2016年04月30日

文章収納しました

今月のお話をサイトギャラリーに収納しました。
久しぶり過ぎて勝手がわからなくなるところだった……。
内容は以下の通りです。

「新学期、ここから。」
礼陣2016リアルタイム祭りスタートです。
井藤ちゃんと黒哉は詩絵とか健太とかあたりを介して絡みそうだったのに、ちゃんと相手を認識して話をするのは初めて……というわけでした。
井藤ちゃんの在任がいくらなんでも長すぎでは。
「旅の人 春」
須藤家の人々について。今まで言及こそしてきませんでしたが、春の祖母は生きていますよ、というお話。
智貴とはじめの話はもうちょっと掘り下げていきたいんですけどね。
続くお話は、もともと一本になるところを、繋がりを考えて分割したものです。
「礼陣駅前交番より」
リアルタイム祭り、やつこ編。こちらも元気にがんばります。
彼女のプラス思考の一方で、町およびその周辺を取り巻く、薄気味悪い事情も書いておきたかったのでした。ある意味での差別と言いますか。
差し入れエピソードは、持ってきても公務員だから受け取れないしなあ、とかいろいろ考えて結局ああなりました。
「これから呼ばれる」
リアルタイム祭り、大助と亜子編。一力一族が増えました。おめでとう。
もうずっと今年を狙ってきてました。成長した大樹がどんな子供になるのかも、いくらかは想像しています。
一力家をこれからも見守ってくだされば幸い。
「鬼使い、街駆けて」
リアルタイム祭り、というよりかねてより構想と序盤の文章を放置していたものをリアルタイムに合わせました。現鬼追い沙良をよろしくお願いします。
彼女が引っ越してきたあたりまで遡って、エピソードを追加していきたいところ。
一方で美和の話でもあります。大鬼様と同じくらい親しまれるのが密かな目標。いや全然密かじゃない。
「安居酒屋に屯する・4」
リアルタイム祭り、連編。
続きものではありませんが、飲み会シリーズということで。今回のお店は礼陣駅前の居酒屋さん。
以降黒哉がやたらと人を飲みに誘うかもしれませんが、だいたい井藤ちゃんのせいです。連を通じて新人さん応援を、と思ってたのですが、あんまりがんばれって感じではないですね。
「旅の人 冬終わり」
ほぼほぼリアルタイム祭り、ねじ込み感ありますが今年2月末から3月あたりです。須藤家の事情続き。
自分の選択を拗ねるような春のばあちゃんと、新はこれからも付き合っていくことになるんでしょうね。彼も苦労の多いこと。
母方祖父母については春自身が忘れていることがいくつかあるので、それはまたいつか。
「反省のない懺悔」
礼陣ではないものをひとつ。去年の末か今年の頭に書いて、ずっと放置していたものです。

以上8本でした。3月はまるっと書いてなかったので、調子を元に戻すのがなかなか難しい。そういったわけで今月は短いお話をぽつぽつと打ちだしていく、それもリアルの時間にできるだけ合わせて、という試みから再スタートとなりました。
次の月は時間をかけて1本とかになりそうです。いや、2本かな。
posted by 外都ユウマ at 13:13| Comment(0) | 更新履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

旅の人 冬終わり

大学の春休みは長く、しかしながらぼんやりしていればあっという間に終わってしまう。二月の終わりから三月の下旬まで礼陣に帰ってきていて、すっかり慣れた須藤家に入り浸っていたら、いつのまにか一旦独り暮らしをしている大城市のアパートに戻らなくてはならない日が迫っていた。
とはいえ県内なので、履修登録とガイダンスだけを済ませたら、またすぐに帰っては来られるのだけれど。いや、だからこそのんびりしてしまうのか。とにかく今日も新は、須藤家の居間で寛いでいた。一応は、礼陣とその周辺の企業の情報など眺めながら。就職活動開始の時期が近いのだ。
今年は情報公開から募集、採用までの期間が最短という情報もあって、学生も企業もすでに活動解禁に向けて準備を進めている。新の狙いは礼陣に帰って来ることで、それはこの家の主であり新の恋人である、春と一緒に暮らすためだった。春が町を出ることは、まずない。
ところで当の春はというと、留守を新に任せて出かけている。先ほど煮物を仕込もうとして、「醤油買ってくるの忘れてた!」と叫び、財布とエコバッグを引っ掴んで飛び出していった。もう一人の家主、春の祖父は、出来上がった工芸品を納品しに行っているので、その前からいない。一人で残ってもらっても何の問題もないと、すっかり信用されている新なのだった。
とはいえやはり一人だと手持無沙汰なので、資料を座卓に広げているという状態である。とりあえず、中央地区と南原地区に会社が集中していることと、礼陣にあるその多くが地方営業所や支店、あるいは個人経営の規模の大きくないものであることはわかった。それなりの収入を得たいなら、礼陣にはない本社から攻めるべきだろう。
考えているうちに、ふあ、と欠伸が漏れた。花の咲く時期が近い、この季節の日差しはなんとも気持ちが良い。若干冬の寒さを残しているところが、またちょうどいいのだ。春が帰ってくるまで少し昼寝でもしようか、と座卓の上に組んだ腕に顔をうずめようとした、まさにそのときだった。
玄関の引き戸が、がらりと無遠慮に開く音がした。それを追うように、「ただいま」の声。だが、それは春でも祖父でもないようだ。新が聞いたことのない声と、靴を脱いであがりこみ、廊下を歩いてくる足音。突然のことに動けずにいた新の前に、その人は大荷物とともに姿を現した。
「ん、あんた誰だい?」
怪訝な顔をする年配の女性に、新は思った。そっちこそ、誰だ。けれども言葉にならなかった。口をぱくぱくさせているあいだに、女性は合点がいったというように握った右手で左の手のひらをぽんと叩く。
「ああ、そうか。春の彼氏だね。実物は随分と男前だこと」
にやりと笑った女性に、いたずらを思いついたときの春の企み顔が重なった。

新がとりあえず茶を出すと、女性は荷物をほどきながら言った。
「客なのに悪いねえ。というか、かなりこの家に通ってるね? 勝手知ったるなんとやら、じゃないか」
「……ときどき、春の台所仕事を手伝ったりするので」
緊張しながら、座卓を挟んで女性の向かいに座り、新は広げていた資料を片付けた。すると空いた場所に、女性が苺のパックを無造作に置く。それから新に向き直り、どこか不敵に微笑んだ。
「あらためて、はじめまして。血縁上は春の祖母、ということになるかね」
それはさっきも聞いた。新が「誰ですか」と絞り出した問いに、彼女は「この家の婆だよ」と返事をしたのだ。――春には祖母もいないものかと思っていたので、新は今、とても驚いている。春の両親は事故で他界したと、中学生の時に聞いていたが、祖母についてはこれまで一度も話題にならなかった。そういえばいなかったなと、さっきようやく思い至ったところだ。
「はじめまして。入江新と申します」
なんとか名前を告げると、春の祖母だというその人は、頷きながら「知ってるよ」と言った。
「春から写真付きでいろいろ報告があるからね。いないあいだの事情も少しはわかる。……本来なら、いない、なんて状態がおかしいんだろうけど、私は動かずにはいられない性分でね。いろんなところを旅しては、ときどきこの家に帰って来るような暮らしをしているのさ。あの子の祖母としては失格だって自覚はまあ、あるよ」
「そうだったんですか……」
どうやらこの人は、自由奔放という言葉だけでは足りないくらい、自分の本能に忠実な人らしい。よくよく聞いてみれば、実はもうこの家の人間でもないという。春の父が中学生になる前に、離婚しているのだそうだ。しかし、よく初対面の若造にこうも事情を話せるものである。
そう考えていたのを見抜かれたのか、祖母はにやりと笑って継いだ。
「あんたはどうせ、春の婿さんになるんだろう。知っていたほうが、あとで驚かずに済むじゃないか」
「今、この瞬間、とても驚いてますけど」
思わず正直に答えると、祖母は「だろうねえ」と豪快に笑った。それから茶を啜って、「ぬるいね」と呟いた。
「もう大学の……四年になるんだろう。春との付き合いも短くないんだから、この家の事情をいくらかは知っておいてもいいと思うね。春もじいさんも、気が向かないと喋らないだろうけど」
「そうですね。ご両親が亡くなったことは知ってましたけど、それだけでした」
「親がいないことくらいは、この町ではなんでもないことだからね」
そうなのだ。礼陣の町には、親のいない子供が少なくない。そういう子供は鬼の子と呼ばれて、町全体でサポートするための基盤がある。春も町が給付する奨学金などを利用して学校に通っているし、それ以外の生活も近所との付き合いを密にすることで補っている。だから自由業の祖父と二人暮らしでもやっていけるのだ。
「なんでもないことだけれど、当然苦労はある。それを助けてやらなかった辺りは、私はあの子の祖母として失格だし、あの子の父親の母としてもだめだ。鬼に喰われないのが不思議なくらいさ」
「それ、子供を大事にしない大人に使われる言い回しですよね。鬼に喰われる。……春は不幸そうでも寂しそうでもないので、いいんじゃないでしょうか。もちろん、おばあさんが不必要って意味ではなく」
「そうかねえ」
祖母は目を伏せ、すっかり冷めた茶を律儀に飲んだ。それからおもむろに苺をとって、新にも勧めた。されるがままに食べた苺は、どこのものなのか、程よく甘酸っぱかった。
一つ食べ終わったところで、祖母は新にまた不敵な笑みを向けた。
「ところであんた、春に心底惚れてるらしいね。あの子のどこを好きになったんだい」
「笑顔に一目惚れしました。それから、優しくてしっかりもので、手先が器用なこととか知って、もっと好きになりました」
これくらいのことなら、新は照れずに言える。当たり前のことだからだ。祖母は感心したようだった。それが新の態度になのか、返答の内容になのかは、よくわからなかったが。追究する前に、玄関が再び開けられたのだ。
「ただいまー。……あれ? もしかしておばあちゃん来てる?」
廊下を駆けて居間に入ってきた春は、手にエコバッグを下げたまま目を見開いた。祖母はそんな春に、「久しぶり」と手を振る。
「彼氏に留守を任せるなんて、大したもんだね」
「おかえり、おばあちゃん! もう、事前に言ってくれればっていつも言ってるのに」
「私がそんな性格じゃないってことは知ってるだろう」
「そうだけど……。新、おばあちゃんの相手するの大変じゃなかった? いつも突然来てすぐ帰る人だから、なんとなく教えそびれちゃって」
「うん、おばあさんから聞いた。あと苺もいただいてる」
新がパックを差し出すと、春は苺を一つ摘んで、へたをとって口に放り込んだ。美味しいものを食べたときの幸せそうな笑顔になると、いつもそうしているように、新の隣に座る。
「ええと、私のおばあちゃん。おじいちゃんとは離婚してるけど、ときどき帰ってくるの。年に二回くらいかな」
「それもおばあさんから聞いたよ。面白い人だな」
「そうでしょ。私の自慢のおばあちゃんなんだよ」
嬉しそうに胸を張る春と、嬉しそうに微笑む祖母。こうして二人揃えば、やはりどこか似ている。春は母似で、祖母は父方というから、そっくりというわけではないのだけれど。――そういえば、父方はこれでわかったが、母方の祖父母はどうしているのだろう。ふと湧いた疑問を、新はそのまま口にした。
「そういえば、もう片方のおじいさんとおばあさんは? こちらは父方だろ?」
「あ……それは、ね」
すると春は、あまり見ない表情をした。困ったような、戸惑うような。答えあぐねるような質問だったのかと思って取り消そうとした新を、しかし祖母が制した。
「春、この際だから全部説明しちまおう。いつかは知れることだよ」
「そう、だね。……あとで困るよりは、今説明した方がいいのかもね」
今ならおばあちゃんもいるし、心強いや。そう呟いて、春は新に向き直った。唇が少し震えている。言いにくいなら無理しなくていいのに、と思ったが、言葉が来るのが早かった。
「母方の……神崎の家のおじいちゃんとおばあちゃんは、何の報せもないからたぶん元気なんだと思う。はっきりしないのは、向こうがあんまりうちと連絡をとりたがらないからなんだ」
「どうして……」
「折り合いが良くないから。お父さんとお母さんの事故以来、ずっと」
それは春ができる限りの説明で、たしかにこのままいけばいずれ新も知ることになったであろうことではあった。

