2016年12月17日

鬼の町で縁を結べば

年の瀬の礼陣駅前交番は、だからといって急に忙しくなるということもなく、やつこにとっては至って穏やかなものだった。先輩などはみかんを食べながらラジオを聴き、「北市女大の子はお淑やかなだけじゃなくて声まで可愛いよね」と嘯いている。
「でもやっぱり、夏までパーソナリティーしてた四年の子が好きだったなあ、僕は」
「千花さんのことだったら、正式にラジオ局のアナウンサーになるって噂です」
「じゃあ、そのうちまた声が聴けるね。楽しみだなあ」
間延びした口調と全体的に丸いフォルムが特徴の先輩だが、礼陣で生まれ育ってこの町の事情にも詳しい、頼れる人なのだということをやつこは知っている。今はみかん食べてるけど。これで三つめだけど。他にもこの交番に出入りする警察官はいるけれど、やつこの教育係ということもあって、一緒にいる時間が長いのはこの人だ。
「十二月って、よそは大変だって聞きますよね。イベントが多いからかな」
「十二月に限らず、この町が平和すぎるんだよねえ。高齢者を狙った詐欺とかも被害は少ないし。空き巣は物を盗む前に転んで気絶するし」
後者は鬼の仕業だな、というのが礼陣駅前交番に勤務する人々の見解だ。こういう結論になってしまうのが、この礼陣という町なのだ。事情を知っていなければ、上手に安全を守ることはできない。
礼陣には鬼がいる。不思議な力を持った、普通の人には見えない存在だ。だが町全体がその恩恵を受けていて、人々はその存在を信じている。よそから来た学生すらも、いつのまにか地元の人間にその存在を刷り込まれるのだから、見ようによっては恐ろしいかもしれない。けれどもやつこや先輩が生まれ育ってきたのはそういう環境で、研修などで外に出る機会でもなければ、それが世間一般の常識からかけ離れたことであると意識せずに過ごしてしまう。
よそから見れば「礼陣は特殊な土地だから、地元のやつしか勤務できない」ということらしく、この交番にもなかなか新しい風は入ってこない。吹き込むのは冬の乾いた風ばかり。
しかしそうかと思って油断していれば、まったく予想もしない訪問があることも、ときどきはある。

「すみません、道を尋ねたいんですが」
交番の戸をからからと開け、見たことのない女の子がこちらを覗き込んだ。結って肩から胸におろした髪には朱色のシュシュ。もう片方の肩にはオフホワイトのボストンバッグ。
初めて見る顔というだけで、この町ではすぐに山の向こうから来たのだとわかる。加えて道を知らないとなれば、大抵は旅行者だ。それにしても、少々時期がずれていると思うが。
「はい、どちらへ? 寒いでしょうし、話は中で聞きますよ」
近付いて分かったが、身長はやつこよりほんの少し低い。それこそ先ほど先輩と話題になった「来年アナウンサーになる千花さん」に雰囲気が似ている。
「可愛いねえ」
先輩のそんな呟きが聞こえたような気がしたが、たぶんラジオにだろうと思って知らないふりをする。もちろん、目の前のこの人も、十分に可愛いが。
「先輩、わたしお茶淹れるんで、対応を」
「いや、僕がお茶淹れてくるよ。やっこちゃんのほうが話しやすいだろうし」
それは助かる。やつことしても、先輩以外の人と話をしたい気分だった。女の子を座らせて、自分も椅子に座り直す。
「ええと、道ですよね。どこに向かわれるんですか?」
「……神社に。礼陣神社を探しに来ました。鬼だか神様だかがいるって、噂を聞いて」
やつこが尋ねると、女の子は微笑みを浮かべてそう言った。後半のほうは少し言いにくそうだったけれど、ここではなんでもない理由だ。
「神社は駅の裏の商店街を、東側……入口をくぐったところの右側の道を真っ直ぐ行くと石段に辿り着くので、その上です。商店街までご案内しましょうか」
礼陣の町のシンボルともなっている大きな鳥居は、駅からでも見ることができる。けれども実際にどう行けば辿り着くのかは、歩いてみないとわからないだろう。旅行者にはよくあることだ。
「駅の裏ですね。ありがとうございます。自分で行ってみます」
「あと、鬼はいますよ。ここで鬼って呼んでるだけで、まあ神様に近いものかなとわたしは思ってます」
やつこが言い添えると、女の子は目を丸くした。まさかこちらにまで回答をもらえるとは思っていなかったようだ。やつこたちにとってはいつものことだが。
「神社にいます。もしかしたら寒くて引きこもってるかも。若い人間の男の人みたいな姿なので、会うだけじゃなかなか信じられないかもしれません」
「男の人……ですか」
女の子が小さく息を吐く。それから少し迷ったような表情を見せて、先輩がお茶を持って来ると同時にまた口を開いた。
「女の子は、いませんか。小さな女の子の神様。手のひらにのるくらいの……縁結びの神様は」
意を決したような顔と口調に、今度はやつこが驚く番だった。

