるかもしれない。九鬼先輩の説明に、わたしは真剣に耳を傾けた。
「真生は礼高生、在さんの後輩にあたるんだよ。在さんには弟がいて、その人も礼高、しかも剣道部だった。その話で盛り上がったんだろ」
 九鬼先輩が錫木君に確認すると、彼は頷いた。
「そうです。不動産会社の常田さん、だと紛らわしいんですよね。在さんとは礼高と剣道のことで話が合って、引っ越してきた当日は楽しくお話させていただきました。在さんは高校時代に生徒会長も経験していて、弟さんは全国大会で団体準優勝したときのメンバーだったとか。強豪としての礼陣高校の話は、やっぱりいいですね」
 あの真面目な在さんと談笑するだけの話題を、錫木君は十分に持っていたということだ。不確かな「縁結び」なんかにうつつをぬかしていたわたしと違って、錫木君の話は在さんにとってリアルだった。つまり、そういう差だったのだ。
 それにしても、在さんの経歴もなかなかすごかったようだ。生徒会長……あまりに似合いすぎる。剣道の強い弟がいるという話まで加わると、なんだか物語の中の人みたい。
「真生、剣道部の見学に行くなら、そろそろ出たほうがいいぞ」
 ヒロさんの声で、わたしは我に返った。そうだ、わたしも公民館までの道を覚えなければ。
「錫木君、用事があったのに引き留めてごめんね。剣道、頑張って」
「ありがとうございます」
 またも礼をびしっと決める錫木君。こんなにしっかりしているのに、世話なんて必要なのだろうか。錫木君と一緒に歩きながら「さっきの、でかいのが慧、そんなにでかくないのが一日、女の子が茉莉花ちゃんな」と説明しているヒロさんを見ていると、溜息が出そうになる。
「本当に真生君の世話するの、ヒロさんでいいんやろか。そのうちヒロさんが真生君に世話されそうや」
 時澤先輩の容赦ない一言に、しかしわたしと、九鬼先輩までもが頷いた。

「アパートに住んでるやつには、もうほとんど会ったんじゃねえのか」
 公民館の場所を無事に確認した帰り道、九鬼先輩が言った。澄田さん、杉本さん、弥富さんにも会ったという話をすると、そう返ってきたのだ。
「そうですね。もう十人に会いましたから、あと三人でコンプリートです」
 わたしが頷くと、時澤先輩が手をぱたぱたと扇ぐように動かしながら苦笑いした。
「あとの三人には会うチャンスほぼないで。二人はほとんどアパートに帰って来おへんし、一人は逆に部屋から出て来おへん。まりちゃんがどうしても会いたいなら、運がないと」
 コーポラス社台は現在満室だ。だから住人は十四人いるはずなのだが、どう頑張ってもすぐに会えるのは自分を除く十人なのだという。九鬼先輩も渋い顔で頷いた。
「一〇六号室の人は先月から入ったんだが、その当日以来見てねえな。なんか放浪癖があるらしい。礼陣にいる親戚は、いつものことだから大丈夫って言ってたけど。一〇七号室の人は写真家なんだが、全国を回って撮影してるからなかなかアパートに戻らない。礼陣で個展を開くときにはいるから、そのときが狙い目。二〇五号室の人はそもそも人と会うのが苦手で、仕事も在宅だからなかなか出てこねえんだ」
 コンプリートは難しいな、ということだ。別にコンプリートしなくてもいいのだけれど、放浪癖があるという人や、部屋から出てこない人は、はたして大丈夫なのだろうか。顔も知らない他人のことを、つい心配してしまう。
 その三人を除く「会える人たち」には、わたしはもう会えたようだった。それなりに会話もしているし、九鬼先輩と時澤先輩に至ってはこうして一緒に出掛けるまでになった。たった数日で、こんなに人と知り合えるものだろうか。ただ、同じアパートに住んでいるというだけで。
「もしかして、ご利益?」
 コーポラス社台は、縁結びアパート。その噂が、もしもいい加減なものではなく、本当だとしたら。――なんて考えたら、きっと在さんには嫌な顔をされるのだろうけれど。
「そう思っててもいいんやないの」
 しかし時澤先輩は、わたしの呟きを微笑みで受け止めてくれた。
「ご利益だって信じたいやつは信じればいい。在さんが嫌なのは縁結びとか、それ目当ての人じゃないんだぜ、たぶん」
 九鬼先輩はわたしの考えていたことを読んだように言う。
 アパートの人たちとの出会いがご利益にしろただの偶然にしろ、わたしはあの場所で暮らしていくのだ。人と関わりながら、この町で大学生活を過ごすのだ。それだけは変わらない、たしかなこと。
 思い切り伸びをして、春の空気を吸い込んだ。始まりの季節の空気を。



継続して住んでる人がまた一人。レアキャラはもっと後になってから。
posted by 外都ユウマ at 11:49| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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