2018年05月19日

商店街西、坂の上、縁結びアパート。(2)

 引っ越し荷物を片付けながら、生活用品を揃えていかなければならない。越してきて二日目は、すぐに使うものと春物の服を出して、区切りがついたところで買い物に出かけた。とはいえ方向音痴がすぐに直るわけはないので、今日も地図をくるくる回しながら道を確認する。
「スーパーはあっち、ホームセンターは……ちょっと遠そう」
 今度こそ無理をせずにタクシーを使った方がいいのでは、でもそんなことをしていたら買い物をするためのお金がなくなってしまう。アパートの前で悩んでいるわたしの肩を、不意に誰かが、ぽん、と叩いた。
「どうした、どっか行きたいのか」
「ぎゃああ!」
 重低音と、振り向いた先の真っ黒な大きい影。魔物の出現に悲鳴をあげたわたしに、当の魔物は目を丸くして手を離した。
「なんだよ、そんなに驚くなよ」
「す、すみません。わたし、今まで周りに九鬼先輩くらい大きい人っていなかったので」
 九鬼先輩。その人が礼陣大学の学生であることは、昨夜秋華さんが教えてくれた。今度二年生になるというからわたしの一つ上の学年だ。九鬼先輩はわたしが後輩になることを喜んでいるようだったけれど、こちらとしては怖い先輩がいることが判明してしまい不安が心に積もっていく。日常生活だけではなく、学校生活までこの人と一緒だなんて。
 けれども先輩は先輩だ。わたしが「九鬼先輩」と呼ぶと、「先輩って響き、いいな」と満足げに頷いていた。そのあと秋華さんに「感動しすぎ」と笑われていたけれど。
「で、どこに行きたいんだ。目的は」
 我に返ったときには、地図は九鬼先輩の手に渡っていた。わたしが付けたマークを指でなぞり、首を傾げている。わたしは彼の隣に並んで、ちょっと高い位置にある地図を覗き込んだ。
「ホームセンターとかスーパーとか、生活用品が揃えられそうなところに行きたいんです。洗濯洗剤やハンガーなんかは急務です。早く洗濯機使ってみたいので」
「洗濯したいんじゃなく、洗濯機を使いたいのか。変なやつだな。スーパーはともかく、ホームセンターは遠いぞ。全部近場で済ませられるいい方法があるんだが」
「え、そうなんですか?」
「しかもお得だ」
 にやり、と笑う九鬼先輩はやっぱりちょっと怖い。けれども晴れた午前の明るさのおかげか、今日はちょっと頼もしかった。
 お得情報についてもう少し聞きたいと思ったら、九鬼先輩はわたしに地図を返し、アパートに戻っていった。言うだけ言って帰るつもりなのか、とムッとして目で追いかけていたら、しかし彼は自分の部屋ではなく、その隣の二〇六号室のドアを叩き始めた。
 そこの住人らしい人はすぐに出てきた。癖っ毛がふわふわしているのが遠目にもわかる、九鬼先輩よりも背の低い男の人だ。大きな欠伸をして、不躾な訪問者を見上げている。
「もう、何なん? 僕、休みの日は昼までだらだらしてたいんやけど」
「緊急事態だ。女子の買い物をサポートするぞ」
 九鬼先輩が言い切る。サポートって、そこまで頼んでないのに。戸惑うわたしを、二〇六号室の住人が首を伸ばすようにして見ている。なんだか恥ずかしい。
「女子ってあの子? あー、なんやふわふわしてかわいい子やね。慧ちゃん、ああいう子が好みなん?」
「馬鹿、好みだとかそういうのは関係ねえんだよ。とにかく大量に買い物あるんだったら、人手が必要だろ。たった一人で引っ越してきてんだから」
「それもそうやね。僕も慧ちゃんに助けてもらったし、ここで情けを巡らしとくのは道理やな」
 わたしが口を挟む隙どころか距離もないまま、話はあれよあれよという間に進んでいく。なにしろ九鬼先輩の声は大きいし、相手も口調のわりにはっきり話すので、内容はここからでも丸聞こえだ。二人は階段を下りてわたしのところへやってくると、「それじゃ行くか」と歩き出した。
「ちょっと、ちょっと待ってください先輩! どうして先輩も行くことになってるんですか。あと、その人は誰ですか。知らない人を付き合わせるのは悪いですって!」
 駆け足で追いついたわたしに、九鬼先輩はたった今思いついたように、そうだったな、と言う。そして隣の癖っ毛の彼を指さした。
「こいつは大学の同級生で、時澤ちはる。部屋が隣ってこともあって、しょっちゅうつるんでる」
「どうも、時澤です。ちはるは一日って書くんやで。これからよろしく、ええと……」
「宝泉茉莉花だ。俺のことをめちゃめちゃ怖がってて、秋華さんとはもう一緒にコンビニに行く仲」