縁結びの神様が礼陣にいる、という話は聞いたことがない。鬼はあらゆる物事をできる限り叶えようとするが、それは明確な役割を持っていないということでもある。しいていうなら、子供を守る神様だ。彼らは子供を最優先する。
縁結びに興味がありそうな鬼は、話だけならやつこもいくらかは聞いていて、心当たりがないでもない。けれどもよそにまで名を轟かせるほどではなかったと思うし、「手のひらにのるくらい」という条件には当てはまらない。
そもそも女の子の言う神様は、あまりに具体的だ。
「沙良ちゃんなら知ってるかも……だけど、まだ学校の時間か。神主さんに直接聞いてみるしかないかな、これは」
「あ、わからないならいいんです。ここは神様がいるって話を聞いたもので、そういう子もいないかなって思って」
いたとしても、この人に見ることができるのだろうか。いや、具体的な特徴は知っているから言えることだ。特別な能力を持っている人はたまにいるから、そういう人なのかもしれない。
「……変だと思わないんですか、私の話」
女の子が今更訝し気にやつこを見る。
「思わないです。この町は鬼がいることが常識だし、わたしも昔は見えたので。あなたもそういうのが見える人ですか?」
笑顔で尋ねると、女の子は首を捻る。
「見える人、とはちょっと違います。その神様とだけ、ほんの一時期交流があったんです。私の願いを……縁を結んでくれた、小さな神様で。三つ願いを叶えたら、その人の前から姿を消すという約束があって。私は偶然、その子と会ったんですが……気がつけば、もう随分と昔の話ですね。小学生の頃です」
こちらがこの手の話を解するとわかって安心したのか、女の子はすらすらと話してくれた。条件から鬼ではなさそうだと、やつこは判断する。そもそも礼陣の鬼は礼陣から出られないので、山の向こうから来たであろう彼女と面識があるはずはない。
けれども捜し人、いや捜し神には協力したかった。その縁結びの神様とやらがこの辺りを訪れている可能性はゼロではない。鬼の長である神主なら、鬼以外の「人ならざるもの」とも接点があるはずだ。このまま「神社の神主さんに訊いてみればいいですよ」と送りだすこともできるが……。
そわそわし始めたやつこに、先輩は笑って言った。
「いいよ、やっこちゃん。その人案内しておいで。この件は明らかにやっこちゃん向きだ」
「ありがとうございます!」
先輩に向かって勢いよく頭を下げたやつこに、女の子は驚いたようだった。けれどもやっぱり面白かったのか、クスリと笑った。


女の子が、戸田ひかりといいます、と名乗ったので、こちらも根代八子ですと返した。聞けば同い年だというので、商店街入口に差し掛かった頃には、もう「ひかりちゃん」「やっこちゃん」と呼び合っていた。
「やっこちゃんは高校生まで鬼が見えてたんだ。いいなあ、交流が長くて」
「鬼とだけね。ひかりちゃんは、本当にその……えんむすびちゃん、と会ったのは一度だけ?」
「うん。三つめの願い事を叶えてもらってお別れしてからは、一度も会ってない。それに私にだけ見えてた存在だから、人に話し難くて。唯一話して信じてくれた近所のおばあちゃんは、先日亡くなったし」
白い息が空気にとけた。だからかな、というひかりの声とともに。
「知ってる人がいなくなっちゃったから、本当にいたんだってことを確かめたくなったのかも。ネットで色々探して、辿り着いたのがこの町だった」
「……でも、ここは」
「そうだね、やっこちゃんの話聞いてわかった。ここには鬼しかいない。だからえんむすびちゃんはきっといない」
縁結びの神様、呼び名をそのまま「えんむすびちゃん」。どうやら神様本人がそう呼んでほしいといったらしい。縁を結ぶという方法で人の願いを叶える、手のひらサイズの可愛い神様。
やつこには全く心当たりがないが、でも。
「立ち寄った可能性はあると思う。神主さんのところ、たまに鬼以外の神様が来るみたいなんだ」
ひかりの記憶にあるのなら、えんむすびちゃんはいたのだろう。そして今でもどこかにいる。この町じゃなくたって、世界のどこかには。
「ありがとう。でも、会えないなら会えないで、それも仕方ないって思ってるから。あの子はきっと、誰かの縁を結ぶのに忙しいの。ちっちゃくても神様だもの」
にこ、と笑ったひかりは、髪をまとめているシュシュに触れながら続ける。
「あの子の結んだ縁、すごいんだ。私は親戚でもないのに、おばあちゃんの最期を看取ることができた。小学生の頃に片思いしてた男の子とは、今でも仲の良い友達で、大学も同じ。おばあちゃんの家の近所の人たちは、会えば声をかけてくれる。お葬式もそんなに困らなかったな、みんながおばあちゃんのためにって集まったから」
永くて良いご縁でしょう、と誇らしげに胸を張るひかりに、やつこは頷く。えんむすびちゃんの力は本物で、それからひかりの人との縁を大事にする気持ちも大きいのだと感じた。
商店街の東端が近づき、和菓子屋とその向こうの石段が見えてくる。あそこ、とやつこが指さして示すと、ひかりはそれを確かめてから、視線と上へと向けた。大きな鳥居が迫っている。
「赤くないんだね、鳥居。黒?」
「濃い深緑なんだ。昔からそうだったのかはわからないけれど」
へえ、という返事に、明るい電子音が重なった。ひかりが自分のポケットから慌ててスマートフォンを取り出し、やつこに「ごめん」と告げてから呼び出しに応じた。
「はい、戸田です。……あー、うん、今日は休んじゃった。申し訳ないんだけど、あとで弘樹君のノート見せてくれるかな。後で詳しく話すけど、調べた町に来てみたの。もう神社の目の前」
通話を聞くのは悪いと思ったが、やつこの耳にも「本当に行ったの」という声が聞こえた。どこか呆れたような、しかし諦めてもいるような。
「なんだか落ち着かなくて。大丈夫、ちゃんと帰るから」
それから何度か返事をして、ひかりは通話を終えた。やつこに困ったように笑ってから、「さっき言った男の子」と教えてくれた。
「付き合いは長いし、えんむすびちゃんのこともちょっと話したことがあるんだけど、こっちはおばあちゃんと違って簡単に信じてはくれなかったんだよね。二人ともファンタジー小説が好きだったからかな、本の話と混同されてるみたい。私と一緒にこの町のことを調べてくれたけど、たぶん、おばあちゃんがいなくなって寂しがってる私を放っておけなかったんじゃないかな」
昔から優しい人だから、と言いながらも、ひかりはどこか残念そうだ。自分のほかにあともう一人、あの神様の存在を信じてくれたらいいのに。そう思っているのはすぐにわかった。やつこも一時期礼陣を離れていたときに、似たような気持ちを抱いたことがある。
「でもここにはやっぱり来るべきだったんだよ、私は。来なくちゃ、やっこちゃんに会えなかった。これも縁だよね」
「そうだね、これも縁だ」
もしかしたらあの子が導いてくれたのかも、と少し声を弾ませて、ひかりは石段を上り始めた。