春の両親は飛行機事故で命を落としている。春がまだ四歳の頃で、両親も若かった。二人とも初めての海外旅行だったそうで、春はまた今度一緒に行こうね、と祖父に預けられた。そうやって羽を伸ばしてきたらどうかと、勧めて手配したのは、春の祖父母だった。
特に旅行慣れしている――というよりそのときにまさに旅の真っ只中だった――祖母の立てた計画は、完璧なものだった。帰りに悲劇が起きなければ。
速報で事故の情報がもたらされてすぐに、母方の実家である神崎家から電話があった。もともと娘を大事にしていて、手放すのも惜しんでいたその人たちの困惑は激しく、追ってやってきた悲しみは深かった。詳細が明らかになり、誰も生き残れなかったと知ると、娘を死なせたのは須藤家の人間だと詰ったという。春の目の前で繰り広げられたその場面は、昔のことなのに、夢に見ることもあるそうだ。
「誰のせいでもないんだけど、誰かのせいにしないとやってられないことだってあるよね。そうでもしなきゃ、悲しくて壊れそうだったのかも」
俯いたまま語る春が見ているのは、それ以来会ってはいない、当時の神崎夫妻なのだろうか。事故のあと、一年ほどは春を引き取るとも言っていた彼らは、しかしこの町に来ようとはしなかった。結局春がこの家に留まったのは、神崎夫妻を「怖い」と思ってしまったからでもある。彼らのところへ行くより、祖父と二人で暮らしていたかった。
「そのまま今まできちゃった。おじいちゃんは、神崎さんと何回か話したみたいなんだけど……いつもうまくいかないらしいんだよね。いつか、もしかしたら、新にも迷惑かけちゃうことがあるかもしれない。だから本当は、私がちゃんと話さなくちゃいけないんだよね」
「そんなの……」
春が気にすることじゃない、と新は思う。幼くして両親をいっぺんに失い、その上親戚同士の諍いまで見てしまった。怖がって、傷ついて、当然だ。大人たちのために、春がわざわざ骨を折らなければならないという道理はない。
でも、それを口にすることはできなかった。そうするより先に、春が立ち上がり、笑顔を作った。
「母方はそんな感じかな。とにかく私がもっとしっかりして、新には迷惑かけないようにするから。あーあ、話してすっきりしたらお腹空いちゃった。ご飯作ってる途中だったし、さっさとやっちゃうね。新とおばあちゃんは引き続き楽しいお話をどうぞ」
早口に言って台所へ向かう春は、ちっともすっきりしたようには見えない。やっぱり聞かないほうが良かった。浮かんだ疑問は慎重に考えてから口にすべきだったし、話を促した春の祖母を止めるべきだった。だいたいにしてこの人は、どうして孫にこんなつらい話をさせたのだろう。
「……たしかにいつかは知るかもですけど。でも、春に言わせる必要はあったんですか?」
声を潜めて祖母に問う。だが、それに対する答えはなかった。
「神崎の家が娘を嫁がせたくなかったのは、そもそも私のせいさ。智貴は私の勝手で片親育ちになって、勝手な母親はこのありさまだからね。それでも千秋さんが、大切に育てられたお嬢さんが親の反対を押し切って須藤の家に来てくれた。向こうからすれば、愛娘をとられたも同然だ。生きていればまだいいが、命まで奪われ、その血を受け継いだ孫も来ない。そりゃあ恨んで当たり前だよ」
全く見当違いな言葉に、新は眉を顰める。
「オレはそんなことを聞きたいんじゃないです」
「わかってるよ。……こうやってあの子に嫌われるようなことでもしないと、あの子は愚痴の一つも言わないじゃないか」
「こんなことしても言いませんよ、春は。また背負い込むだけです」
愚痴を言いたいのはあなたのほうじゃないか、と言うのを寸前で飲み込んで、新は立ち上がる。春が、春の祖父が許していても、自分はこの勝手な祖母を許容できそうにはない。この人は家にいないから、春のことがちゃんと見えていないのだ、きっと。
自覚しているとは言ったが、この人は自分の行いを、反省してはいない。この祖母と、そしてよりによって子供の前でその育て親を詰ったという神崎夫妻がいて、よく春がまともに育ったものだ。――いや、多少は歪んでしまっているのだろう。自分が何とかしなくてはならないと、思いこむ方向に。思えば以前からそういう節はあったのだ。
でも春は、祖母を、そして神崎夫妻すらも、怖いと思っても嫌いにはならない。それをわかっているから、余計に歯痒い。
「あんたは春のことをわかってるんだね」
「いくらかはわかってるつもりです。あなたが年に二回くらいしか帰らないなら、一緒に過ごした時間はたぶん、オレのほうが長いです」
「そりゃあそうだ」
ふ、と祖母が笑った。なぜここで笑う、と新は睨む。だが、その人は全く怯まなかった。
「春は良い婿さんを選んだね」
ただしみじみと言って、すっと立ち上がると、スーツケースだけを抱えて玄関へ向かった。

「おばあちゃん!」
黙って外に出ようとしていた祖母を、春が叫んで呼び止める。振り返った祖母は、相変わらずの不敵な笑みを浮かべていた。
「婿さんがいるなら、邪魔しちゃいけない。そろそろ行くよ。居間に土産は置いといたから」
「どうして? 私、新のこと、おばあちゃんにちゃんと紹介したいよ。だいたい帰ってきて、まだ何時間も経ってないじゃない」
「話してみて十分わかったよ。良い子だ。安心して春のことを任せられる」
「わかってない!」
新はこの家族のことを、正確に知っているわけではない。春の祖母には初めて会ったし、断片的な話しか聞いていない。けれども春の剣幕を、それに対する祖母の表情を見て、想像はできた。春はきっと、今まで祖母を引き留めるようなことはしなかったのだろう。幼い頃ならまだしも、いくらか成長してからは、それが祖母の人生なのだと受け入れて見送ってきたに違いなかった。
「……新が良い人なのは、誰だってすぐわかるよ。でもおばあちゃんには、もっともっと知ってもらわなきゃ。私が好きになった人がどういう人なのか、私が何を思っているのか、……私が神崎さんと何を話したいかとかも、聞いてもらわなきゃ困るよ」
互いにどこか諦めていた部分があったのかもしれない。だから春は我儘を言わず、祖母はそれに甘えて旅に逃げた。けれどもいつまでもそのままでいいのか、春はずっと考えていたのだろう。いや、祖母も考えなかったわけではない。だから春にわざとつらい思い出を語らせ、新に支えさせるようにして、「任せる」ことにした。でもそれは春が選んだ答えとは違うものだった。
春はずっと祖母と話したくて、話しそびれていたことがたくさんあった。それなのに手を離されてしまうと、今日のことで感づいたのだろう。それまで胸に抱えているだけだった思いが、一気に噴き出したのだ。今言わなければ、だめだと。
「行かないで、とは言わないから。もう少しだけ、ここにいてよ。ここは、おばあちゃんの家なんだよ」
「……もう随分昔に出た家だ」
「でも帰ってきてくれた。お父さんが子供の頃だって、お母さんがお嫁に来たときだって、私が生まれた日だって、……お父さんとお母さんがいなくなってしまったあのときも、急いで駆けつけてくれたよね」
自分一人の旅に出ても、いつも夫や子供、孫のことを気にかけていた。だからあんなにたくさんの土産を持って、帰ってきた。家に何かあったら、どこからでも飛んできた。そうでなければ、春がこの人のことを、親しみと愛情を込めて「おばあちゃん」と呼ぶはずもない。
「ご飯、食べていってよ。お風呂も布団も用意する。私はおばあちゃんと、もっと顔を見て話がしたい。新のことだけじゃなくて、たくさん、いろいろ」
大切なのは時間の長さより、中身の濃さじゃないかな。というのはいつか春が、「一緒に過ごす時間が短い」と嘆いた新に言ったことだけれど。あれは自分自身にも言い聞かせていたのだ。そうでありたいと、春が願ったことなのだ。
両親と、祖母と、一緒にいる時間が短かった女の子の、ささやかな。
そしてそれがわからないほど、祖母も愚かではなかった。
「愚痴の一つも言わない、なんて言ったけど。それは間違いだったね。私があんたに向き合わないだけだったと、認めるよ」
笑みを柔らかくして、スーツケースを三和土に置いた手を、そのまま春の頬へと伸ばして。祖母は「ごめんね」と口にした。
「ごめんね、春。あんたの話をちゃんと聞かずに、知らんふりをして」
春は頷いて、祖母の手をとり、自分のほうへと引いた。

春の祖父が帰宅したのは、それからまもなくのことだった。祖母を見ても驚かず、ただ「おかえり」と言って、土産を整理し始めた。いつもどおり、なのだろう。祖母も「ただいま」と返していた。
そして新も、「夕飯を食べていけ」から「泊まっていけ」に変わる毎度の言葉に甘えさせてもらって、一家の団欒に加わっていた。春はいつも以上にお喋りで、祖母の旅の話もなかなか面白く、居間はずっと賑やかだった。
「おばあちゃん、お風呂一緒に入ろうよ。背中流すよ」
「そうかい。じゃあお願いしようかね」
春と祖母が居間を離れ、残った祖父が「やれやれ」と息を吐いた。
「新、びっくりしただろう」
「そりゃあもう。すごいおばあさんですね」
「あいつをしばらく家に留め置いたってだけでも、自慢なんだよ」
そんなふうに言える祖父だから、祖母がこの家に来たのだろう。この人にはかなわないな、と新は改めて思う。
「ちょっと、というかだいぶ、偉そうなこと言っちゃったんです。おばあさんにはおばあさんの考えがあっただろうに」
「言ってやれ。こっちが言わなきゃ本音を話さないのは、春にも遺伝してるらしい。新がいてくれて助かった」
これからもよろしくな、と祖父が言う。こちらこそ、と新も返す。きっとこれから長い付き合いになるのだ。新もこの家で、祖母の帰りを待つことになるだろうから。――そこに至るまでも、クリアしなければならない問題がまだまだあるのだが。
「苦労をかける」
「春と一緒にいるための苦労なら、いくらでも」
全ての問題に対する新の姿勢は、とうに決まっている。風呂場から聞こえてくる笑い声を、その幸せそうな響きを守るためなら、どんなことだってする。その考えが新の我儘なのだと、理解しながら。



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posted by 外都ユウマ at 12:16| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

安居酒屋に屯する・4

礼陣駅前大通りに面する居酒屋に入ると、迎えてくれたのは高校時代の同級生だった。学生時代からアルバイトをしていて、そのまま社員に登用されたらしい。
「日暮はもう来てるよ。ごゆっくりどうぞ。……進道や里がいないと、なんか変な感じするけど」
周囲から見てもそう思うらしい。それくらい、高校時代は、いや、大学に入ってからも、よく一緒につるんでいた。自分は遠く北国の大学に行ってしまったので、帰省したときだけ集まっていたが。
今回は二人だけでの飲み会だ。とはいえ、アルコールはなしだが。車で来てしまったし、そもそも自分も黒哉も飲めない部類に入る。
通された席で、黒哉がスマートフォンを弄っていた。こちらに気づくと片手を挙げて「お疲れ」と呟くように言う。
「お疲れさま。どうだ、仕事は?」
「まあなんとか。井藤先生に助けられまくってるけど。連は?」
「メモをとりながらやっとだな。まだ覚えなきゃいけないことがたくさんあって、余裕がない」
「そんなもんだよな」
社会人といわれるようになって、まだひと月もない。不安だらけ戸惑いだらけで、毎日必死になっていたら、黒哉から連絡があった。せっかく帰ってきたのだから、礼陣で食事でもしないかと。
連と同じくこちらに就職を決めて帰ってきた里も誘ったらしいが、先ほど「残業で行けない」と返事があったという。彼は彼で、忙しいようだ。そう思うと、定時で帰れる自分はまだいいのかもしれない。
「毎日実家から門市まで通ってるんだろ、連は。朝早くないか?」
「御旗から道路が通ったから、昔よりは楽に行ける」
「運転慣れてるんだろうな」
「おかげさまで」
会話が途切れがちなのは仕方がない。連も黒哉も、もともと話すのが得意な方ではないし、話題といっても仕事のことばかりだ。いつだって潤滑油の役目は、里や海だった。――海は、まだ学生をやっている。県外にいるので、しばらくは会えない。
だが、手が空いていればスマートフォンを通じて会話をすることができる。ウーロン茶と何品か食べ物を注文してから、連からメッセージを送ってみる。そのほうが反応があるのだ。案の定、そう待たずに着信音が鳴る。
「暇だそうだ……けど、本当かどうかわからないな」
「オレが送ったら忙しいって言うかも」
そういうヤツだ、と黒哉が笑った。それでようやく、連も気を緩めることができた。

[黒哉といるんですか?]と連に。
[お前なんで連さん勝手に連れてきてんの]と黒哉に。
海の態度が相変わらずで、酒も入っていないのに愉快だった。
仕事のことを考えずに笑えたのは久しぶりだということに気づくと、今日までどれだけ緊張していたかを思い知らされる。地元に戻ったとはいえ、慣れない会社に落ち着かず、娯楽も手につかない日々が続いていたのだ。
進学先ではなく、地元の企業にあたりをつけて就職活動をしたのは、長期休みのたびに帰るのが楽しみだったからだ。こっちのほうが気が楽だと思っていた。一人っ子でもあったから、そうして暮らした方が自分のためにも家族のためにもなるだろうと考えていた。でも、現実はそんなに単純なものではない。
どこにいようと、大変なものは大変だし、それを乗り越えていかなければならない。そんな当たり前のことに、躓き、疲れていた。――疲れていたのだと、たった今、気付いた。
「……おい、海からずるいだのなんだのってすごい送られてくるんだが。何送ったんだよ?」
「黒哉のおかげで気分転換ができてるって」
「道理で」
遠くにいる海も、目の前にいる黒哉も、疲れてはいないだろうか。黒哉は何を思って、食事に誘ってくれたのだろう。
「黒哉」
「なんだ」
「気を遣ってくれたのか。俺や里を心配して」
「そういうのじゃない。またこの町で集まって飯が食えるんだなと思っただけだ」
サトは来れなかったから次の機会だな、となんでもないように言う黒哉は、上手に「社会人」をやれているのか。そういえば、中学校教師をしている彼は、他の先生に助けてもらっていると言っていた。周囲になかなかなじめない連とは、違うのかもしれない。
「緊張しないのか、仕事」
「するぞ。初日はがっちがちだったし、今でもよく噛む。まともに授業ができているか、振り返る余裕もそんなにない」
「それにしては落ち着いているように見えるが」
「……まあ、それは。もっと面倒なことを知ってるからな」
そうだった、黒哉はもともと、当たり前のことに動じるような人物ではない。緊張もうまく隠せる、というより、感情表現がわかりにくいのだ。
「連も緊張してたのか」
「かなり。うまくやらなければならないと思うと、余計に」
「だよな」
海もさっさと味わえばいいのに、という言葉をたぶんそのまま打ち込んで、送ったのだと思う。連のところにも追加のメッセージがきた。
[まだ学生やってる俺じゃ頼りないと思いますけど、疲れたら連絡ください。話し相手くらいはできますよ。]
だろうな、と頷いた。この町で出会った人々は、連に優しい。
隣町の御旗で生まれ育ち、そこであまり上手に人間関係を築くことができなかった連だから、高校からこの町に通うようになってからは楽しかった。中学時代からは考えられないくらい友人ができて、どんどん親しくなった。
これならよそでもやっていけるかもしれないと、思い切って飛び出してみたら、たしかに昔よりはうまくやれた。でもやっぱり礼陣に戻りたくなって、どうせあちらの寮も出なければいけないということで、帰ってきたのだけれど。――単純に順調に進むなんて、甘くはなかった。
「俺は社会人に向いていないかもしれない」
思いつくままに弱音を吐いて、ウーロン茶をあおる。店員が注文を間違えて、ウーロンハイでも持ってきたのではなかろうか。それとも心を開ける相手が目の前にいるから、極端なことを言ってしまうのか。
「そのうち慣れるんじゃねーの? ……オレたち、礼陣の環境に順応しただろ」
黒哉は注文用のタッチパネルを弄りながら言う。そういえば黒哉も、元はこの町の人間ではないのだった。礼陣に来て、その環境に慣れて、変わった。
そう思うと、「向いてない」と判断するのは、まだ早いかもしれない。今の環境には、たとえば海のように自分を全肯定してくれる稀有な人間はいないし、それぞれに仕事があって忙しいから、黒哉のようにじっくりと愚痴を聞いてくれる者も時間もまだない。けれどもそれを構築するためのきっかけが何かしらあれば、案外良い方向に物事は動くかもしれない。いや、動かせるかもしれない。
結局、自分が動かなければ、何事も変わらないし、変えることはできないのだ。弓道を始めたときだって、高校入試の時だって、大学受験のときだって、そうだったじゃないか。
余裕はたしかにほとんどない。でも、わずかに残っている「まだ頑張れる」という気持ちに、今はかけてみよう。
「あー、でも無理すんなよ。病んだら元も子もねーから」
心配してくれる友人も、そう遠くないところにいるわけだし。
「ありがとう。……黒哉は、何かないのか?」
「しいていうなら、自分があんまりよくない中学生活送ったから、生徒に影響しないかどうか気を遣ってる。オレみたいなのを出さないために、教師になろうって思ったんだから、良い先生にならなきゃな」
「黒哉ならなれる」
「海と違って、連は断言してくれるから嬉しいよな。アイツに同じこと言ったら、たしかにお前みたいのが増えたら礼陣の環境が酷いことになる、なんて言うんだぞ」
「海じゃないといえない台詞だな」
噂をすれば、また追加のメッセージ。二人で飲みながら、三人で会話をする。そのうち残業が終わったらしい里が加わって、結局四人でのグループ会話になった。今からでも来るか、と里に訊いたら、疲れてもうだめだー、と返信があったが、たぶん遠くにいて来られない海に気を遣っているのだろう。もちろん、疲れてもいるのかもしれないけれど。
新社会人の、飲みの夜はまだ続く。店に入ったときに迎えてくれた高校時代の同級生が、奢りだ、とおまけをつけてくれた。



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posted by 外都ユウマ at 20:44| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

鬼使い、街駆けて

礼陣には鬼がいる。彼らは不思議な力を操るが普通の人間には見えず、しかしながら礼陣の人々はその存在を認めている。ここが山に囲まれた閉鎖的な里だった昔から、土地が広がり山向こうの人とも簡単に行き来ができるようになった現代まで、それはなぜか変わらず残っている「常識」だ。
鬼を見ることができる子供「鬼の子」も少なくない人数がいて、申し合せたわけでもないのに同じ証言をする。ある人は集団ヒステリーの一種ではないかと説いたそうだが、それだけでは説明のつかないことも多く起こっている。
その謎を解き明かそうと、あるいは鬼がいるものなら見てやろうと、興味本位で町にやってくる人間も情報が広まるにつれて増えた。町はここぞとばかりに彼らを歓待し、お土産をたくさん持たせて帰らせる。その最たるイベントが、八月の半ばを過ぎた頃に開かれる、夏祭りだ。
――と、いうのが人間たちから見た鬼と、それに関連する話の一部。土台は、鬼とはこの町を守る神であるという信仰と、事実。
興味にかかわらず、外からやってきて住みつく人ももちろんいて、やってきてそう経たないうちに町に巻き込まれていく。

鬼を祀るために古くからある神社、礼陣神社。子供たちは「鬼神社」とも呼ぶそこは、広い境内をもち、子供たちが禁忌さえ犯さなければ自由に遊ぶことができるようになっている。拝殿脇には縄跳び用の縄やボールなどが用意され、いくつかの樹木には登りやすいように節やこぶがわざと残してある。
そもそも礼陣の鬼は、子供を守る神様なのだと言い伝えられていて、いつからいるのかわからない「神主」もそう語る。住んでいる地区を問わず、ここに来ればまず退屈することはないので、とくに小学生以下の子供たちはこの場所に集合するのが定番だ。
子供たちを見守るのは、神社にときどきいる巫女や、地域の大人たち、そして鬼。鎮守の森に入らない、ご神木には登らない、参拝に来た人の邪魔にならないよう気をつける、といった決まりを年長者から代々受け継ぎながら、ここで子供たちは育っている。
長縄跳びで遊ぶ、学校も学年もばらばらの子供たちの様子を、今日も鬼たちが赤く光る眼を細めて見ていた。体の小さい、人間の子供とそう変わらない姿をした子鬼らは、遊びにまざることもある。気づくのは鬼が見える鬼の子だけだが、「いるよ」と言えば見えない子もそういうものだと振る舞う。
縄を回す小学六年の女の子、沙良も、鬼をその目に映すことのできる一人だ。沙良の視界には、一緒に遊ぶ同い年や年下の人間の子供たちと一緒に、頭に二本のつのをもつ鬼たちも、当たり前のようにおさまっている。もっとも、二年ほど前までは、当たり前ではなかったのだけれど。それどころか鬼という存在すらも、沙良にとってはお伽噺の中のものでしかなかった。――小学四年生になる直前までは、沙良はこの町の子供ではなかったのだ。
両親を事故で亡くし、この町に住む伯母に引き取られ、それから異形を見るようになった。二本のつのと赤い眼という共通項はあれども様々なかたちをしている鬼は、当時の沙良にはそう表現するしかなかったのだ。
彼らが見えるのはこの町ではおかしいことではないのだと、伯母をはじめとする町の人々は教えてくれた。そして鬼自らも、そう自己紹介した。彼らの存在とこの町の常識に慣れた今の沙良には、鬼の友達までいる。
その最もたる者が、まさにこの瞬間、沙良の回す縄を跳ぶおかっぱ頭の子鬼と、縄跳びを傍で面白そうに眺めている人間の成人女性のような姿の鬼だった。
おかっぱ頭の少女の子鬼は、自分を子鬼とそのまま呼ばせる。他にも子鬼と称せるものはいるのだが、ちゃんと特定できるのだそうだ。そもそも鬼には別個の名前というものを持たないのだと、教えてくれたのはこの子鬼だ。
一方成人女性の姿の鬼は、初めから「美和」と名乗ってきた奇特な鬼だ。なんでも、この名前は大切な人間から貰った大切なものなのだとか。他の鬼の子や、鬼が見えない子供までも、彼女のことだけは「美和鬼様」だとか「美和さん」と呼んで親しんでいる。
ああ、それからもうひとり。小さすぎて隠れがちな、けれどもいつも沙良の近くにいてくれる、豆粒のような鬼がいる。そんななりだが沙良がこの町に来て初めて言葉を交わした鬼で、名付けもした。沙良は「豆太」と呼んでいる。
人間たちと、鬼たちと、どちらとも交流をすることのできる沙良を、よそ者扱いする人はいない。沙良は礼陣の子供だと誰もが認め、自分でも堂々とそういえた。

ひとしきり遊んだ子供たちは、境内から続く石段の下の菓子屋におやつを買いに行ったり、木の下に座って休んだり、今日は遊び尽くしたからと帰ってしまったりする。沙良は何人かの友達に手を振って、自分は参道脇の木陰に腰を下ろした。すると子鬼と美和が寄ってきて、一緒に座る。豆太は沙良の肩の上が定位置だ。
「子鬼ちゃん、一緒に遊んでて疲れない? 今日は結構長く、縄跳び続いちゃったけど」
『私はいくら遊んでも平気だぞ』
「美和さんは? 見てて途中で欠伸してたよね」
『ごめん。今日、天気いいからさー』
沙良は動くのも好きだけれど、こうして誰かとゆっくり話をするのがもっと好きだ。子鬼や美和の豊富な知識を、豆太と一緒にふむふむと頷きながら聴いているのは、心地よいひとときとなる。見た目とは逆に、子鬼は昔話を、美和は最近の噂などをよく話してくれる。実際、年齢も子鬼のほうがずっと年上で、美和は鬼の中でもずっと若い方なのだという。豆太はもっと幼く、二年前に出会ったときはまだ生まれたばかりだった。
『おー、向こうの子たちゲームやってるね。最近発売になったやつ』
「美和さん、もう知ってるの?」
『当然。ステージ3のボスって意外なキャラなんだよね』
「まだ言わないでよ。わたし、やってすらいないんだから」
だが抵抗むなしく、ゲームをしていた子たちがこちらへやってくる。彼らの目的は、ゲームの攻略法を美和に尋ねることだ。この二年で何度同じことがあったことか。
「沙良姉ちゃん、美和鬼様そこにいる?」
「どうしてもボスが倒せなくてさ。まさか今までレベル上げまくってた味方が、そのままボスになるなんて思わないもんな」
やっぱりネタバレされた。苦笑いしながら、美和が得意気に披露する攻略法を彼らに伝えた。鬼の見えない子供たちは、よく沙良を通訳にして、美和に質問や願いを投げかける。美和は大抵の質問になら答えるし、願いはきける範囲できく。固有の名前があることと、ゲームやスポーツ、本の話題に明るいところが、子供たちに人気がある理由なのだ。
『……こんな感じで攻略できると思うんだけど、だいぶレベル上げちゃってたら、属性攻撃でなんとか粘るしかないよね』
こんなこと、他の鬼は言わないし、知らない。
「やっぱり頑張るしかないかー。ついでに明日の漢字テストなくしてほしいんだけど、美和鬼様にお願いできない?」
『それは無理。ゲーム一旦やめてテスト勉強したらいいじゃないの』
「……無理だって。勉強しなさいって言ってるよ」
「だよなー」
人間と鬼のあいだを取り持つことが、沙良は嫌いではない。ゲームや本の先の展開や、スポーツの試合の結果を知ってしまうことになっても、この役目を拒否しようとはしない。それが自分にできることだから、というのもあるけれど、約束もしたのだ。
――わたしのあとを引き継いで、沙良ちゃんにやってほしい。
その言葉に、小学四年生だった沙良は、しっかりと頷いたのだ。だから。

日曜日でも仕事に呼ばれれば行ってしまう忙しい人が伯母なので、沙良は家事もきちんとこなす。やりかたは子鬼や美和が教えてくれた。遊んだ帰りには商店街に寄って、今日の夕飯の献立を考えながら買い物をするのが日常だ。
「子鬼ちゃん、何食べたい?」
『今日の味噌汁は豆腐がいい』
「はいはい」
『まだサラダほうれん草残ってたよね。新玉ねぎがあったから買って一緒に食べたら?』
「美和さん、うちの冷蔵庫事情について本当に詳しいよね……。あ、豆太にビスケットも買おう」
お喋りをしながらの買い出しも、家に帰り着いてからの賑やかな夕飯の準備と食卓も、沙良の毎日の楽しみになっている。人間と食事をするのが好きだという子鬼にも、なぜかものが食べられるようになったのが二年前からだという美和にも、それから沙良と片時も離れたくない豆太にも、喜んでもらえる。何より伯母の帰りが遅くなっても沙良が寂しくない。
鬼がこの町にいて、自分に彼らが見えて、良かったと思うのはこういうときだ。ただひとりきりで知らない町に、寡黙な伯母に連れられてやってきたというだけだったら、沙良の時間は両親を亡くしたあの日で止まってしまっていたかもしれない。前を向こうと思えたのは、そうしなければこの町の特殊な部分を受け入れるのが難しかったからで、また特殊な部分を解ろうとしたからこそ前を向けたともいえる。自分で世界を開かなければ、世界に心を開かなければ、現在の沙良はなかっただろう。
顔をあげたから豆太に出会えた。子鬼が、美和が、手を差し伸べてくれた。沙良はそう思っている。もちろん助けてくれたのは、鬼だけではないのだけれど。
「ただいまー。……やっぱり伯母さん、まだ帰ってきてないか」
きっと遅くなるのだろう。沙良を引き取ったがために、伯母は忙しくなった。だったらせめて、美味しい夕食を作っておこう。家の玄関に荷物を置いて、靴を脱ごうとしたときだった。
『さらちゃん、誰か泣いてるよ』
それまで肩の上でおとなしくしていた豆太が、自分こそ泣きそうな声で言った。それを合図に、沙良の後ろについてきていた子鬼と美和の表情も険しくなる。そうして何かを探すように、外へ出て辺りを見回し始めた。
またか、と沙良も唇を噛む。これでも以前より、随分減ったのだそうだ。けれどもそれは、完全になくなるわけではないらしい。
人間が心を痛めるのと同じように、鬼も傷つくことがある。その辛さや苦しさが積もり積もって爆発すると、鬼は自分の力を押さえられなくなり、暴走する。その結果、他の者に害を与えてしまう。――そういう状態になってしまった鬼を、「呪い鬼」という。
沙良もこの町に来たばかりの頃、呪い鬼に遭遇してしまったことがあった。他の鬼とは違い、近くにいるだけで恐ろしさを感じるそれに、そのときの沙良はただ震えることしかできなかった。
けれどもそれは、当時の話。まだ沙良に、勇気と味方が足りなかった頃のこと。
「泣いてるなら、行かなくちゃね。豆太、道案内お願い。子鬼ちゃん、美和さん、今日もよろしくお願いします」
『まかせて』
『ちゃっちゃと終わらせて、ご飯食べに帰ってこようか!』
『遠くないといいんだがな』
玄関の鍵をかけなおし、沙良は夕暮れの町を走りだした。豆太が『近いよ』と言ったので、自転車はいらない。常にポケットに忍ばせている札と、仲間たちの助けがあればいい。

呪い鬼が人間に手を出してしまう前に、その苦しみを祓うため神社に帰してやるのが、「鬼追い」。この役目を担うのは鬼の子だが、いつも鬼追いができる者がいるというわけではない。沙良が役目を受け継ぐまでは、もう鬼の子としての力、鬼を見る能力が薄れてきてしまった高校生が、ほぼ独りで頑張っていた。呪い鬼に襲われそうになった沙良を助けるため、その人は竹刀一本と札一枚で戦った。
呪い鬼のこと、鬼追いのことは、その人から教わった。優しい心、他者を助けたいという強い思いが、人間と鬼の両方を救うことになるのだと知った沙良は、自分も鬼追いをしたいと、しようと決めた。決めるまでは、いくらかの時間が必要だったけれど。
沙良には呪い鬼を大人しくさせるための、つまりは戦うための武器がなかった。鬼追いをしたいと思っても、それを告げても、前任者は難色を示した。だが豆太が、そして美和が、沙良の楯になると申し出た。豆太は実際、助けがくるまで、自分の力で透明な楯をつくり、沙良を呪い鬼から守ってくれていた。小さいけれど力のある鬼なのだ。
そこに子鬼が加わり、沙良は鬼を使役して呪い鬼を帰すという、これまで例をみなかった鬼追いになった。これまでは、鬼が呪いを得る原因の多くは人間にあったため、人間と鬼の橋渡しができる鬼の子にしか鬼追いは務まらないとされていた。しかし美和が『鬼のケアなら鬼にできるはず』と主張して、そのとおりにこれまで鬼追いがやっていた町の見回りを請け負った。それでも間に合わなければ、豆太が礼陣全域から呪い鬼の気配を感じ取る。
沙良は呪い鬼のもとへ辿り着き、神社へ帰すための札を触れさせるために、勇気をもって前に進めばいい。慈しみをもって呪い鬼に近づけばいい。本当に人間にしかできないことに、集中することができる。――その方法は認められ、沙良たちは二年、この町を守っていた。
呪い鬼の作りだした空間に入ったときの、肌が痺れるような感覚も。暗く光る眼に射貫かれた胸の痛みも。ひとりじゃなかったから乗り越えてこられた。呪い鬼ももとは優しい鬼なのだと信じられたから、相手に触れることができた。
「武器がなくても……ううん、武器がないからこそできた鬼追いチームだね。これなら大丈夫。わたしのあとを引き継いで、沙良ちゃんにやってほしい」
胸に響くその声に頷き、沙良は地面を蹴る。泣き続けていた呪い鬼に向かって、札を持った手を伸ばす。

鬼追いを無事に終えて家に帰ろうとしたところを、後ろから呼び止められた。自転車で付近を見回っていた、警察官だった。
「そろそろ小学生がひとりで出歩くには遅い時間だよ」
「ひとりじゃないです。ちゃんと子鬼ちゃんと美和さん、それと豆太がいますよ。やつこさん」
沙良が笑顔で返事をすると、警察官――根代八子も「そうだね」と笑った。二年前はまだ高校生だった前任の鬼追いは、町の守り方を、鬼を見ることができなくなっても可能な方法に変えていた。
「沙良ちゃん、ちょっと見ない間に立派な鬼追いになっちゃって。神主さんと愛さんも褒めてたよ。成功率百パーセントだから安心して任せられるってさ」
「うまくいくのは、鬼のみんなが助けてくれるからです」
「助けてくれるのは、沙良ちゃんが一生懸命で優しい、良い子だからだよ」
家まで送ってくれた八子は、沙良たちを褒めちぎって、駅のほうに向かって行った。見送ってから鬼たちに振り返る。
「ご飯、作ろうか。みんな頑張ったもんね」

礼陣には鬼がいる。彼らとともに暮らす人間がいる。昔から続いてきた関係は、少しずつかたちを変えながら、土地での暮らしを守っている。
鬼が人間を愛しんでくれるように、人間も鬼を愛しもうとしている。
「お腹空いたー。伯母さんはまだみたいだし、先に食べてようか」
『うむ、いただこう』
『いっただっきまーす。やっぱり食べ物を味わえる体って良いねえ』
『さらちゃん、さらちゃん、びすけっと』
「はい、豆太の分のビスケット。いっぱい頑張ってくれたもんね、いつも守ってくれて、本当にありがとう」
町で生まれ育った者も、外からやってきた者も、礼陣の町で暮らすのならば、その「常識」のもとで生きる。互いに互いを想う心を、胸に育てながら。そうして日々を過ごすのだ。それは一時的な興味や疑いになど負けるはずもない、強い強いもの。



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2016年04月16日

反省のない懺悔

あんまり気持ちの良いお話ではないのでワンクッション。
今日は礼陣ではなく、その他のフィクションです。




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2016年04月10日

これから呼ばれる

かかりつけの病院まで、いつもなら歩いてでも行けるし、そうするところだ。でも今は、そんな悠長に構えていられないし、そもそも動くことすらできない。
大助は兄と叔父から贈られた中が広い車の、助手席に亜子を乗せた。そしてはたと、やっぱり後部座席のほうが良かっただろうかと思う。考えるより、今はとにかく行動しなければならないのだが、どうにも混乱してうまく振る舞えない。
兄は、甥が生まれる時、どうしていただろう。何度も聞いたはずなのに、肝心な時に思いだせないのだった。
「大助」
ぐるぐるとかきまぜられる頭に、細くもしっかりとした声が響く。そこでようやく、はっとした。
「どうした、亜子。苦しいのか」
「そうじゃなくて。……もう、あんたが慌ててどうするの。わたしは大丈夫だから、このまま車出して。落ち着いてよ」
大助はもちろん経験したことなどないが、陣痛には波があるという。先ほど痛がっていた亜子は、この瞬間はどうやら冷静なようで――痛くないとは限らないが――呆れたような笑みさえ浮かべていた。
もしも今日が平日なら、亜子は痛みを堪えながら落ち着いてタクシーを呼び、病院に向かったかもしれない。大助がいないのだったら、きっとそうしていた。そして大助へは、電話での連絡だけがいっていただろう。ここから職場までは少々距離があり、毎朝車で数十分かけて通勤しているのだ。帰って来るのにも当然同じ時間がかかる。どれだけ急いでも、道そのものが縮まってくれるわけはない。
そういうことを考えれば、やはり今日が日曜日で、本当に良かった。改めて深呼吸をすれば、少しは役に立てそうだ。
「よっしゃ、行くぞ!」
「お願いね。……多分この子も、もう出たいんだと思うんだ」
結構前から暴れてたし、と亜子が自分の腹を撫でる。その大きな膨らみを、大助もこの何か月かの間に幾度も撫で、手に伝わる「生きているもの」の感触を味わった。
「お腹蹴りまくってたからね、きっと大助に似てるよ。遠川狂犬ブラザーズ三代目、どう?」
病院に向かう道すがら、また亜子の呼吸が荒くなってきた。もうすぐ、本当にすぐに生まれてくるのだと、実感させられて少し焦る。
「今住んでるの遠川じゃねえし、複数いなきゃブラザーズにはならねえだろうが。いいから大人しくしてろ」
何度も同じやりとりをしているのに、いつもと違う。急いで病院に車を停め、荷物を持ちながら亜子を支えた。院内からスタッフが、こちらに気づいて走ってきてくれる。それで少し、ほんの少しだけ、安心した。
大丈夫だ、ちゃんと生まれる。何度も神社に通い、鬼に頼んだ。――子供を守ってくれる、礼陣の鬼に。もう見えないけれどたしかにそこにいる、彼らに。
『大助の子だ、守らないわけないだろう』
そんな声が、聞こえたこともあったような気がする。

父親になる、という実感はなかなかわかなかった。そもそも父親とは本来どういうものなのか、大助はよく知らない。大助自身の父親は、海外をまわって仕事をする人だった。仕事仲間でもあった母も常にそれに付き添っていて、大助と顔を合わせることはほとんどない両親だった。そうして大助が六歳になる少し前に、飛行機の事故で二人とも亡くなってしまった。
大助にとって父は土産を持ってたまに会いに来る人で、育ての親は十二歳離れた兄と七歳離れた姉、そして母の弟である叔父だった。もっというなら、向かいの家に住んでいた亜子の両親と、それからこの町に存在している鬼たちも。親代わりはたくさんいるが、血の繋がった両親のことはほとんど記憶にない。そんなことだから、いつまでも自分が父親になって本当に大丈夫なのか、悩むことになった。
亜子は「大丈夫」と笑っていた。大助は恵さんと愛さんの弟で、利一先生の甥で、鬼の子なんだからと。自分が受けた愛情を、子供にもかけてあげてと。
「だいたい、くーちゃんの世話ができてるんだから、自分の子供にそれができないってことはないでしょう。それでも何か不安だっていうなら、遠慮なく助けを求めたらいいじゃない。わたしはそうするつもりだよ。そのために礼陣に住んで、この町で家族をつくるって決めたんじゃないの」
兄の子、大助にとっての甥を可愛がりながら、亜子は言っていた。礼陣は子供を大切にする町で、そのために様々な面での助けを得ることができるようになっているのは、実際に親を亡くした大助が身をもって知っている。だから職場の近くではなく、この町で暮らしていくことを選んだ。
誰もが得られるわけではない条件を、大助は手に入れられた。それは心強く思っている。けれどもその支えは、子供を不幸にすることがあれば自分が排除されるということとひきかえだ。それも鬼の子――人間とは違う、力を持った者たちと交流することができた大助だからこそ、よくわかっている。
鬼は優しく慈しみ深いが、それを与えるに値しない者からは、ときに命さえも奪う。それだけの力を持っている。ときどき、子供が産まれたら自分は鬼に喰われるのではないかと思うことがあった。
そう考えて眠るたびに、夢の中で声がしたのだけれど。『大助を喰うはずがないだろう』と、少女のそれが。少し懐かしい響きが。
「なれんのかな、父親。俺でも」
何度目かの不安に、亜子が振り返る。変に力の入った足取りはもうおぼつかなくなっているのに、笑顔は強い。こいつは本当に母親なんだな、と、母をもよく知らないのに思った。
「なる」
断言するその口調が、表情が、……そうだ、あの声の主に、子鬼に似ていた。


はたしてその報せは、家族だけでなく町に、町の中のみならず外にまで、さらには海外へも飛んだ。あっというまに返事がくるのも、時代の流れを感じさせる。まったく、便利な世の中になった。
しかしさすがに産声までは届けられず、これは大助と亜子と、駆けつけてくれた兄と姉、亜子の両親、それから他の少しの人々だけの思い出になった。
子供は、たくさんの人々が待ち望んでいたその命は、無事に生まれた。それどころか声も体も大きく、元気で、曰く「大助にそっくり」らしい。
男の子であることは事前にわかっていた。だから名前も考えてあった。画数が良くないだのなんだのと揉めつつも、そんな運は乗り越えていくだろうと、大きく成長してほしいと願ったものだ。
[つまりごり押しなんだな]
海外にいる流からそんなメッセージが届いて、大助は声に出して「うるせえ」と返した。
さほど意識していなかったのに、兄の子の名前と、モチーフは似ている。いとこ同士仲良く育ってくれればいいのだが。
「紅葉には発音しにくいかもな。いや、兄ちゃんに似て賢いから大丈夫か?」
「そのうち呼べるようになるよ。……それにしても、さすがに抱き慣れてたね。うちの子で練習したかいがあったってものだ」
「別に練習してたわけじゃねえけど。それにこれからわかんねえよ。本当に俺に似てるなら、大樹は紅葉みたいに大人しくはしていないだろうし」
兄と話をしながら、これからのことを考える。やはりまだ、自分が我が子――大樹にとって良い父親になれるかどうかはわからないし、想像もできない。しかしたとえ父親が頼りなくても、この町には大樹が育つために、手を伸ばしてくれる人々がいる。人間も、鬼も。もちろん大助が父親として頑張らなくてはならないのだけれど。
「お父さん、こちらへ」
「あ、はい。……耳慣れねえなあ、お父さんって」
大助自身はほとんど使った憶えのない言葉だ。でもこれからは、そう呼ばれる。
「気分はどう? お父さん」
まだあやふやな声で、亜子が言う。
「こっちの台詞だ。……母さん?」
こちらもまたあまり使ったことのない言葉で、呼び返してみる。
四月十日、一力大樹が生まれて、一力大助は父になった。



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posted by 外都ユウマ at 12:09| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月09日

礼陣駅前交番より

礼陣出身者は、礼陣に帰せと。そんな密かな決まりがあるのだとか、噂が流れてきた。噂がばかにできないものであるということを、その礼陣出身者当人は、よく知っている。自分の身に起こったちょっとした出来事が、いつのまにか町で話題になっているという現象には、生まれたときから慣れっこだ。
とにもかくにも、噂通りにされたのか、単に希望が通ったからなのか、やつこは礼陣駅前交番で仕事をすることになった。根代巡査、と呼ばれることにはまだ慣れない。けれどもそう呼ばれるのはめったにないことなので、ほぼほぼ気楽に構えている。もちろん、手抜きはしないが。
「やっこちゃん、暇そうだね」
しかし基本的には平和な町、警察が出ていくほどの事件はめったに起こらない。せいぜいが駐車違反や自転車の運転を取り締まるくらいで、たまに他の場所で勤務している人々と会うと、「そっちは暇でいいねえ」なんて声をかけられることもあるそうだ。本当に羨ましいのか、それで給料をもらっているなんてなどといった意味の嫌味なのか、はかりかねるところもあると先輩は言う。こののんびりした先輩もまた、礼陣の出身だ。つまりはやつこと同じ境遇なのだった。
そもそもやつこは、警察官になると決めたときから、礼陣で働きたいと思っていた。かつては鬼が見え、呪い鬼を追い、陰ながら町を守ろうとしていたやつこだった。だが大人になるにつれ、他の多くの鬼の子と同じく、視界に鬼をとらえることはできなくなっていった。気配はまだうっすらと感じられるが、もう鬼追いはできない。子供の頃と同じようには、町を守ることはできなくなってしまった。
だから人間にできる真っ当な方法で、町を守る方法を考え、実行に移した。目的は変わらない。ただ礼陣の人々の助けになりたいと、そのための力を持っているなら鍛えて使わなければと、そうして選んだ道だ。
平和でいい。鍛えた剣道の腕も、訓練以外で振るうことがなければ、それはそれで良いことだ。相手が呪い鬼だった頃だって、そうだったじゃないか。そんなふうに言い聞かせながら、やつこは「暇です」と笑顔で頷いた。
「礼陣らしい、……わたしたちが過ごしてきた日常と同じ、ちょうどいい暇さですよね」
「そうだけど。でも暇な時は仕事を自分で見つけなくちゃね。書類整理するとか、掃除するとか、見回りに行くとか」
それなら見回りがいい。鬼追いだって、基本は町を見回って、鬼たちの様子を確認することだった。呪い鬼を神社へ帰すというのは、それが必要になったときだけのことで。
書類の整理や掃除は、神社でやっていることとほぼ同じだ。掃除はそのまま、書類に関しては社務所で手伝わせてもらった事務のようなものだろう。もちろんこれは例えだけれど、そう考えていれば大変なことではない。
鬼追いの経験は、人間と鬼の両方と関わったことは、ちゃんと人間の世界で役に立つ。
「今、僕らにできることは見回り以外のことだね」
「そうですね、わたしたちしかいないですし。じゃあ、掃除でもしますか」
鬼追いやっこはもういないけれど、より成長したやつこがここにいる。

夕方になって、本日分の日誌を書いていると、外から「やっこちゃん」と声がかかった。この交番に勤務している人々は、ほとんどが礼陣出身者だけあって、こうして名前で呼ばれることが多い。それも、耳慣れた呼び方で。
やつこが椅子ごと体を回して振り向くと、小学生の頃からの親友たちが笑って手を振っていた。
「お仕事、お疲れさま」
「差し入れって、持ってきても良かったのかな」
「ゆいちゃん、さっちゃん! 学校ってもう終わる時間なの?」
立ち上がり、駆け寄って二人の手をとる。春とはいえ、まだ夕方は少し肌寒く、握った手も少し冷えていた。先輩に許可をとって、室内に招き入れる。差し入れにと持ってきてくれたお菓子は、一応公務員である手前、受け取れないのでその場で広げて、二人に出した。
結衣香と紗智は、北市女学院大学の二年生になったばかりだ。やつこの礼陣着任が決まったとき、大喜びで「おかえり」と言ってくれた。頻繁に連絡もくれていたので、しばらく離れていても、疎外感はなかった。やつこがいないあいだの町の様子も、二人を通じて知ることができた。
日誌をきりのいいところまで仕上げてしまってから、礼陣銘菓おにまんじゅうを頬張る二人に向き直る。
「ごめんごめん、お待たせ」
「ううん、お仕事中なのにおしかけてきたのがいけなかったんだし。さっちゃんはね、止めてくれたんだけど。わたしがどうしてもって言ったから、ついてきてくれたんだ」
「ゆいちゃんだけやっこちゃんに会いに行こうなんて、ずるいじゃない」
差し入れが駄目だってことまでは気がまわらなくてごめん、と紗智が謝る。礼陣駅前交番は空気が緩く、近所の人がよく果物やお菓子を置いていこうとするので、友人たちがつい厚意で持ってきてしまうのも無理はない。やつこ自身も少し前、受け取ってしまいそうだったところを先輩に注意されている。
そういう先輩も本来は美味しいものに目がない人なので、御仁屋の箱をうらめしそうに見ていたけれど。
「学校はね、今日はわたしもさっちゃんも早く終わったの」
「そのうち忙しくなるから、こうやってのんびりしていられるのも今のうちだけど。やっこちゃんは、仕事大変?」
「うーん、学校で習ったこととか訓練したことよりは、ここにいるほうが楽だよ。昔からずっとやってたことの延長みたいで」
暢気な返事をするやつこに、先輩が「こら」と言う。舌を出したら、結衣香と紗智に笑われた。ちょっとは仕事らしいことをしようと、二人の通う学校のある北市地区付近の様子を聞いたが、特に変わったことはないという。
けれども紗智は、少し考えてから「しいて言うなら」と言葉を続けた。
「たぶん、今年から礼大に来た人たちだと思うんだけど。社台のほうでよく騒いでるみたい。神社にゴミとか捨てていくんだって、小学生の子たちが怒ってた」
「大学生かー……。この町で怒らせると怖いものを、まだ知らないな」
礼陣大学の学生で、よそからやってきた者には、毎年そういった輩がいる。町のことがわかってくると、実は人々に常に見張られているということに気がついて、次第におとなしくなるのだけれど。たしかによそから見ればちょっと怖い地域だ、と思ったのは、やつこ自身が礼陣を出てからだ。
「ありがとう、気をつけてみるよ」
「何かあってからじゃ遅いもんね」
何か、というのは、彼らが人に迷惑をかけるということと、彼ら自身が酷い目に遭うということの両方を指す。そしてその何かのために、やつこたちはいる。――これがきっと、礼陣の人間は礼陣に、といわれる所以だ。
「すいませーん!」
「大変、大変なんです!」
大声をあげながら交番に駆け込んできたのは、小学生の一団だ。学校帰りに寄り道をしていたのを叱れるような雰囲気ではない。一部の子は泣きそうになっている。
やつこは子供たちに駆け寄り、落ち着いて尋ね返した。
「何があったの?」
「大人の人たち……ええと、たぶん最近神社にゴミを捨ててる大学生だと思うんだけど」
「鎮守の森に入ってっちゃったの! 出てこられないかもしれない!」
一番後ろにいた女の子がとうとう泣きだしてしまう。結衣香と紗智が子供たちを宥めに立った。やつこは先輩と顔を見合わせ、心の中で呟いた。――遅かったか。
「わたしが行ってもいいですか。……森には入れませんけど」
「でもやっこちゃん、まだ気配はわかるって言ってたよね。任せていいかな」
この事態は、礼陣の人間でなければ解決できない。礼陣を知っていなければ正しい行動がとれない。だからこそ、やつこは礼陣に帰ってきたのだ。
「根代八子、行ってまいります!」

鎮守の森に入ってはいけない。そこは人間の世界ではないから、出てこられなくなってしまう。そんな礼陣の常識を、外から来た人間は知らない。
捜しに森に入れば行方不明者が増えるだけだ。たとえ鬼が見える者でも、勝手に森に入って簡単に出ては来られない。頼みの綱はその場を支配する鬼。
――ああ、みんないる。もう見えないけど、ちゃんとわかる。
神社の境内のあちこちに、鎮守の森を気にする鬼たちの気配がある。やつこに助けを求めている。鬼追いができなくなってしまった、かつての鬼の子である自分を、まだ頼ってくれている。
「……外から来た人でも、ここにいる期間が短くても、みんな人間が好きだもんね。できれば、助けてあげたいよね」
鬼と人間を繋ぐことが、大人になってしまったやつこにもできるというのなら。その役目を果たそう。
社務所に走り、鍵のかかっていない引き戸を思い切り開ける。そしてそこに住まう彼を、声を張り上げて呼んだ。
「神主さんっ! いいえ、大鬼様! 鎮守の森に入った人間を、助けてあげてください!」
彼だって、起こったことを知らないわけではないだろう。でも、人間のしでかしたことは、人間でなければ始末をつけられない。人間であり鬼と心を通わせられたやつこが頼まなければ、彼も動けないのだろう。それは鬼追いをしていたから、彼の近くにいたから、理解している。
「やっこさん、来てくれてありがとうございます」
社務所の奥から、青年の姿をした彼が歩いてくる。やつこがいくら年を重ねても、彼の姿は少しも変わらない。それはつのこそ見えないが、神主と呼ばれるその人こそが、この町の鬼をまとめる者だから。――大鬼という、存在だからだ。
「あなたが願ってくれたから、私も堂々と彼らを助けることができます。……さて、森に参りましょうか。ほんの少しだけ待っていてくださいね」
微笑んでから、き、と空と森との境界のあたりを睨み。大鬼は風のように、やつこの脇を過ぎていく。鎮守の森へ向かって、一直線に。
「……お願いします、神主さん」
森に入った人間たちは、まもなく帰ってこられるだろう。彼らに説教をするのは、人間である自分の役目だ。そのためにやつこは待っている。見えない鬼たちに「もう大丈夫だよ」と声をかけながら。鬼追いだった頃と同じように、鬼たちを慰める。
そうしているあいだに、森に入ったという大学生たちが、きょとんとした顔で帰ってきた。ほ、と一息ついてから、すぐに眉を寄せ、やつこは彼らのもとへ歩いていった。

「今年もやっぱりやらかしたけど、やっこちゃんのおかげでスピード解決だね。さすが鬼の子」
「元、ですけどね。何度も言いますけど、もう気配くらいしかわかりませんし。実際あの人たちを森から出したのは神主さんです」
帰りがけに再度先輩に褒められ、やつこは少し照れる。まだ鬼の子と呼ばれることが、鬼と人間の両方と関われることが、嬉しかった。力を失いつつあっても、役に立てるのだ。
――帰ったら、うちの鬼さんに報告しよう。わたしはまだまだこれからだ。
もう鬼追いではない。子供でもない。けれどもやつこは礼陣の人間で、誰かを助けることができる。
――わたしは、ここにいる。ここにいよう。
そのために選んだ道だ。そしてその道は、まだ先へ長く続いている。



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2016年04月03日

旅の人 春

幼馴染の家を訪れると、とはいっても当人は遠い町で独り暮らしをしていて今はいないのだが、一人残った家主が優しい響きの声で返事をして戸を開けてくれた。
「おや、春さん。いらっしゃい。今日はどうしました?」
「おすそわけに。色々作りすぎちゃって」
ストレートの長い髪を揺らし、春が微笑むと、はじめは「これはこれは」と言いながら差し出された紙袋を受け取った。中には小さな保存容器がいくつか。春の得意料理の数々であり、同時にはじめが慣れ親しんだものでもあった。それらは、はじめの息子である海が、ずっと以前に春に教えたものだったから。
「ありがとうございます、夕飯にいただきますね。それにしても、本当にたくさん作りましたね」
「食材を山ほどもらったので。……おばあちゃんから」
おや、と、はじめが目を見開く。春が何の補足もなく「おばあちゃん」と呼ぶ相手は、一人しか思い当たらない。その人はときどきこの町にやってきては、たくさんのお土産を置いていくのだ。昔からそうだった。
「おばさん、来てたんですね。まだ家に?」
「いえ、昨夜来て、今朝帰りました。相変わらずです」
困ったように笑う春は、しかし、その人のことが好きだった。はじめもそうだ。彼女にはたまにしか会えないけれど、たしかに世話になっていたのだから。
はじめにとっての「おばさん」で、春にとっての「おばあちゃん」。何にも縛られず自由に生きたいと望み、それを実行しているその人は、年に数度この町にやってくる。須藤翁の元妻は、一所に誰かと留まっていることが難しい性質なのだった。

はじめと、その親友である須藤智貴が、小学校を卒業した翌日のことだった。
「あんたはもう、自分で生きていけるね。母さんはこの町を出ていくから」
智貴にそう言い残して、彼女は旅立った。卒業式より前に離婚届が提出されていたことは、その後に知った。智貴の父が最初から母の性分をわかっていて結婚し、生まれた子供が小学校を出るまで見届けたら、あとはその生き方を任せることにしていたということも。
智貴は、けれども寂しがることはなかった。母がどこかに行きたがることは常であったし、その日のために母が多くの「準備」をしてきたのだとわかっていた。
「離婚じゃ鬼の子にはならないんだな。母さん、ときどき帰ってくるつもりだからか」
「智貴は暢気だね」
「そういう人だからな、母さんって」
そもそも父と結婚したのだって、お見合いで、「私は一人旅をしていないと落ち着かないんです」ときっぱり宣言したうえでのことだったという。大抵の相手はそれで諦めてしまうのだが、父は違った。
「そりゃ、自由でいいな」
感心して、笑って。見事に母を射止めたのだった。十年以上の結婚生活を送れるくらいに、母は父を、父は母を気に入った。それから母は、いつか家を出ていくことを計画しはじめ、父は母を解放する準備を始めた。
家を出た母は、それでも智貴が成長する過程で節目になる時期には帰ってきて、たくさんのお土産を置いていくようになった。はじめにも変わらず優しかった。
智貴の結婚が決まったときにはすっ飛んできて、嫁を褒めたものだった。孫が生まれたときも、嬉しそうに抱いて、「この子は千秋さんに似て美人になるよ。間違いないね」と断言し、また旅立っていった。
この忙しい人が長く家に帰っていたのは、おそらく、息子と嫁が飛行機事故に遭ったときだけだろう。それでも旅に出ていたことを、後悔することだけはしなかった。
乗員乗客全員死亡ということが発表され、合同葬儀が執り行われてからしばらくして、また旅に出たのだから。自分は空を飛ぶ鉄の塊を、少しも恐れることはなく。

「おばさんに会えたら、いろいろ話したかったのに」
はじめが溜息交じりに呟くと、春はふふっと上品に笑った。そうしていると、本当に母親にそっくりなのだった。
「おばあちゃんもはじめ先生のこと気にしてましたよ。そろそろ息子がいないことにも慣れただろうけど、大概寂しがり屋だからねって」
「もう……おばさんってば」
須藤家の節目だけではない。はじめに何かあったときも、あの人はどこからだって駆けつけてくれた。母のいないはじめにとって、その人は長いこと、母親のように接してきてくれたのだ。そして多分、今も。
「とにかく、おばさんが元気なら何よりです。春さん、お惣菜本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
もう一度にっこり笑って、ぺこりと頭を下げて、春は踵を返す。
はじめに渡した総菜のうちのいくつかは、「おばあちゃん」と一緒に作ったものだ。いつもよりも懐かしい味がするのではないだろうか。
あとで容器と一緒に返ってくるだろう感想を楽しみに、祖父と暮らす家へ帰る。ときどき帰る誰かを待つために。



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posted by 外都ユウマ at 13:20| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

新学期、ここから。

礼陣の町に、また春が巡ってきた。この国では始まりの季節であり、人々が新しい生活に踏み出すときだ。この町にも、いくらかの人々が出ていったかわりに、いくらかの人々が入ってきて、新生活を始める。
生まれてからずっとこの町にいる子供たちにも、同じく新年度はやってくる。中央地区にある中央中学校も、新入生を迎え、一学年上がった生徒たちが登校する。
もちろん学校に来るのは、子供たちだけではなく。
「先生、おはよー!」
「井藤先生、またよろしくお願いします」
「うん、おはよう。また一年間よろしくな」
教師たちにとっても、気を引き締めなければいけない始まりの季節。そして、新しい仲間を迎える季節なのだ。――今年は、大学を卒業したばかりの、ぴかぴかの新任がやってくる。十年前、かつては井藤もそうだったように。
十年ひと昔とはよくいったもので、これまでいろいろなことがあった。同期の服部はそのあいだに他の学校へ転任し(とはいえ礼陣にいることは変わらず、交流は続いている)、三歳になる子供までいる始末だ。井藤自身も人生の節目を迎えようとしている。いつか担当した生徒たちはすっかり大人になって、町の内外で活躍していると聞く。ときどき商店街などで顔を合わせることもある。
そんな経験を、新しくこの学校にやってくる者もするのだろうか。もしかしたら、いや、おそらくは確実に、町の人々とは顔見知りのような気もするが。なにしろ新任教師は、高校時代を礼陣の町で過ごしたという。そんなことを教頭から聞かされた。
生徒たちが教室に集まるより早く、職員室では会議が始まる。今日の予定の確認をし――午前中に始業式と各クラスでの学級会、午後には入学式がある――最後に今年度からこの学校に勤める職員の紹介があった。こういうのを勿体ぶる人なのだ、今の校長は。
「……では、次に日暮先生。今年大学を卒業したばかりの新人ですから、よろしくお願いしますよ。井藤先生、彼があなたのクラスの副担任になりますからね」
たしかにそう言われていたが、それならもっと早くに紹介しておいてほしい。そうしたらこちらも、相応の準備ができたというのに。井藤は苦笑いをしながら、新任の彼を見た。なるほど、たしかに見覚えのある顔だ。彼が高校生のあいだに、町のどこかしらで見たのだろう。
「日暮黒哉です。社会科を担当します。よろしくお願いします」
きちんと礼をしたその姿に、十年前の自分、いや、服部の姿が重なった。井藤は緊張こそしていたけれど、もっと緩かったと思う。そしてそのあと、もっと緩むのだ。とある生徒に茶化されることによって。それを思い出すと、自然と苦笑は解けた。