 わたしが自己紹介をするまでもなく、九鬼先輩が人間関係までも話してしまう。時澤先輩はそれを自然に受け入れていて、「よろしくなあ、まりちゃん」なんてぽわぽわと微笑んでいる。同級生というだけあって九鬼先輩のペースに慣れているのかもしれないけれど、こっちは完全に置いてけぼりだ。
「あの、本当に買い物手伝うつもりなんですか? 見ず知らずのわたしなんかの」
「自己紹介したんだし、同じアパートの住人だし、もう見ず知らずじゃねえだろ。俺たちがいれば、重い物も楽して持って帰れるぞ」
 九鬼先輩はやる気満々、時澤先輩も頷いている。仕方ない、男の人がいると買いにくいような物は後回しにするとして、ちょっと大きい物やかさばるような物はお願いしよう。正直なところ、重い物を持って歩き回ることには不安があった。
「じゃあ、よろしくお願いします。それで、お得ってなんですか?」
 ようやく尋ねることができたわたしに、九鬼先輩がまたにやりと笑った。
「まあ、ついてきなって。すぐ近くだからさ」
 九鬼先輩と時澤先輩が並んで歩くのを、わたしが少し遅れて追いかける。三人で坂を下るあいだ、九鬼先輩は天気のことやご飯のことをずっと喋っていて、時澤先輩はそれに相槌を打ち続けていた。

 子供が駆けまわり、大人はそこかしこで井戸端会議。軒を連ねる店からは威勢のいい掛け声が聞こえてくることもあれば、店の人とお客さんたちがまったりと話している姿も見える。幟に暖簾、看板がずらりと並ぶそこは、昨日わたしも通ってきた商店街だった。
「礼陣駅裏商店街だ。歴史は長く、老舗も多い。でも時代に合わせて営業形態を変えたりしていて、常に工夫することを考えている。店が生き残ることと客を大切にすることをしっかり両立させている、元気な商店街なんだぜ」
 九鬼先輩が自分のことを話すみたいに、自慢げに胸を張る。たしかにわたしの地元にある寂れた駅前商店街よりも、随分と賑わっているようだ。
「流行のものや若者が好みそうなものは、たしかに駅前の店や、町の南側にある川向こうのショッピングモールのほうが多い。でも、サービスと良いものを取り揃えることに関しては、この商店街だって負けちゃいない」
「慧ちゃんは商店街贔屓やから、買い物はできるだけここでって決めてるんやで。生まれ育った町だから、馴染んでるしな」
 僕もあっちの店のコロッケとか好きなんや、と時澤先輩が通りの向こうを指し示す。こじんまりとした総菜屋の、大きな看板が見えた。けれどもわたしは、総菜屋よりも時澤先輩の言葉のほうが気になっていた。
「九鬼先輩、ここが地元なんですか?」
「ああ、生まれも育ちも礼陣だ。町の人にはガキの頃から世話になってる」
「なのに独り暮らしを? 地元なら、実家から大学に通えるんじゃないですか」
「だってしてみたいじゃん、独り暮らし」
 そう言って九鬼先輩は、商店街の大きな道を真っ直ぐに歩いて行った。もう行く店は決まっているらしい。わたしの用事なのに。時澤先輩に促されて、あとをついていく。
 子供の頃からこの町に住んでいるだけあって、九鬼先輩が商店街を歩くと、色々な人に声をかけられている。立ち話をしていた奥様も、彼を見つけると「慧君、元気ー?」と手を振る。店の人も「よお、慧じゃねえか。ちょっと見ていけ」と誘う。九鬼先輩も、怖い顔ながら、それらに軽妙に返事をしていく。どうやら彼は、商店街の人気者のようだった。
 わたしと時澤先輩はその後ろを歩き、ときどき話しかけてくる人に挨拶を返した。驚くことに、多くの人がわたしがこの町に来たばかりであることを見抜いた。中には初日に迷子になってうろうろしていたのを見ていた人もいて、恥ずかしい思いもした。
 そして誰もが口を揃えて言うのだ。――慧ちゃんと知り合いになれたなら、この先安心だね。
「九鬼先輩は有名人なんですね」
「慧ちゃんが有名というより、この町の人が住民をよく覚えてるんや。新しく入ってきた人はすぐわかる。僕も去年は、今のまりちゃんみたいやった」
 噂がまわるのも早いから気をつけたほうがええで。時澤先輩がいたずらっぽく笑う。つまり、ここで悪いことはできないということだ。もしかしたら、わたしが迷っていたことも、みんなとっくに知っているのかもしれない。
 しばらくして、九鬼先輩が店に入った。入口の上に「竹村商店」という古めかしい看板がかかっている。レトロな外観に反して、中に入ると最近の規模の大きいドラッグストアのようだった。床も壁も、商品棚もきれいにしてある。食品や日用品がずらりと並び、ここなら大抵の物は揃いそうだ。
「あれえ、慧君じゃないか。今日は何が入用だい」
 この店の人とも九鬼先輩は親しいらしい。「俺じゃなく、こいつの用事」とわたしを指さすと、店の人は他の町の人と同じように、すぐに「おや、初めて来るお嬢さんだ」と破顔した。
「洗剤は置いてるよな。ハンガーとかどこだっけ」
「あっちの棚に何種類か置いてるよ。ハンガーラックも一緒にある。折りたためて便利だよ」
 引っ越してきた人の対応には慣れているのだろう。何が必要なのか、この店の人には全てわかっているようだった。わたしは教えてもらった通りに洗剤を選び、ハンガーをかごに入れた。大きいハンガーラックは九鬼先輩が持ってくれる。たしかに一人じゃ買い物は難しかったかもしれない。
 他にも日用品をいくらか、一緒にレジカウンターに持っていく。店の人が丁寧かつ素早くレジを打ち、出した値段を見て、わたしは目が飛び出るかと思った。頭の中で計算していた値段より、あまりに安すぎたのだ。
「あの、間違ってませんか。こんなに安いはずないですよ」
「初めて店に来た人は、こうやっておまけしてるの。また来てほしいからね、初回サービスだよ」
 またどうぞ、とクーポンを渡される。次回以降に使うと、一割引きになるそうだ。わたしがぽかんとしているあいだに、ハンガーラックの箱は九鬼先輩が、他の荷物は時澤先輩がそれぞれ持っていた。
「まだ買うのあるんだろ。次行くぞ、次」
「ありがとうございます。でもそんなに大きいの持って、大丈夫なんですか」
「次の店で預ければいい。この商店街じゃなきゃ、こういうことはできねえよな」
 お得だろ、と九鬼先輩が笑う。時澤先輩も「僕も去年は驚いたなあ」とのんびりとした笑みを浮かべている。商店街といい、不動産会社の社長さんといい、この町の人には「おまけ」が当たり前のようだ。
 九鬼先輩の言葉に甘えて、そのあとも食料品や日用品を買いこんだ。どの店の人も例外なく「おまけ」をくれて、わたしの財布には予想よりも多くのお金が残っていた。
「なんだか申し訳なくなっちゃいますね。これじゃお店が損するじゃないですか」
「これから通って、たくさん買えばいい。それを狙っての初回割引だからな」
「あとで初めて来たふりしても駄目なんだよね、すぐばれるから」
 これから通う。この町の人間として、通い続ける。ここにいる人たちの行動は、それを見越してのものなのだと九鬼先輩は言う。こんなにサービスされてしまったら、たしかに通わないわけにはいかないだろう。だいたいにして、住宅街の中のスーパーやコンビニを除けば、ここが一番近い買い物の場で、あちこちを見てまわる楽しみを得られる場所でもあった。
 買い物を終えてから、先輩たちが総菜屋でコロッケを奢ってくれた。三つ買ったら、一つおまけがついてきて、それもわたしが貰ってしまった。「初めてのお客さんだから」と店の人がコロッケを包みながら言っていた。勧められるままにその場でかぶりつくと、衣はサクサク、じゃがいもはホクホク、ひき肉はジューシー。時澤先輩がここのコロッケを好きな理由が十分すぎるくらいわかった。
「今日はありがとうございました。わたし一人だったら、こんなに一気には片付きませんでした」
「だから助け合うんだよ。俺はこの町が好きで、ここに来たやつにも好きになってほしいから、新入りにはすぐに話しかける」
 逃げられたけど、と口をとがらせた九鬼先輩に、わたしは慌てて「すみませんでした」と頭を下げた。するとその下げた頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。
「冗談だよ」
「もう、なにするんですか。髪ぐちゃぐちゃになったじゃないですか」
「僕が直してあげる。慧ちゃん、力いっぱい撫ですぎや」
 ああ、今のは撫でられていたのか。ぐしゃぐしゃにされすぎて、言われるまで気づかなかった。わたしの髪を直してくれる時澤先輩の手のほうがずっと優しくて、こっちのほうが撫でられているみたいだった。

 アパートに戻ると、引っ越し業者のトラックが停まっていた。業者さんがひっきりなしに、一階の階段に一番近い部屋に出入りしている。そしてその部屋、一〇一号室の前では男の子と在さんが談笑していた。――あのわたしの前では愛想笑いの一つもしなかった在さんが、笑っていたのだ。
「お、最後の一人だな。今回は茉莉花と、もう一人来る予定だったんだ」
「姿勢の良い男の子やね。たしか高校生って噂だよな」
 九鬼先輩と時澤先輩が、在さんと男の子に挨拶をしてから階段を上って行った。わたしも「こんにちは」と会釈をする。男の子は元気よく「こんにちは!」と返してくれ、在さんもこちらに頭を下げる。その表情は、男の子と話していたそのまま、微笑んでいた。昨日、わたしに接していたときとは別人のようだ。
「常田さんって、あんなふうに笑うんですね」
 部屋の前まで荷物を持ってきてもらってから、わたしは声を潜めて呟いた。すると九鬼先輩は当たり前みたいな顔をして頷いた。
「普通に笑うぜ。いつもは真面目に仕事してるから表情硬いけど、雑談すると楽しそうにしてる」
「新しく来た子とも、話が合ったんやね。いつも以上に盛り上がってはる」
 時澤先輩も柵からちょっと乗りだすようにして、にこにこしながら階下の様子を眺める。業者さんたちの声の中に混じって、二人分の笑い声が、わたしにも聞こえた。わたしのときにはなかった声だ。つい昨日のことなのに、何か月も前のことのように感じる。
「先輩たちがここに引っ越してきたとき、常田さんの様子ってどうでした?」
「大事なことは真面目に説明してたな」
「そうそう、必要事項は淡々と話すんよね。でも引っ越してきた理由の話になると、笑ってくれはる。トラブルあったらすぐ来てくれるし、感じ良い人やで」
 そうでしょうか、と言いたいのを呑み込んだ。時澤先輩がいうような人は、昨日わたしの前には現れなかった。一応在さんのお祖父さんだという不動産会社の社長さんと間違っていないかどうか訊いてみたけれど、たしかに在さんが担当だったという。社長さんは実際に不動産会社に行って会うか、メールでやりとりをするかしか関わる方法がないと、九鬼先輩も言った。そのメールがとても面白いということも。
「メールは正造さん……社長さんのほうが断然面白い。在さんのメールはガッチガチだな」
「でしょうね。本当に真面目なんですもん、あの人」
 わたしは時澤先輩の隣で柵に寄り掛かり、まだ男の子と話をしている在さんを見た。笑顔は爽やかだ。まさにわたしの好みそのものなのに、昨日は一度も見せてくれなかったその表情。
 わかっている。たぶん、わたしがこのアパートへの入居を決めた理由が「縁結びのご利益」にあったからだ。秋華さんも言っていたけれど、在さんはその手のことを意地でも信じない。そしてそんなことで簡単に物件を選んでしまうような人も、あまり好きではないのだろう。
 でも、ただの愛想笑いでもいいから、見せてほしかったな。溜息を吐きながら、わたしは部屋の鍵を開けた。
 荷物を部屋に入れてくれた九鬼先輩は、そのまま駆け足で階段に向かった。新しい住人と自分も話したいのだろうと、時澤先輩が言う。わたしに話しかけようとしてくれたように。わたしは逃げてしまったけれど、あの男の子はすぐに九鬼先輩とも打ち解けそうだ。
「時澤先輩。先輩も、九鬼先輩に話しかけられて仲良くなったんですか?」
 わたしが呼び止めると、時澤先輩はにっこり笑って首肯した。
「そう。隣に引っ越してきたから、挨拶くらいはせなと思って外に出たら、もうそこで待っとった。あいつのほうが二日くらい早く入居してたんや。同じ学校やし仲良くしよかって、握手してからはほぼ毎日部屋を行き来してる」
「やっぱり握手するんですね」
 それが九鬼先輩の挨拶なのか、と思うと、ちょっと面白い。見た目に反してフレンドリーなのだということは、今日一日だけでもよくわかった。あの人懐っこさを少しでも在さんに分けてくれたら、と思っていたら、在さんも誰かと笑って話せるという事実を見た。
 何が本当なのかわからない。腕組みをして唸るわたしに、時澤先輩が「大丈夫?」と尋ねる。
「まりちゃん、具合悪い? 今日いっぱい歩いたもんなあ」
「違うんです。怖いと思っていた九鬼先輩が実は怖くなくて、わたしにはちょっとも笑ってくれなかった在さんが普通に笑顔で会話してることに、混乱してるだけです」
「あー、まりちゃんには笑わんかったんか、在兄さん。あの人照れ屋だから」
 そんなふうに簡単に言って、時澤先輩は「またね」と自分の部屋に戻っていった。ありがとうございました、と見送って、わたしも部屋に入ってしまうと、しばらく静けさが落ち着かなかった。



礼大組揃いました。一日と書いてちはる君、思い入れのある子です。どうぞよろしく。
posted by 外都ユウマ at 11:19| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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