2017年04月02日

鬼の娘の帰宅

僕には娘がいたことがない。息子だって、実の息子ではなく、正確には甥だ。
女の子がうちにまったく出入りしなかったわけではない。なにしろうちは剣道場で、子供たちを集めて稽古をしている。その中には女の子だっているのだ。
それに昔は、――そう、だいぶ昔のことになってしまったけれど、僕には妹がいた。気は強く、けれども人嫌いで、この町も出られるようになったら出て行ってしまった妹。彼女はもう、生きてはいない。
そういうわけでこの家に女の子が住むことは長らくなかったのだが、このたび、新たに入居することとなった。
「本日よりお世話になります。よろしくお願いいたします」
育ちが良いことは、彼女を見ても、彼女の父――唯一の家族だった――を見ていてもわかる。大切にされてきた娘さんを、はたして僕が預かっても良いものか。
いや、もう議論はし尽くした。彼女の父親が家を手放してこの国を離れ、彼女がこの町に残ると決めた以上、住む場所は必ず必要だ。そしてそれは、妹が生きていればこの家だったかもしれないのだ。
園邑千花。彼女には僕と同じ血が流れている。彼女は、僕の姪である。

事情は少々複雑だ。そして多分、普通ではない。
僕が育てた甥、いや息子は、もとはといえば妹の子だ。僕の知らない人との間にできた子を、妹が連れ帰って、この家に置いていった。それからは僕の子として育てていた。
その次の年に、妹は事故で命を落とした。だが、その直前に出産していたらしいのだ。生まれたはずの子供がどうなったのか、それから十五年はわからなかった。しかし、本当はすぐ近くにいたのだ。
乳児は同じ町の夫婦の手に渡り、育てられていた。育ての母は早くに亡くなったそうで、父が一人で彼女の成長を見守り続けてきた。彼にとって、突然に授かった子は、大切な宝だった。
まさか僕の息子として育った海と、よその娘として育った千花さんが、高校で出会い恋愛関係になるなんて、誰も予想できなかったことだった。
海と千花さんは自分たちが本当は兄妹であるということを知ってもなお、付き合い続けることを選んだ。そしてあろうことか、大学を卒業し、父とも離れなければならなくなった千花さんを、僕のところに住まわせるという提案をしてきたのだ。
もちろん話し合いは、家族ぐるみで慎重に進めた。本人たちの意志が固く、改めるつもりなど全くないということがわかってしまってからは、僕も園邑さんも何も言葉を返すことができなかった。
元はと言えば、彼らが兄妹であることを知ってからも隠し続けた、僕らに非があった。子供たちは十分に悩み苦しんで、乗り越えようとしたのだ。
僕らはその責任をとらなければならなかった。これがそれにあたるかは、まだわからないけれど。

「千花さんにはこちらの部屋を使っていただきます。客間ですが、今日からはここがあなたの部屋ですから、自由にしてください」
この家は広い。空いていた部屋に彼女を通すと、「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、持参した荷物を広げ始めた。そして、ふと手を止める。
「先に運んでいただいた荷物は、どちらに?」
「ああ、まだ部屋に入れていなかったんです。先に入れておくべきでしたね」
「いいえ、あまりお手を煩わせてもいけませんから。どうせ本や洋服ばかりなので、とくに急ぐこともありません」
にっこりと笑う彼女は、妹に――葵に似ているような気もするし、そうでもないようにも思う。なにしろ葵が笑ったのを見たのは、子供の頃以来だ。まだ僕らの母親が生きていた頃。それは随分と遠い日で、僕の記憶にはほとんど残っていなかった。
千花さんはすでに二十二歳。今年で二十三歳になる。幼い葵の面影を重ねられないのも、当然のことだった。ただ、海によれば、声は似ているのだという。
海は葵を知っている。葵は人間としては死んでしまったけれど、鬼になってこの世に留まっているのだ。強くこの家と町を呪う、呪い鬼として。普段、彼女はこの家に封じられている。海は葵と関わることのできる鬼の子だが、彼女のことを憎んでいた。
それでも千花さんを選んだのだ。彼女を愛しいと思って。ずっとそばに置くつもりで。
「はじめ先生、どうかしましたか? まだ、私を住まわせること、迷ってます?」
我に返ると、千花さんが僕の顔を覗き込んでいた。僕は驚きを表さないようにして、首を横に振る。
「いいえ、なんでもありません。それより、先に食事にしましょう。手伝っていただけますか」
「もちろんです。私がお役に立てるかどうかはわかりませんが……」
料理は苦手で、と言う彼女に、大丈夫ですよ、と笑う。なんとか笑ったつもりだ。
千花さんは葵には似ていないかもしれない。けれども、母には似ているような気がした。

海はまだ学生だ。今年が最後の年になる。だから千花さんと二人の生活は、これから一年だけ。
そのあいだに慣れておかなくてはならない。僕も、彼女も。
道場をやっていることもあって、この家の生活は少々変わっている。それを千花さんに教え、僕も千花さんのことを知らなければならない。なにしろ今まで暮らしてきた環境が大きく違うので、生活の齟齬は必ず生じるだろう。
そう思っていたのだが、千花さんはすでに海からこの家のことをよく聞いているようで、家の前や道場の掃除のことも、多くの人が出入りする都合も、こちらが思っていた以上に把握していた。
「海さんのお部屋は掃除しておかなくて大丈夫なんでしょうか」
「したほうがいいけど、たまにでいいですよ。本人が触られたくないものもあるかもしれないので」
「触られたくないものって何でしょう? 興味あります」
そして僕に対しても、あまり遠慮がなかった。戸惑っているのは僕ばかりのようだ。
女の子にどう接していいかわからないので、千花さんが来る直前は須藤家に通い詰めて相談をしたりもしたものだけれど、そういえばそのたびに、春さんに叱られたっけ。
――はじめ先生、千花ちゃんなら大丈夫です。そんなに心配しすぎたら、千花ちゃんが過ごしにくいですよ。決めたのならしっかりしてください。
そう言う春さんは、すでに自宅に同居人を入れるための準備を進めていた。須藤さんの家も、春さんの結婚を機に環境が変わるのだ。早すぎるような気もするのだけれど、結婚。
「はじめ先生」
「はい、なんですか」
「先ほどから、度々遠い目をされるので。やっぱり、私が来るのはご迷惑だったのでは」
千花さんが申し訳なさそうに僕を見る。いけないいけない、春さんの言う通り、しっかりしなければ。僕が彼女と二人で暮らすのは、海が帰ってくるまでだ。それまで気を確かにして、落ち着いて対応していれば、きっと僕も慣れるはず。
「迷惑ではないですよ。葵が今も生きていれば、千花さんはここで育ったかもしれないんですから」
「葵さんが……。そうですね、葵さんは私を手放すためにこの家に向かう途中で事故に遭ったのでは、と言われているのでしたね」
いけない、話題を間違えた。僕が別の言葉を探していると、千花さんは何故かちょっと笑った。笑う要素なんて、どこにあっただろう。
「あ、すみません。実は以前、私も葵さんに会おうとしたことがあったんです。まだ葵さんが私を産んだ人だと知らない頃ですが」
知らなかった。それに、彼女は葵に会えるのだろうか。おそるおそる、僕はもう一度口を開く。
「……千花さんは、まだ鬼が見えるんですか。海のように」
「いいえ、私は高校生の頃にはほとんど見えなくなっていました。春ちゃんと同じです。たぶん、葵さんのことも見えないと思います」
親を亡くした子を、この町では「鬼の子」と呼ぶ。鬼が親代わりとなって、子供の前に姿を現すからだ。僕と葵もそうだった。小学生の頃に母を亡くし、しばらくは鬼が見えていた。
ただ、僕は高校生になる頃にはあまり鬼を見ることはできなくなり、葵は鬼を見続けていた。鬼を嫌っていた葵のほうが、鬼の子としての力は強かったのだ。その力はどうやら海に受け継がれたようで、海は二十四歳になろうとしている今でも、礼陣に帰れば鬼を見る。
千花さんは葵よりも僕寄りだったのかもしれない。ごく一般的な、年齢を重ねれば自然と鬼を見ることがなくなる鬼の子。兄妹だと力が偏るのだろうか。
「見えないとわかっていて、どうして会おうと?」
「海さんのお母さんだから、ですかね。あの人は頑なに認めようとしなかったけれど、血が繋がっているのはたしかです。私は、両親と血縁にありませんから。勝手に羨ましがっていたのかもしれません」
たとえそれが呪い鬼でも、千花さんにとって葵は海の母に違いなかった。けれども、海はそう思ってはいなかったから。
「会おうとして封印の部屋に行こうとしたら、怒られてしまいました。危ないからって」
「そうですね。……今の葵は、普通の人間が近づいても危険です。そうしてしまったのは、僕ですが」
葵の呪いは僕らが彼女の味方をしなかったから生じたものだ。彼女の悲しみを理解しようとしなかったからああなってしまったのだ。最初から葵についててやったなら……とは、何度も思ったことだった。
「はじめ先生のせいじゃない……なんて無責任なこと、私には言えません。でも、あんまり自分を責めていはいけないと思いますよ。だって、葵さんがこの町を恨むことがなければ、海さんや私はいなかったかもしれないんですから」
もう考えても仕方ないことです、と千花さんははっきり言った。僕よりも、海よりも、毅然とした態度。これは育て親のおかげだろう。
「千花さんは、葵を母親だと認めてるんですか?」
「産みの親であることはきっと事実なんだろうなと思っています。でも、私が母と呼ぶのは、私を育てると決めた人だけです。葵さんは、葵さんです」
そしてこういうところは、少し海に似ているな、と思う。

千花さんと二人の夕食は、静かなものになるだろうと思っていた。けれども千花さんがあれこれと話してくれたおかげで、寂しくはなかった。話題の引き出しが多いのは、ラジオに関わっている人間だからだろう。常に話すことを考えているのだ、この子は。
「千花さんはお父さんとも、こうしてお喋りを楽しみながら食事を?」
「それができればよかったんですけど。父は仕事が忙しくて、あまり一緒に食事をすることがなかったんです。ご飯はもっぱらお隣の、葛木さんのお家でいただいていました。お喋りが多いのも、葛木さん一家のおかげです」
そういえばそうだった。しかし、僕の失言を千花さんは気にせず、笑顔で応じてくれるのだった。そしてまた楽しい話を始める。海も、彼女との会話は楽しいだろう。
なにしろ僕も海も、あまり話すのは得意ではない。葵もそうだった。……いや、葵はきっと、言いたいことがあっても言えなかったのだろう。話す相手がいなかったのだ。
千花さんなら、葵と話せただろうか。まだ、彼女に葵が見えたなら。
「……千花さん。良かったら、葵の部屋の前でも、何か話してやってくれませんか。僕らにはできなかったことを、君なら……」
ずるいことだとわかっている。僕がこれまで逃げてきたことを、来たばかりの彼女に押し付けようとしている。それでも千花さんは、嫌な顔一つしなかった。
「お話しても、いいんですか? 葵さんと?」
「ええ、ぜひ。部屋の中は危ないので、外から話しかけることになりますが」
「もうあんまり危なくないって、春ちゃんからは聞いてますよ。呪いは弱くなっているって」
そうらしい。けれども、僕にはそれがわからないから、正しい判断ができない。それに葵は、まだ僕を恨んでいるはずなのだ。
「……ねえ、はじめ先生。一年かけて、一緒にやりませんか」
「一緒に?」
「葵さんの呪いを弱めるんです。一緒にお話するんです。お兄さんのあなたが、諦めちゃだめですよ。それじゃあ、葵さんが生きてた頃の繰り返しになってしまいます」
千花さんが微笑む。この子は、どこまで知っているんだろう。きっと春さんや海が、話せることは全て話したのだ。そうして千花さんは、進道の家に入ることを決めたのだ。
「この町には鬼がいる。……人が不慮の死によって鬼と成り、第二の人生を生きる。やり直しがきくんです、それを利用しないでどうするんですか」
可愛らしく儚い、花のような外見で、なんてしたたかな子だ。
彼女は確かに礼陣の子だった。
「だから、一緒にお話しましょうね。一年かけて、ゆっくりと」
彼女の存在で、進道の家は変わる。臆病だった僕らを、彼女が支えてくれる。
僕は彼女を支えられるよう、この家の長として、立っていなければならない。海が帰ってくるまで。

進道家に、この家の血を引く女性が帰ってきた。



進道家の人は他人に何かを求めすぎていやしないだろうか。
鬼と接する人々を書くのが難しいな、と感じます。何かぱーっと空気を換えなければ。

お久しぶりです。しばらく空けていましたね。気がつけば今年も四分の一が過ぎていました。
にごらず世代がみんな社会人になる四月を迎え、なんだかみんな大人になってしまったなあ、としみじみ思います。
これからの町を動かしていくのは彼らになるのでしょうが、さてさて。
posted by 外都ユウマ at 15:47| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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