井藤が今年担当するのは、二年生のクラスだ。昨年度からの持ちあがりだが、クラス替えがあったので、揃う顔ぶれは違う。だが学年どころか全校の生徒を丸ごと憶えている井藤には、誰がいても問題はない。憶えているというのは、なにも顔と名前だけではなく、所属している部活は当然、その性格や趣味、特技まで把握しているということだ。すっかりベテランになった井藤は、一応は生徒からの人気と教員からの信頼があるので、自然に情報は集まってくるのだった。
「これ、今年の二年A組の名簿な。顔と名前は早めに一致させておいた方がいい。まあ、日暮先生はイケメンだから、向こうから寄ってくるだろうけど」
冗談と本気を入りまぜながら、日暮にクラスの出席簿を渡す。「ありがとうございます」と受け取った彼は、名前をざっと見ながら、井藤に尋ねた。
「井藤先生は、もうこの学校で長いんですよね」
「まあな。新卒からだから、十年になる。なぜか異動の辞令がないんだよな。一緒に入ったやつは他の学校に行ったのに」
「服部先生のことですか? そういえばさっき、北中にいるって聞きました」
「……詳しいね」
元同僚の現在の勤め先を知っていることに対して、ではない。井藤と一緒に入ったと聞いて、すぐに服部の名前が出てくることに対して、そう思ったのだ。この町の人にはよくセットで憶えられているので、そう珍しいことではないのだが、彼も高校時代には知っていたのかもしれない。
「日暮先生、高校はこっちだったんだよね。どこ?」
「礼高です」
「ああ、道理で」
出身校を聞いて、その「かもしれない」は「そうに違いない」になった。礼高、もとい礼陣高校には、井藤の教え子が多く行っている。特に騒がしかった連中、井藤に懐いてくれていた生徒たちは、日暮と同じ頃に礼陣高校の生徒だったはずだ。彼らから聞いた可能性が高い。
「それに先生、商店街でよく買い物されてますよね。オレ、高校の時によくバイトさせてもらってたので知ってるんです。加藤パン店にもいましたよ」
「加藤か! あいつなら話してるだろうなあ……」
日暮はこちらのことを、思った以上に知っている。けれども井藤は、まだ日暮のことをあまり知らない。ただ、名前はどこかで聞いたことがあった。教え子の会話からだったかもしれないし、商店街の噂話が元だったかも。どうにも思いだせないでいると、周囲の教員たちが動きだした。
「井藤先生、そろそろクラスに行かないと。日暮先生のことよろしくね」
「あ、はい。……さて行こうか、日暮先生」
「はい」
慌ただしく教室へ。生徒の出欠を確認したら、すぐに並ばせて、体育館へ連れて行かなければ。新年度の始業式は、きっと騒がしいだろう。気を配らなければいけないこと、やらなければならないことがたくさんある。それも日暮に覚えてもらわなければならない。
あまり表情の変化がないが、はたしてこの新任教師はついてこられるのだろうか。それだけが少し心配だ。井藤のテンションは大抵高めで、それにのってくれる生徒たちも元気いっぱいなのだが、彼はその勢いに乗れるのだろうか。
日暮を気にしながら二年A組のドアを開けると、そこには大歓声が待っていた。
「やった、やっぱり井藤ちゃんだ!」
「井藤先生のクラスで良かったー! イベントとか盛り上がりそう!」
まずは彼らの期待に応えつつ、この場を鎮めること。井藤の毎年の、いや毎日の、最初の大事な仕事だ。
「はいはい、俺が担任で嬉しいのはよくわかるけど、一旦静かにするように。挨拶はあとであらためてするとして、まず始業式だから廊下に並べ。静かにだぞ」
中学二年生は、大人になりたい子供だ。あまり厳しくしすぎても、子供扱いしすぎてもいけない。ちょうどいい付き合い方を、井藤自身もまだまだ模索中だ。結局はいつも、生徒たちが自分でなんとかしてくれていると感じる。彼らも自分自身と、常に向き合って戦っているのだ。
日暮は彼らと、どう付き合っていくのつもりなのだろうか。表情は生徒を見ても、まだ変わらない。落ち着いているように見えるが、にこりとも笑わない。服部も見た目に関してはあまり愛想がなかったが、彼はその上を行く。
人間、いろいろな人がいるのは当然だ。だが、笑っているに越したことはない。そのほうが好印象だからだ。微笑みすら浮かべずに井藤の隣に立っていた日暮は、生徒の目にどんなふうに映っただろう。
「新しい先生かな。イケメンじゃない?」
「彼女とかいるのかな」
……どうやら女子には、ただそこにいるだけでも好印象を与えているようだ。
始業式は例年通りに順調に進行し、そこで各担当教諭と新任の紹介もあった。拍手とざわめきの中、盗み見た日暮は、やはり真面目な顔をしていた。
教室に戻ってからはホームルーム。自己紹介をして、クラス委員を決めるところまでやったら、入学式の準備をする手筈になっている。つまり、ひとつのことにそれほど時間をかけていられない。こういう調整も、井藤たちの仕事のひとつだ。
「あらためて、みんなおはよう! 二年A組の担任、井藤幸介だ」
大きな声を出すと、生徒たちもつられるように心持ち大きな声で返事をしてくれる。そうではない子ももちろんいる。いていい。その子がどんな子なのか、井藤はちゃんと知っている。
「数学の授業を担当するけど、趣味は読書と料理だ。面白い本があったら教えてくれ。……と、こんな感じで、次は副担任に自己紹介してもらおうかな」
テンションを保ったまま、生徒たちを日暮に注目させる。期待の眼差しに彼はどう出るのか。井藤も興味津々だ。それを感じとったのか、日暮は井藤を一瞥してから話し始めた。
「日暮黒哉です。社会科を担当します。……趣味、は、歴史を勉強すること……?」
これは言わなくてはいけないのか、とでもいわんばかりの口調に、井藤は少々焦り始める。初めての場で、ハードルを上げすぎただろうか。いや、教育実習を経験しているはずだから、このくらいのことは大丈夫だろうと思っていた。
生徒たちの様子を見る。新任のイケメン教師とあって、女子の興味は逸れていないようだ。男子は……こちらもしらけてはいない。一部はむしろ目を輝かせている。そんな様相を見せている生徒たちに共通するものに、井藤はすぐに気がついた。
「日暮先生、特技は? スポーツとかやってない?」
話をふってみると、一瞬目を丸くしてから、生徒たちに向かって答えた。
「小学生の時から剣道をやってます。高校生の時、全国に……」
「やっぱり!」
「日暮先生って海にいのライバルだよな! 夏とか、ときどき心道館来てたもんな!」
特に日暮に興味がありそうだったのは、町の剣道場に通う生徒たちだった。中学校に剣道部はなく、剣道をやりたい子供たちは剣道場に入門しているので、そこで面識があったのだろう。町の有名人、心道館の息子と仲が良いなら、多少表情が乏しくても大丈夫だろう。子供たちが引っ張っていってくれる。
「先生、よろしく!」
「ああ……よろしく」
「日暮先生、彼女とかいないんですか!?」
男子に負けじと、女子も手を挙げる。井藤クラスはなぜかいつも勢いが良すぎる。あまり無茶なことは訊くなよと井藤が口を開きかけたその時、日暮は大真面目な顔を崩すことなく言った。
「彼女じゃなく、妻がいます」
一瞬の静寂のあと、クラスは激しく沸騰した。

入学式の準備をしつつ、日暮は生徒たちに度々囲まれていた。話しかけられるその内容は、大きく二通り。剣道のことと、「妻」のこと。騒ぐ生徒たちに「準備真面目にやれー」と井藤が声をかけると、一旦は散っていくが、また集まってくる。日暮が、質問をおざなりにせず、そのひとつひとつにきちんと答えるからだ。とんでもない新人がやってきたものだと、井藤は苦笑した。
けれども一方で、安心もしていた。日暮は愛想こそあまりないが、生徒には真摯に向き合ってくれるだろう。仕事のしかた、自分のあり方といったものは、服部に近いものがある。長らく失っていた半身を取り戻したかのような、そんな気さえしていた。
そういえば服部も、最初に「彼女いますか」と訊かれたと言っていた。そしてそれに、正直に「いる」と答えていたような。
「井藤先生、椅子の準備できました」
「あ、ありがとう。じゃあ生徒たち教室に戻そうか。おーい、静かに教室に戻れー。帰りのショートホームルームやったら終わりだからなー」
返事をして体育館から出ていく生徒たちを見送りながら、井藤は日暮を横目で見る。彼女がいてもおかしくない、平均以上のルックスではあるが、まさかそれを通り越して「妻」とは。大学を卒業してすぐなんじゃないのか。
「……日暮先生、指輪は?」
右手の人差し指で、自分の左手薬指をとんとんと叩いて、井藤は尋ねる。ああ、と何もアクセサリーのないまっさらな左手を――手首に時計はあったが――持ち上げて、日暮は言う。
「やっぱりつけてないと説得力ないですか」
「若いから。若すぎるから。今時、学校卒業してすぐ結婚……する人もいるけど、早くない?」
「実際はまだ結婚してないんで。妻になる予定の人はいますけど。どうせ夏に結婚するなら、もう妻がいるって言っても変わらないかと」
「夏……でも早い。え、礼陣の人? そんな急ぐ必要あるの?」
「今はアメリカにいますけど、礼陣生まれの礼陣育ちですよ。体弱いので、早めに籍入れようって話してたんです」
井藤の質問にも、何一つとして隠し事をしない。いや、井藤だからこそ、本当のところを話したのだ。相手が大人だから。
「いろいろ事情があるんだなあ……」
「はい。ところで、そろそろオレたちも行かないと」
教室に向かって早足で歩き出し、思い出した。日暮黒哉、その名前をどこで聞いたのか。商店街であることは間違いないが、問題はその内容だった。
町中が厳戒態勢になったので、よく憶えている。あの年の春、礼陣で殺人事件が起こった。犯人は逃走、間もなく指名手配となり、約一年経ってようやく捕まったのだ。――日暮黒哉は、被害者の息子だ。

ショートホームルームで学級通信を配り、次がつかえてるからと生徒たちを解散させた。吹奏楽部と生徒会役員、そして受付をする生徒だけが、学校に残って入学式に参加する。
それまでの時間もせわしなく動き、新一年生を無事に迎えて、全てが終わったのは夕方も近くなってからだった。
それでもまだ翌日からの授業の準備をしながら、井藤と日暮はぽつぽつと言葉を交わしていた。
「日暮先生、高校だけ礼陣って聞いたけど。その前は?」
「門市にいました。で、高校卒業してからまたそっちに戻って大学行って。卒業したらまたこっちです」
「忙しいね。じゃあ、剣道も心道館の門下生ってわけじゃないんだ」
「はい。高校の同級生が心道館のやつだったんで、出入りはしてましたけど」
はじめ先生にもお世話になりました、と言いながら、日暮は小さく切った方眼紙にちまちまと文字を書きこんでいる。明日配布する学級通信に、日暮からの直筆のコメントを載せたいという井藤の提案に応じてくれているのだ。普段はワードプロセッサーソフトで一気に作ってしまうのだが、自己紹介くらいは直筆がいい。文字には、その人の性分が現れる。
しばらくして、「下手ですみません」と渡された方眼紙には、少し角ばってはいるが、大人らしく読みやすい字があった。さすがに中学生とは違う。
「いいじゃん。……へえ、洋楽聴くんだ。これを最初に言えば、もっと生徒食いついたかもしれないのに」
「すみません」
「いやいや、明日の楽しみに取っておけばいいんだよ。社会科だけじゃなく、英語の成績も影響されて上がってくれればいいな。日暮先生は、喋るより書く方が得意なの?」
「今朝のは、その、緊張してたんで。顔に出ないみたいですけど、オレ、緊張しやすいんです」
本当に顔に出ない。こうして話しているあいだも、全く表情を変えないのだから。服部もそうだったなと思って、井藤の頭にある考えが浮かんだ。あの服部ですら、あるときだけは表情を緩め、自然と笑うのだ。彼はどうだろうか。
「日暮先生。良かったら俺の家で飲まない? つまみも作るよ」
「ああ、そういえば料理が好きだって言ってましたね。詩絵……加藤さんたちからも聞いてます、先生の料理は美味しいって」
「自分で言うのもなんだけど、かなりの自慢だ。飯で人を笑わせられる自信がある」
「なんで教師やってるんですか……しかも数学……」
呆れながらも、日暮が少しだけ、笑ったように見えた。実際に食べればもっと笑ってくれるだろう。さて、今日は何を作ろうか。惚気られたから、自分も近々結婚する予定の彼女を紹介して、仕返しもしてやろう。
またこの町での春が巡ってきた。新しい一年が、出会いとともに始まる。この町に来て、この町にいるから、迎えられた季節だ。



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posted by 外都ユウマ at 22:18| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする