2016年12月10日

ひとり遊び思考

早いものでもう年末ですね。今年も本を選んで紹介したりする予定です。とはいえぎりぎりまで読むし悩むと思いますが。今年は特に。
その前に、しばらくお話も載せていませんでしたし(別館に集中していました。本館も年内に一話くらいやりたいです)ちょっとどうでもいい話置いときます。

ひとり遊びが得意です。昔からそうなのです。母曰く、宙に向かって一生懸命何かを語りかけようとしている、そんな幼児だったようです。
一人でブランコに乗っているところを幼稚園の先生に声をかけられた記憶がまだ残っています。
「なにしてるの?」
「お空の雲さんとお話してたの」
私は話しかけられるまで、本当に空に向かって相槌を打ち続けていたのでした。
「一緒に遊ぼう」と同級生に言われて、「今日はひとりで遊ぶから」と答えたことも何度もあります。幼稚園児なりにひとりで遊ぶことへのこだわりがあったのかもしれません。
とにかく、そのとき自分の頭の中にある設定を、他人が入ってくることによって崩されるのが嫌だった。今でもその傾向は変わっていません。(自分のスケジュールを狂わされると混乱する、他人に急かされると焦りからもともと低い能力がさらに低下するなど。外で働くうえで折りあいつけるのに苦労しています)
他の子と遊ばずに好きな本を読んでいても、とくに気にされなかったからということもあったのかも、と今は思います。弟たちや妹を見ていると、私は特に私のような子供に寛容な環境で幼少期を過ごせていたような気がします。少なくとも「同級生と遊ぶことよりひとりでの読書を優先していたら心配された」という記憶はないので。それとも私が気づいていないか、都合よく忘れただけでしょうか。
友人がいなかったわけではありません。小学生からの付き合いが今でも続いている人もいます。そういう人って、だいたい適切な距離を上手に置けていた人ですね。物理的なり気持ち的なり。

ひとり遊びといいつつも、遊び相手はいます。先ほどの「雲さん」のような自然のもの、着せ替え人形、ぬいぐるみ、読んでいた本の登場人物(夢小説も中学生くらいのとき書いてたな)、自分が作りだしたキャラクター。
ものを使うこともありましたが、基本的には得た知識と私一人の頭があれば、遊ぶのには十分だったのです。
脳内会話は当たり前、「ひとり」の私に常にツッコミと叱責と励ましをくれるのは、私の頭の中に昔からいる、亜矢と名付けた相棒です。私の本名候補の一つだったものからとりました。この相棒と離れることはないので、私はしょっちゅうひとりですが孤独だったこともありません。

友達がいらないわけではなく。みんなでやらなければならないことがあるということも知っている。ただ自分のペースとスペースを守れたほうが何かとやりやすい、というなら誰だってそうなのでは。
ひとり遊びは自分のペースとスペースを守ると同時に、行いを反省することと今後の自分のあり方を考えることでもあります。他人のことを全く考えないわけではなく、外部からの刺激の処理と対応のためにひとり遊びを必要としていることもあります。相当真面目に真剣に遊んでます。
そういう人って私だけではないのでは? と思うようになったのはここ十年くらいでしょうか。
人によっては相手をするのが面倒でしょうし、それで離れていくならしかたない。
味方がいくらかいたほうが世の中わたりやすいのは承知の上で、私はこれからも生きている限りはひとり遊びを続けていくのだろうなと思います。
posted by 外都ユウマ at 17:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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