境内は静かなものだった。まだやつこに鬼が見えたなら賑やかだったのかもしれないが、今では気配も感じられない。寒々しい境内は、しかし、初めてここに来たひかりにはどのように見えているのだろう。
「思ってたよりちゃんとした神社だね。設備とか」
「昭和後期に直したものや新しく作ったものもあるよ。できたばかりの頃は、鳥居とお社だけだったみたい。神主さんはたぶん社務所にいる」
「待って、やっこちゃん。ちゃんとお参りしたいな。せっかく来たんだし」
そういえばやつこも、しばらくきちんとしたお参りはしていない。ひかりと共に冷たい水で手と口を漱ぎ、拝殿に向かった。
拍手を打って、手を合わせていると、鬼たちと交流があった頃のことを思い出す。ひかりは何を思っているのだろう。ちらりと横顔を見たけれど、さすがに心を読むことは今も昔もできない。
「やっこさん」
拝殿に向かって一礼したところで、名前を呼ばれた。礼陣の人には耳慣れた穏やかな声だ。
「お久しぶりです、神主さん。……なんか、会うといつもお久しぶりになっちゃいますね」
「お仕事があるんでしょう。お隣は?」
そうだ、紹介をしなければ。口を開きかけたやつこを、けれどもひかりが遮る。
「はじめまして、戸田といいます。ここの神主さんですか?」
「はい」
「鬼、なんですか?」
「そうですよ」
なんでもないことのように、つまりはいつものように、神主は返事をした。ひかりは息を呑んだようだったが、すぐにまた尋ねる。
「教えてください。ここに、縁結びの神様が来たことはありませんか」
やつこも初めて聞く、今日で一番真剣な声だった。神主は少し首を傾げながらひかりをみていたが、やがて眉を少し下げた。
「すみませんが、会ったことはないです」
「そうですか……」
「けれど、あなたが神と関わった人間であることはわかりますよ。左手の小指から、いくつもの縁が伸びているのが私にも見えます。わざわざ縁に目印をつけるということは、よほどあなたと関わりが深いのでしょうね」
はっとして自分の左手を見たひかりを、やつこは目で追う。神主はさらに続けた。
「……なるほど、幸せ笑顔、ですか。あなたは、縁を結んでそうなれましたか?」
「どうして。会ったことないって言ったのに、あの子の……えんむすびちゃんの唄を、知っているんですか」
「糸に書いてあるんです。その神があなたのことを大切に思って刻んだ、これからも幸せであるようにとの願いです。随分仲良くなったんですね」
丸く見開かれたひかりの目が、細くなり、閉じた端から涙が零れた。夢じゃなかった、と呟いて、左手でそれを拭う。
「あの子は、本当に縁を結んでくれたんですね。あの子のおかげで、私、ずっと幸せでした。笑顔でいられました」
「それは何よりです。私たちにも願いはあります。それが叶っているなら、どんなに嬉しいことか」
「だったら、これからも叶え続けなくちゃいけませんね。あの子を信じて」
泣いてたらあの子が困っちゃう。
ひかりがしっかりと前を向いたのを、やつこは微笑みながら見ていた。

そのままひかりが駅へ向かうのを、やつこは見送ることにした。どこかに泊まるつもりで持ってきたボストンバッグは、今回は出番がないようだ。
「地元に戻って報告したいこともできた。友達にも、またえんむすびちゃんのこと話してみる」
「フィクションじゃないことは、うちの神様のお墨付きだからね。えんむすびちゃんとの記憶、これからも大切にして」
「うん。ここで結んだ新しい縁もね。縁を結べば幸せ笑顔、なんだよ」
左手の小指を撫でながらひかりは心底幸せそうに笑った。
やつこも笑い返し、また会うことを約束した。今度は賑やかな夏にでも、と。私は冬も大好きだよ、とひかりは列車に乗り込む。
ドアが閉まる前、やつこは光る糸を見た気がした。ひかりの左手の小指から伸びたそれが、自分の左手へ繋がっているように。一瞬のことだった。だが。
「……これも縁、だね」
見間違いではないと、やつこは信じている。



突然ですが今年最後のお話です。来年の目処もまだ立っていないので、またいつか。
やつことよそから来た子のお話です。戸田ひかりとえんむすびちゃんの物語はこちらから。もう数年経つんですね。
今年はお話が少なかったのですが、結末に辿り着くことはできました。
新しい何かを見つけなければなりませんね。
posted by 外都ユウマ at 18:29| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: