2016年01月31日

文章収納しました

今月のお話をまとめました。

「未来への行進曲と彼女の子守唄」
真想曲シリーズ、半年ぶりの続きでした。
在が自分の未来を決めることと、黒哉が母の過去を振り返るお話になりました。
黒哉のお母さん、清佳さんは書いてて楽しいです。もう一度書きたい人です。
真想曲は次回で最終話。最後までよろしくお願いします。
「世界を渡り守る者」
元日恒例、歳神ミトシの訪いです。
礼陣の神主さんは大鬼様であり、本来はもっと別の神様なのでしたというお話。
「鹿川透の四季日記」
礼陣に住んで一年になる頃の透少年。彼が神道を学ぶようになるまでの、その第一歩です。
透君の話はまたやりたいですね。彼はいい子ですよ。
「つながる同窓会」
にごらず世代の成人式でした。リアルタイムだと昨年だったのですが、あのときはまだ本編連載中だったので見送りに。
浅井君をふるためのお話でもあったので、彼には気の毒なことをしたなあと。
「贖いの記憶」
子鬼の昔話。この頃神主さんはひきこもりでした。
かつて子鬼も忘却の罰を受けた、という話の詳細になります。
「故郷には君の声」
海と千花のお話、番外編。北市女学院ラジオサークルのお話はかなり前からやりたかったのでした。
二人はこの時点でまだ普通のカップルです。

以上6本。礼陣からお送りしました。
来月は真想曲最終話からのスタートを予定しています。
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2016年01月30日

故郷には君の声

礼陣の人間が山を越えると、これまでの生活と外の世界の暮らしとのギャップに参ってしまうという。それはよく言われることだが、まさか自分にも当てはまるとは、実際に外に出てみるまでわからなかった。
尊敬する先輩が、外へ出た年に少し変わってしまった時点で、心配しておくべきだった。覚悟がほんの少しでもあるのとないのでは、随分と心持ちが違っただろう。
一年。たった一年で、海も疲れてしまった。支えてくれたのは礼陣や各地に散らばった友人たちから来るメールで、頻繁に互いの苦労を労い、癒されていた。
そうして迎えた大学二年の夏休み。礼陣に戻り、鬼封じの儀式を終えて、ようやく一息ついたころ。海は自分の家ではなく、幼馴染のいる須藤家に来て、ぐったりしていた。
「海にい、ごろごろするなら自分の家でしなよ」
幼馴染の春は四月に大学生になった。背は相変わらず低い方だが、しっかりものだ。高校生の時までおさげにしていた髪は、今は解いていて、ますます亡くなった母親に似てきた。
「家には誰もいないから。父さんは大会の引率に行ってるし」
「寂しがりだなあ。すっかりよそにやられちゃって」
『なんだ、海は寂しがりなのか』
台所でそうめんをゆでる春の隣に、子鬼がいる。春にはもう見えていないようだったが、海にはまだその姿をはっきりと捉えることができる。礼陣にあたりまえにいる鬼たちが、よそへ行くとまったくいなくなるのも、海にとってはなかなか慣れることのできない環境だった。――さすがに一年以上経てば、よその暮らしにも馴染んできたが、やはり礼陣に戻ると昔からの当たり前が恋しくなる。これでこそ自分の育ってきた場所だと、つい土地や人に甘えてしまう。
できるだけ人のいるところに行って、自分の存在を確かめる。今日はそれがたまたま須藤家だったという、実はそれだけのことなのだ。友人たちの誰かや、恋人が捕まれば、そちらを頼る。
「寂しがりなんじゃなく、話し相手が欲しいだけだよ」
「それが寂しがりだって言ってるの。千花ちゃんに連絡したらふられたってとこ?」
「人聞きの悪い。……たしかに千花にメールしたら、今日は用事があるって言われたけど」
「そりゃあ、今日は……」
春の声に、ざあっと水を流す音が重なった。茹であがったそうめんをよく冷やし、つゆと薬味と一緒に居間へ持って来るまでは実に手際が良く、海が手伝う隙がない。
「おじいちゃん、お昼ー」
須藤翁が返事をするのを聞きながら、とりあえずつゆを薄めて、薬味を好きな分入れた。夏の昼食は簡単で良い。

外から神輿唄が聞こえてくる。夏祭りのために、子供たちが練習しているのだ。昔は海と春も、子供神輿を楽しみにしながら参加したものだった。
「今年も威勢がいいな」
「少子化だっていうけど、ここの子供はあんまり減らないよね」
お盆を過ぎてから開催される夏祭りは、海にとって苦しい時期の向こう側だ。鬼封じを終え、重い気持ちが取り払われたあとにある、心から楽しめるもの。だから夏祭りは子供の頃からずっと好きだった。ある年は春を連れて、またある年は友人たちと、町中を練り歩き、駅裏商店街の出店をまわった。
昨年帰省した時も、久しぶりに集まった友人たちと祭りを歩いた。知人への挨拶も一通りし、鬼たちともほんの少し言葉を交わした。今年もきっとそうなるだろう。
最後の花火は恋人と見たのだったが、今年はまだ誘えていない。春の同級生で、大学生になったばかりの彼女は、どうやら忙しいようだ。
「春、千花ってサークルとか入ってるの? そういう話全然聞いてないんだけど」
春と、海の恋人である千花は、同じ地元の女子大に通っている。学部も同じだ。専攻は違うらしいが、基礎科目は一緒に受けることが多いという。それらのことを、海は千花からではなく、春から聞いていた。千花はあまり自分のことを話さない。
食器を洗いながらの問いに、春は笑いながら「今更?」と言う。
「いつもメールして、何話してるの。千花ちゃん、サークルは入ってるよ。ちょっと忙しいところで、休みでも活動があるの。だから今日も海にいの相手ができなかったんだよ」
「へえ……」
思えば一年、自分のことばかりで、千花の話をあまり聞いてこなかった。故郷を離れて、新しい環境に馴染むのに精いっぱいで、千花もそれを励ましてくれるばかりで。それでも愛想を尽かさないでいてくれるのだから、千花はどれほど我慢強いのだろう。
それともそろそろ限界を感じて、サークル活動に打ち込むようになったのだろうか。そもそも何のサークルに入っているのだろう。――付き合っているのに、知らないことばかりだ。
「帰省してから、まだ一回も顔合わせてない」
「あっちもこっちも忙しいから、仕方ないんじゃないの。……大丈夫だよ、千花ちゃん、海にいほど寂しがりじゃないから」
少し棘のある春の言葉は、海にはよく刺さる。礼陣に戻っているあいだのみならず、千花をはじめとする知人たちには甘えすぎていたのかもしれない。
「そういう春は、新が礼陣を離れてから寂しくないわけ」
「寂しくはないよ。……昔は、離れたくないと思ってたけど。でもお互い進路を決めて、離れることにしてから、受け入れられるようになったなあ。もちろん会うのは楽しみだけどね」
「新は寂しがってるんじゃないの」
「うん、寂しいって言ってた。新は正直だから、そういうのすぐ言うよ」
礼陣の人間が山を越えると、これまでの生活とのギャップに疲れてしまう。その疲れを癒そうとして、礼陣を求め、甘えるようになる。それが一方的になってはいけないと、わからないわけではないのに。
「ちゃんと千花の話も聞かなきゃな」
「千花ちゃんは千花ちゃんで、海にいを優先させたくて話さないんだろうけど……でも海にいが何も知らないのはかわいそうだね」
食器を片付け終えた春が、時計を確かめてから、意味深に笑った。
「もうちょっとうちにいるでしょ。お茶とお菓子、出してあげるから」

須藤家ではラジオ専用機が現役で、電源を入れるとFM放送が明るく流れだす。午後二時の時報のあと、その番組は始まった。タイトルコールに、女の子の声が続く。
『こんにちは! 北市女学院大学ラジオサークルがお送りしますこの番組。本日のお相手は、四年の千里あや子と』
『一年の園邑千花です。よろしくお願いします!』
驚いてラジオと春とを交互に見る海に、春は茶を淹れながら言う。
「入学してすぐの頃、千花ちゃんがアナウンスが上手なことを知ってる先輩が、千花ちゃんを誘いに来たんだよ。北市女大のラジオサークルって、前から結構有名だったんだね。ファンも多いんだって」
「そんなこと、千花は一言も……」
「恥ずかしかったんじゃない? 私から教えてもよかったんだけど、こういうのは本人から聞くか、実際の放送を聴いたほうが良いんじゃないかなって思って」
これが千花が忙しい原因だったようだ。番組の企画から原稿作成、本番の動きなど、全て放送局の力を借りながら自分たちでやるというのが、北市女学院大学ラジオサークルの活動らしい。実際に放送に声がのらなくても、裏方としてやることが多いのだ。
「パーソナリティーがローテーションだから、千花ちゃんの声が聴けるのは月に一回くらいなの。今日ちょうどその日だったから、海にいが来なくても、メールでラジオつけるように言おうと思ってたんだ」
「千花がラジオやってることじゃなく?」
「驚いてほしかったんだよ」
ラジオからは千花とその先輩の、生き生きとした声が響く。メールを読んだり、町のニュースを報せたり、一時間ほどの番組は順調に進行していく。リスナーからの悩み相談があれば機転を利かせて答え、嬉しいことがあったと聞けば一緒に喜ぶ。千花の声が、たくさんの人々を笑顔にしていることは、想像に難くなかった。
『夏の思い出について、こんなメールもいただいてます。ラジオネーム、元値切り上手さんから』
夏の思い出、というのがどうやら今月のテーマらしい。先ほどからこのテーマに寄せて、いくつもメールが読まれていた。
『あや子さん、千花ちゃん、こんにちは! はい、こんにちはー。……夏の思い出といえば、やっぱり夏祭りですね。昔は屋台で値切り交渉に勝って、美味しいものをたくさん食べたものです。それからお祭りの最後に上がる花火、去年は彼氏と見ることができましたが、今年も誘えるかな? 今から楽しみです。ということです。千花ちゃん、これって礼陣の夏祭りかな』
『値切り交渉ってあたりが礼陣っぽいですね。私は値切り苦手だったんですけど、友達がそうやって美味しいものをゲットしてるのを見て、かっこいいなあって思ってました。それはともかく、今年も彼氏さんと一緒に花火見ましょう! 好きな人、大切な人と見るのが、一番良いですから』
『千花ちゃんも一緒に見たい人いるの?』
『いますよ。元値切り上手さん、まだ彼氏さんを誘っていなかったら、ぜひ今日のうちに声をかけてみましょう! 私も今日中に頑張って誘います!』
この発言は千花のファンが聴いたら驚くのではないだろうか。海がラジオを指さしながら春を見ると、にこにこしながら言った。
「千花ちゃんいっつもだよー。初登場が五月だったんだけど、そのときから彼氏いることを窺わせる発言が普通にあったし、だからこそ千花ちゃんが出る回を狙って恋愛相談を送るリスナーもいるの」
「そんなものなのか……」
ローテーションで月に一回程度しか声を聴くことができなくても、パーソナリティーにはそれぞれファンがついているという。千花には千花の声や言葉が好きなファンがいる。今の千花は、たくさんの人に愛されているのだ。
「負けてられないよ、海にい。千花ちゃんから連絡が来る前に、花火に誘ったら?」
「……そうだな」
この放送がはっきりと聴けるのは、礼陣を含む門郡と門市まで。逆にいえばその狭くはない範囲で、千花は今日中に一緒に花火を見たい人に連絡をすると宣言した。
こっちから声をかけたら、喜んでくれるだろうか。千花を「みんなの」ではなく、海の独り占めにしてしまってもいいだろうか。――ラジオを聴けるのはこの一回限りだろうから、これくらいは許されるだろう。
「ちなみに過去の放送は、北市女学院大学ラジオサークルのホームページからポッドキャスト配信してるから、県外にいても聴けるよ」
「あ、そうなんだ……」
もっと早く知っていれば、寂しがらずに済んだのに、なんて。いや、それはそれで故郷が恋しくなったかもしれない。

千花を花火に誘うついでに、ラジオを聴いたことも伝えた。するとその夜に電話がきて、「黙っててごめんなさい」と謝られた。
「なんだか恥ずかしくて。本番中は勢いで喋れるんですけど、毎回緊張してるんですよ」
「勢いで付き合ってる人がいるって言っちゃったのか」
「すみません……名前とか、本人を特定できるような情報は出してませんから!」
「それは頼むよ。身元がばれたら千花のファンから恨まれる」
この声は、ラジオを聴く不特定多数に向けられたものではなく、海への言葉。自分の存在を確かめられるもの。寂しさを振り払うもの。
早く直接会いたい、と思うのも甘えだろうか。この気持ちがある以上は、海は礼陣から離れることはできない。一時的に遠くへ行っても、ちゃんと戻ってくる。
そこには愛しいものがあるから。愛しい声が響くから。



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2016年01月24日

贖いの記憶

ぐるりを山に囲まれた、礼陣と呼ばれる里があった。そこでは田畑と野山、川の恵みを受けて、人々が暮らしていた。そこにいるのは人間だけではなく、鬼と呼ばれる不思議な力を操る者たちも、ひっそりと生きていた。
鬼はかつて人間に堂々と手を貸しながら暮らしていたが、いつからか姿を見せないようになった。人間たちの生活が変わり、鬼の力を借りることで暮らしのバランスを崩してしまうようになったのだった。人間たちが自身の力で生きていけるように、鬼たちは見守ることに徹した。
しかし親を喪った子供には、その姿を見せて、親の代わりをし続けた。それは鬼が礼陣に降り立ったとき、人間に「子供たちを守る」と約束したからだった。鬼が見える子供たちは「鬼の子」と呼ばれ、鬼が見えない普通の人々も、そんな子供たちや鬼の存在を受け入れ続けてきた。
だがときどき、本当に珍しいことだったが、両親ともが生きているにもかかわらず、鬼が見える子供が現れた。生まれたときから鬼に親しみ、鬼と遊び、人間の世界と鬼の世界の両方を知ったその子供は、人々からとくに大切にされた。
ところが、病魔が子供を襲い、惜しまれながらも命を落とすこととなる。人間としての人生を終えたその子は、しかし、鬼を束ねる大鬼に魂を保護された。鬼と心を通わせられたその子供は、本当に鬼と成ったのだった。
子供の姿を保ったその鬼――子鬼には、人間だった頃の記憶があった。鬼の子相手であれば生前と同じように遊ぶことができ、よく人間を助けた。鬼に成ってもよくできた子だった。
だが、できた子だからこそ、過ちを犯してしまうこともある。子供が大きな力を持つのは、あまりにも早すぎたのだった。

平太という、鬼の子がいた。父親を亡くし、周りの人々と鬼たちに助けられながら、母と二人で暮らしていた。平太は子鬼と特に仲良しで、二人で遊ぶこともしばしばあった。通りで、川べりで、山で、二人は子犬のようにじゃれ合っていた。
「子鬼はいろんな遊びを知ってるな」
『生まれたときから、周りの鬼が教えてくれていたからな。山の食い物のことも知っているぞ。胡桃の実はしばらく埋めておいて、実が土にかえり種だけになった頃に掘り出し、割って食べる。美味いぞ』
「ははは。埋めた場所がわかるようにしておかなくちゃならないな」
たくさんのことを知っている子鬼のことが、平太は大好きだった。できることならいつまででも一緒にいたいと思うほどに。そして子鬼も平太のことが大好きだった。二人で遊ぶ時間は、どんなものより――それこそとっておきのおやつを食べるより楽しみだった。
けれどももとより人間と鬼。ただの鬼の子である平太には、いつか全ての鬼が見えなくなってしまうということも、子鬼は知っていた。それが自分たちの別れのときであり、けれども平太が大人になった証拠であるのだから喜ぶべきことなのだと、周りの鬼から聞いて知っていた。
それでも子鬼は、まだ幼い。知っていても、解ることはできない。平太と遊べなくなってしまうことを思うと、寂しくて仕方がなかった。ただでさえ成長が止まってしまった子鬼は、どんどん平太と背丈が離れていってしまっている。あとどれくらいで、平太は子鬼が見えなくなってしまうだろう。そのことがいつも不安だった。
けれども子鬼は他の鬼よりもほんの少しだけ強い力を持っていたために、鬼の子に姿を認められる時間が、幾ばくか長かった。平太以外の鬼の子と関わっていて、そのことに気づいた。成長し、他の鬼がぼんやりとしか捉えられなくなった「元鬼の子」になりつつある者にも、子鬼だけは見える。もともと持っていた力ゆえか、子鬼は他の鬼たちよりも存在感があるようだった。
だから平太とも、彼が母親を手伝っていくらかの仕事をするようになってからも、遊び続けていた。そのあいだにも平太の目に他の鬼が映らなくなっていく様子を見ていた子鬼の胸には、いつも安心と不安の両方がぐらぐらと揺れながらあった。
「子鬼とも長い付き合いになるな。……もう他の鬼はいるのかどうかわかんないけど、子鬼だけはわかるんだ。そのまま大人になれたらいいのにって思うよ。昔そうだったってじいさんばあさんたちが話してくれるように、鬼と人間がいつまでもお互いを見ていられるようになったら、この里はもっと面白いんじゃないかって」
『そうだな。私も平太といつまでもお喋りしていたいよ。大人になった平太と話がしたい』
平太は賢い子供だ。大人になったら、里の偉い大人たちがするような、理知的な話ができるかもしれない。そのとき、子鬼はこれまでに得てきた大人たちの知識や知恵を、平太に授けてやりたかった。昔に人間と鬼がつくりあげたという関係を、再び築けたらいいのにと思った。
けれども時が経つにつれて、やはり平太も他の鬼の子と同じように、子鬼の気配を感じ取れなくなっていった。子鬼が呼びかけるまで、ときには着物の裾を引っ張るまで存在に気づかないようになった。やっと子鬼の姿を見つけた平太は困ったように笑うのだが、子鬼は笑顔で返せない。ただただ、別れのときが近づいているのが恐ろしかった。
他の子供との別れは仕方ないと思って受け入れられたのに、平太に限ってはなかなかそうはいかない。子鬼にとって平太は特別な子供だった。生まれてまもなく父を亡くし、まだものを見るのもままならない頃から、ずっと世話をやいてきた子供だ。弟のように、大きくなってからは時折兄のようにも思えた平太を、子鬼は諦めることができなかった。
いよいよ平太が子鬼を無視するようになってきたとき――もう平太には他の鬼を認識することがほぼ完全にできなくなっていた――これが最後だと思って、子鬼は平太を必死で呼んだ。名前を叫びながらしがみついて、服を叩いて、やっとこちらに気づいてくれた。
「ああ、子鬼か。もしかしてずっと呼んでたか。ごめんな、もう俺には……」
『わかってる。だからこれが最後だ。……私と遊ぼう、平太。今まで連れて行ったことのない、とっておきの場所に行って』
泣きわめきすぎて、頭がおかしくなっていたのかもしれない。のちの子鬼がそのときのことを思い返せたのなら、そう言うだろう。
「とっておきの場所って?」
『こっちだ。……ただ、私について来ればいい』
平太の手を引いて、子鬼は歩いた。いつか人間たちが鬼たちのために建ててくれたという、大切な社のほうへ。
土地の名をとり「礼陣神社」、あるいは祀っているものからとって「鬼神社」とも呼ばれることがあるその社は、人間と鬼の繋がりを示す場所であると同時に、鬼たちのための神聖な場所でもあった。
ことに社を囲む雑木林は、鬼たちだけが出入りすることのできる場所として、人間たちが踏み入ることを禁じていた。「人間が鎮守の森に入ればたちまち迷って出られなくなる」と、子供たちは幼い頃から大人たちに教えられて育つ。もちろんのこと、平太もそれを知っていた。
だから子鬼にそこへ連れられてきて、平太は大層驚いたのだった。
「子鬼、この森には入っちゃだめだって、子鬼も言っていただろ」
『大丈夫だ。私と一緒にいれば迷わないだろう。鬼のための場所に、鬼と入るんだ。こちらが招いたのだから何の問題もない』
子鬼自身、そう思っていた。ずっと平太についていれば、遊び終わってから無事に帰してやれるだろうと。ただほんの少しだけ、鬼の秘密を教えてやるだけだと。特別な存在である平太に子鬼がしてやれることは、そのときはもう、それしか考えられなかった。
『行こう、平太』
平太も、もう鬼がほとんど見えなくなっていたとはいえ、子供の頃の好奇心をすっかり失ってしまったわけではない。子鬼が言うなら大丈夫だろうと、そのあとについていった。そうして平太の姿は、鎮守の森の中に消えたのだった。

里がにわかに騒がしくなったのは、平太がいつまでも帰ってこないことを心配した母親が、近所中を訪ねまわってからだった。もう日もとっぷり暮れて、道端では話している相手の顔さえわからないくらいの時間、人間たちは手に手に明かりを持って、平太を大声で呼んだ。
どんなに捜しても見つからない。川にでも落ちてしまったのかと心配する声を、平太の母親は敏感に聞き取って、さらに必死になって平太の名を叫んだ。
どうにもならなくなった人間が頼ったのは、鬼の子たちだった。鬼に平太を見なかったか尋ねてくれと縋り、彼らの口を通して平太の足取りを掴んだ。平太は神社のほうへ向かって行ったと、それでようやくわかった。
神社には大鬼様が、人間の姿をして、神主と呼ばれながら住んでいるはずだった。めったに姿を現さない大鬼様だったが、人間たちが大勢、それもひどく困った様子で境内に乗り込んでくると、さすがに心配だったと見える。
「どうしましたか、みなさん」
暗闇にぼうっと浮かび上がった血色の悪い男に、平太の母親は大粒の涙をこぼしながら縋りついた。
「神主さん、平太を見ませんでしたか。神社に来たかもしれないんです。それからうちに帰ってこないんです」
方々を捜しまわったあとで、もう泥まみれになってしまっていた人々を見て、大鬼様は鬼たちに声をかけた。人間たちには聞こえない、心だけでする会話を、礼陣中の鬼たちと交わした。鎮守の森の中にいる鬼たちにも声は届いた。彼らの声を聞き、そうしてやっと、大鬼様は口を開いた。
「平太君は鎮守の森の中に入ってしまったようです。今から私が捜しに入りますから、みなさんはどうぞ家で休んでいてください。ここにいるという方も、絶対に森へ入ってはいけませんよ」
平太は鎮守の森にいる。そのことに人間たちは騒めいたが、大鬼様の言葉を聞いて、全てを任せることにした。森に入った人間を、人間が捜しに入れば、帰ってこない者が増えるだけだ。鬼たちを信じている人間たちは、そのことをよく知っていた。
「神主さん、おねがいします」
平太の母親が深く頭を下げると、大鬼様はしっかり頷いて、森の中へと消えていった。

森の中では、子鬼が泣きながら平太を捜しまわっていた。ずっと一緒にいれば迷わないと思っていたが、この鎮守の森はたくさんの鬼の力が複雑に渦巻いていて、足を踏み入れた平太をあっという間に飲み込んでしまったのだった。
子鬼がいくら呼んでも、平太は返事をしない。もしかしたらもう、この声は聞こえなくなってしまったのかもしれない。平太は鬼の子ではなくなろうとしていた。他の鬼を見ることができなくなっていた。その状態で森の中にいては、ただただ迷うだけだ。人里にも帰ることができない。
こんなことになってしまうなんて、と子鬼は嘆いた。嘆きながら、平太を捜した。他の鬼に訊いても首を横に振り、一緒に捜してくれてもその鬼は平太には見えない。平太を帰り道へと導くことができる鬼は、もうどこにもいないのかもしれなかった。
『ごめん、平太。私がこんなところに連れてこなければ良かったのに。私が平太と別れたくないなどと、ずっと話をしていたいなどと思ってしまったから……』
鬼と人間が、いつまでも一緒にいられる時代は、もうとうの昔に終わってしまったのだ。人間は人間の、鬼は鬼の領分の中で生活しなければならなかった。それを子鬼は破ったのだ。子供を傷つけてはならない礼陣の鬼の、最も大きな罪を、子鬼は犯してしまった。
『平太、平太……』
どんなに呼んでも返事はない。平太は里に帰れない。今頃平太の母親は、どんなに子供を心配していることだろう。きっと子鬼が思うよりもずっと、つらい思いをしているはずだ。平太もどんなに母親に会いたいことだろう。このまま親子を別れたままにさせておくわけにはいかない。
もう一度平太を呼ぼうとしたとき、子鬼の頭の上に声が降ってきた。鬼を束ねる大鬼様が、この森を含む里中に呼びかけている声だった。
『平太君の行方がわからないと、皆さんが捜しています。誰か知っている者はいませんか』
もう頼れるのは、この声の主しかいなかった。子鬼は天に向かって、大きく口を開けた。
『平太は私が鎮守の森に連れてきた! それで別れ別れになってしまった! ごめんなさい、本当に、ごめんなさい!』
それから大鬼様が子鬼の目の前に降り立つまで、あっというまだった。
「今の言葉はたしかですね」
尋ねた大鬼様に子鬼は頷いた。下を向いたら、もう頭を上げられなかった。そうしているうちに、いったいどうしたのか、鎮守の森の外から歓声が聞こえた。
「平太君は里に帰しましたよ」
項垂れたままの子鬼に、大鬼様の声が降ってきた。今度は遠くからではなく、すぐ上から語りかけられていたとわかったが、視線は地面に落ちたままだった。
「人間を鎮守の森に引き入れてはいけませんよ。里と私たちが力を解放できるこの場所とは、空間そのものが異なってしまっています。……平太君も、もう少しで永遠に人間の世界へ帰せなくなるところでした」
もう謝っても仕方がない、許されないと、子鬼はわかっていた。このままこの身を滅ぼされても当然だと思っていた。その時を静かに待っていると、大鬼様は溜息交じりに続けた。
「貴方は力の強い鬼です。その力はまだ、皆さんの助けになるはずです。……私は貴方を消したりしませんよ。ただ、平太君と一緒だった頃を含む、今までの記憶をいただきます。貴方は鬼としてもう一度力の使い方をよく考え、しばらく森にいなさい」
平太のことを忘れるのは、消えるよりつらいことのように思えた。けれどもそれは一瞬のことで、まもなく子鬼の中から、平太を含むこれまでの記憶がなくなった。
忘れてしまえば、のちに平太という男が才を認められて大城のお殿様に引き抜かれ、そして二度と里へは戻らなかったという話を聞いても、よくあることだと思うだけになった。
ただ、鬼として礼陣の里の民を守るために力をふるう。そのことは子鬼の意識に残った。

それから年月を幾つも数え、子鬼は今、町となった礼陣に生きている。そうして人々とともにある。
ときおり何かが頭をよぎり、町を歩いてはみるけれど、遠い昔のできごとは、思い出せなくなっている。
昔の記憶はもうないけれど、人間のことはずっと好きだ。傍で見守り、ときには助け、大人になるのを見送っていく。これからもずっとそうしていく。
それが礼陣の鬼の役目で、姿を見止められなくとも果たすべきこと。昔々の大昔から、そういう約束なのだから。たとえ憶えていなくとも。



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2016年01月23日

未来への行進曲と彼女の子守唄 その5

 夕飯の後に食器を洗いながら、演説の原稿について少し考えるつもりだった。半端なものは水無月先輩に見せたくないし、全校生徒の前で発表するなんてもってのほかだ。自分でも意外なほどに真剣に考えていることに、心の中で苦笑する。表情には出ていないだろう、たぶん。
 だから母も、こんな話を切り出してきたのだと思う。
「在、あのね。……あの人、律人さんが、大城市にいるかもしれないんですって」
 危うく、皿を落とすところだった。泡立った洗剤の、じゅわりという音が、妙に耳に残る。それを素早く洗い流して、僕は作業を中断した。
「あの人、県内にいるの? 行方がわかっているならなんで捕まらないの」
「目撃情報があったってだけだから……でも、警察が今、大城市を中心に捜索をしてくれてるわ。もしかしたら礼陣に戻ってくるかもしれないから気をつけてくださいって、万が一接触してくるようなことがあればすぐに連絡をくださいって、電話が来たの」
「いつ?」
「……今日。と、昨日も」
 昨日連絡があったなら、どうしてすぐに教えてくれなかったんだ。いや、昨日は僕がすぐに部屋に引きこもってしまったから、母に話をするタイミングがなかったのだろう。しばらくあの人については進展がなかったから、僕も油断していた。
 あの人が生きている以上、僅かでも忘れてはいけなかったのに。日常の中で、僕はすっかり憎むべき相手のことを頭の隅に追いやってしまっていた。あんまり、平和だったから。
「このこと、黒哉には?」
「もう伝わってると思うわ。樋渡さんにも連絡はしているみたいだから、黒哉君も……」
 母と黒哉の保護者である樋渡さんは、黒哉のお母さんが亡くなって以降、頻繁に連絡をとっていたのだということを最近知った。黒哉のお母さんは、何重にも自分に何かがあったときのための保険をかけていたらしい。黒哉のために、僕の母をも味方にしようとしていた。そのことは樋渡さんたちや黒哉にうまく伝わっていなくて、事件直後は混乱が生じたのだけれど。母が黒哉を引き取ろうとして、コトミさんたちと揉めたというのも、そのせいだった。
 黒哉のお母さんが門市の知りあいだけでなく、礼陣に常田家という味方をつくっておいたのは、正しい判断だったのではと僕は思う。初めのうちこそ拒絶されたけれど、今の黒哉になら、僕らは躊躇なく手を差し伸べられるし、それをとってもらえる自信もある。でも、それは僕らが気づいて動けた場合の話だ。そうでなければ、黒哉は今だって、危険なことを独りで抱え込む。そういう子だと、僕はもうわかってしまっている。
 黒哉はきっと、今回のことも知っていて、僕には黙っていたのだ。一人でなんとかするつもりで。もしかしたら、この町の鬼とかがいざとなれば助けてくれるなんて思っているのかもしれない。あれほどあてにならないものはないと、僕は思っているけれど、それが「見える」黒哉はそうではないかもしれない。鬼なんて、黒哉のお母さんを見殺しにして、その居場所に都合よく居座っているようなものなのに。そんなのは危険すぎる。もしあの人が礼陣に来て、今度は黒哉に手を出したなら……。
 いてもたってもいられず、僕は携帯電話を手にして自室に入る。今まで黒哉にはメールこそすれども、電話はかけたことがなかった。ときどき眺めるだけだった番号に、今日は迷うことなく発信する。呼び出し音が鳴るあいだ、黒哉が無事かどうかばかり気になった。もうあの人がこの町に来ていて、黒哉の住むアパートの部屋に近づいているところまで想像した。あの人の現在の姿なんかわからないし、ほとんど家に帰ってきたこともなかったから、想像する姿は顔のわからない、黒い影のようだ。
 そうだ、僕はあの人を憶えていない。両親が離婚したのは僕が小学生になってからだけれど、その理由を知ったのはずっと後になってからだ。それも、祖父と母があの人について少し話していたのを、こっそり聞いただけ。詳しいことは黒哉のお母さんが亡くなってから、ようやく理解したのだ。
 僕はいつも何も知らない。用意されたものを辿ってばかりだったから、いつだって出遅れる。気づいたときには全てが手遅れだ。でも、今度は、今度こそは、そんなことにはしたくない。大切なものの一つくらいは守りたい。
「……もしもし」
 待った時間はどれくらいだっただろうか。僕にしてみれば長かったけれど、実際はそうでもなかったのかもしれない。とにかく黒哉は、いつもの調子で電話に出てくれた。それだけで、ほっと気が抜けた。――でも、それで終わってはいけない。
「黒哉、僕、在だけど」
「表示されるんだからわかってるっつーの。なんだよ、こんな時間に。オレ暇じゃねーんだけど」
 今は無事かもしれない。でも、このあとはわからない。
「急にごめん。でも、どうしても確認しておきたいことがあったから」
「なんだよ。役員選挙のことならオレは知らねーぞ。流に相談してるんじゃねーのかよ」
「違うよ。……あの人のことだよ。岡林のこと」
 その名前を口にした途端、電話の向こうが見えるわけじゃないのに、黒哉の表情がこわばったのがわかった。そういえば僕たちは、あの人について、これまでちゃんと話をしたことがあっただろうか。互いに、あの人のことなんか憶えてない、ほとんど知らない、で終わっていたと思う。だって、他に話すことなんかなかったから。黒哉にとっては自分のお母さんを殺した相手だ、思い出したくもなかっただろう。
「……あの男がどうしたって」
 わかっているはずなのに、わからないふりをするのは、だからなのか。
「君も聞いてるよね。あの人が、大城市にいるって。今、警察が県内を捜索してるって」
 焦る僕の言葉に少しかぶせるようにして、黒哉の溜息が聞こえた。
「……聞いてる。大城市にいる、じゃない。大城市でそれらしい奴が目撃されたって話だろ」
 やっぱり知っていた。でも、そう話す声には緊張がない。むしろ呆れているようだった。どうしてだ、黒哉のお母さんに関わることなのに。黒哉が危ないかもしれないのに。
「あの人が県内をうろついているなら、黒哉独りでいるのは危ないよ。アパートじゃなく、うちに来たらどうかな。そのほうが安全だと思うんだけど」
 これが僕が黒哉を守れる、唯一の方法だった。黒哉を独りにしておかない。僕が彼の傍にいる。それしか考えられなかった。
「そう言うと思ってたから黙ってたのに。……オレはお前の家には行かない。ここにいる」
 なのに、黒哉は僕の提案を却下した。僕にできることを、僕が言う前から否定していた。
「どうして」
「オレ一人ならオレが自分で何とかできる。お前は余計なことを考えるな」
「余計なことって何? 僕が黒哉のことを心配するのが、余計だっていうの?」
 つい語気が強くなる。こちらのいうことを聞いてくれないからじゃない。黒哉に近づけたと思っていたのに、それが僕の勘違いだったのかと思ったからだ。僕のことを身内だと言ってくれたのに、また遠ざけられたと感じたから。
「身内だから心配するんだよ。それとも僕はもう身内じゃないっていうの?」
 必死で縋る。手を伸ばす。早くこの手をとってくれないと、また黒哉が遠くなってしまう。最悪、あの人に奪われる。そんな思いが僕をさらに焦らせる。
 けれども黒哉は、至って冷静に、返答した。
「身内だよ」
 いつかと同じ言葉が、はっきりと僕の耳に届いた。
「身内だから、一か所にかたまって全員やられるのを避ける。やられるならオレ一人でいい。それがオレの考えだ」
 僕の黒哉に対する認識は、ちゃんと正しかった。危ないことほど独りで抱え込んで、自分だけで何とかしようとして。僕はその黒哉に、身内として、――兄として、言わなければならない。
「そんなのは許さないよ。黒哉一人が犠牲になるなんて、絶対に駄目だ。君が嫌がっても家に連れてくるよ。せめてあの人が県内からいなくなったってわかるまでは」
「そうやってお前は、お前の母親を巻き込むつもりか」
 言わなければならなかったのに、黒哉のあまりに強い声に、僕は黙らざるをえなかった。
 黒哉は独りだ。彼は自分の身が守れればそれでいいし、自分だけが傷つくならそれもまたかまわないと思っている。けれども彼にとって、そして僕にとっても、僕は独りではない。僕にはまだ母がいる。生きている。
「お前は、お前の母親を守れよ」
 自分の母を喪ってしまった黒哉の、それが願い。彼は救えなかったから。これまでの僕と同じで、気がついたときにはどうしようもなくなってしまっていたから。だから僕に、託そうとしているのだ。きっとそんなこと、少し前までならわからなかった。黒哉が僕を身内だと言ってくれなければ、僕を認めてくれなければ、僕は黒哉に固執して、母のことに考えが及ばなかっただろう。実際、今がそうだった。
 黒哉のほんの少しの言葉で気づくようになった。黒哉の願いがわかるようになった。僕らは遠ざかってなんかいなかった。――近づいたから、互いに失いたくないんだと、そこにやっと辿り着いた。
「……黒哉は、独りで平気なの? まさか、鬼がいるから大丈夫なんて言わないよね」
「言わねーよ。頼っちゃいけないんだ、鬼には。そういうものじゃないからな」
 ああ、良かった。一番愚かなことは考えていないみたいだ。それなら、ほんの少しだけ安心できる。でも、少しだ。やっぱり僕は、黒哉を助けたい。
「ねえ、僕にできることはないの? 母さんを守れっていうのはわかったけど、黒哉のために、あの人をどうにかできない?」
 最初の案はなしだ。それなら他のことを、僕には考えつけないようなことを、黒哉に教えてもらうしかない。黒哉が求めることは、黒哉にしかわからない。けれども。
「何もねーよ」
 黒哉はただ、そう言った。僕が頼りないからかと思ったけれど、蔑んでいるようには聞こえない。諦めているようでもない。ただ、そう思っているのが伝わった。
「在だけじゃない。オレも何もできない。オレもいろいろ考えてみたけど、あの男に対してオレたちは無力だ。仕方ないだろ、ただのガキなんだから。どこにでもいる、普通の田舎の高校生だ。殺人犯に対して何ができるっていうんだよ」
 僕らには、あの人をどうにかするなんてことができるはずはなかった。僕には、黒哉にさえ、そんな力はない。それは、できる人に任せるしかないのだ。都合のいいフィクションのように、すぐに解決できることじゃない。この町で、この国で、この世界で起こっていることの多くは、そういうものだ。僕らでどうにかできるなんて、思い上がりも甚だしい。
 どうにかできる力が、少しでも欲しい。そんなことを考えたことがないわけじゃない。でもそんなものはどこにもなくて、せいぜい僕らができることといえば、持っている情報を専門家に渡すくらい。わかっていたはずなのに、改めて思い知ると、悔しくてたまらない。
 どうしてあの人を放ってしまったのか。どうしてあの人に殺しなんかさせてしまったのか。――どれも僕らには、どうしようもないことだった。それが現実だ。
「……大丈夫だよ、オレなら」
 黙っていた僕に、黒哉の声が届いた。
「お前が心配してくれてるのは十分わかった。でもオレは、ちゃんと守ってもらってるから。母親がそのために、何年もかけて頑張ってくれたんだ。オレはそれを、それからお前がお前の母親を守ることを、信じてる」
 どうしようもないことが現実なら、黒哉が僕を信じてくれているのも、現実だった。僕らは確実に、距離を縮めている。――そういえば、生徒会長選に出るために背中を押してくれたのも、黒哉だ。僕はちゃんと、黒哉の身内だ。
「わかった」
 そう答えるしかないじゃない。
「心配しない、なんてことはできないけど。僕も黒哉を信じることにする。僕は僕の母さんを、ちゃんと守るよ」
「そうしてくれ」
 それが黒哉の願いなら、叶えなくちゃ。だって僕らは、身内なんだから。もしかしたら僕は、彼の兄にだってなりかけているのだから。もっと気をたしかに持たなくては。
 大丈夫だ。黒哉にはたくさんの味方がいる。だからって僕が手を離してもいいとは思えないし、離したくないけど、信じることもできないで何が身内だ。何が兄だ。
「でも、危ないと感じたらすぐに逃げるんだよ。町の誰かのところでも、僕の家でも。場所は知っているでしょう」
「あー、わかったわかった。考えとく」
 うるせーな、と黒哉が言う。それは本当に鬱陶しがっているわけではなくて、照れ隠しの言葉なのだと、今の僕にはちゃんとわかる。わかるようになった。

 あの人――岡林の捜索が続く中、僕は自分がやるべきことをやることにした。家で母の様子を見ながら、学校では生徒会役員選挙の準備をする。つまりは、日常を過ごすことが、僕にできる最善手だった。
 それは黒哉も同じで、相変わらずの日々を過ごしている。やっと温かい飲み物が学校の自動販売機に入って、屋上でそれをカイロがわりにしながら、僕らはいつも通りの会話をする。そのあいだ、岡林についての新たな情報は入ってこなかった。
 今、どこにいるのだろう。どうやって生活をしているのだろう。少しは罪悪感を持っているんだろうか。そんなことも考えたけれど、よく知りもしない人のことはうまく想像できなくて、結局そのうちやめた。あの人のことは警察に任せて、一日も早く捕まることを祈るしかない。
 そうして迎えた生徒会役員選挙には、会長の推薦したメンバーが顔を揃えた。それ以上に立候補や推薦はなく――なにしろ最も信頼されている会長の人選だから、誰も対抗しようと思わなかった――演説も戦うものではなく、決意表明となった。あとはそれを、この学校の生徒たちに認めてもらえるかどうかだ。
 水無月先輩は僕の作った原稿を読んで、「在らしいね」と笑った。僕が少しムッとすると、「いい意味でだよ」と付け足した。
「これなら認められるよ、行っておいで」
 僕は水無月先輩のことは苦手だけれど、その言葉はどうしてか信じられた。
 選挙当日、立った壇上で、僕はきれいに整列した生徒たちを見る。そこには亜子さんが、大助君が、黒哉がいる。舞台袖には会長と水無月先輩が控えていて、こちらを見守ってくれていた。
「生徒会長に推薦していただきました、常田在です」
 もっと緊張するかと思っていたそこに、たぶんもう学祭で立ってしまったあとだからか、僕は随分と平静でいられた。これから話すことが、多くの人の期待を裏切ってしまってもかまわないとすら思っていた。実際、そんな堂々としたものではないのだ。僕は、そんな人間じゃないから。
「僕には、現会長ほど、学校を盛り上げるようなことはできません。ただ至極真っ当に、会長としての役目を果たすつもりです。学校生活の盛り上げ方は、おそらく僕よりも、これまで現会長のしてきたことを見てきたみなさんが、よりわかっていることと思います。僕は会長として、それを支え、後輩へと受け継いでいきたくて、ここに立っています」
 僕は僕でいいのだと、僕がするべきことをしていれば間違いはないのだと、背中を押してくれる人がいる。僕は無力かもしれないけれど、僕を支える力はある。貰った力で僕は立ち、力を蓄え、そうしていつかは誰かを支えられるようになりたい。
「生徒会長として礼陣高校を支えていくために、みなさんの力を貸してください。どうぞよろしくお願いします」
 頼られるようになりたいけれど、そこにはまだ何歩か足りないから、誰かの力を借りる。誰かに用意された道を歩くのではなく、僕が道を見つけるのを手伝ってもらう。そういうやりかたでいきたいと言ったら、会長は「そうこなくっちゃな」と頷いてくれた。亜子さんと大助君は「手伝う」と言ってくれた。そして黒哉は、「必要なら手を貸さないこともない」だそうだ。
 頼りない生徒会長は、なんとか生徒に認められ、新生徒会役員の中心に据えられた。これから、会長からの引継ぎが待っている。一番最初の大きなイベントは、卒業式の送辞だ。
「ああ、そっか。もうそんなことを考えなくちゃいけないんだ……」
 まもなく、礼陣に雪が降った。山々を白く染め、町を濡らす雪は、屋上にも薄く積もった。昼休みに屋上を使うことはさすがに躊躇われて、というより寒そうな亜子さんがとても気の毒になって、僕は自分の会長権限で生徒会室を開放することにした。
 他の役員が昼休みに来ることはめったにないから、ここは屋上と同じ、僕らだけの場所になった。でもそれも、雪が融けるまで。それから先は、……まだどうなるかわからない。僕はまた屋上を開けるかもしれないけれど、その頃には会長と水無月先輩はもうこの学校にいないのだ。
 水無月先輩が淹れてくれた温かいお茶を飲みながら、黒哉が会長に尋ねる。
「流が卒業した後も、屋上って使っていいもんなのか? 今は流と主将に責任があるんだよな」
「そこは在の申請次第だな。といっても、瀬川さんかよりちゃんに引き続き黙認してくれって頼むだけだけど」
「僕、一応真面目で通ってるから。できるかどうか……」
 これからのことは、これから考えよう。何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。地道に準備をしていれば、いつかそれが役に立つこともあるかもしれない。
 今はただ、この日常を、大切にしていこう。壊されないよう、気をつけながら。



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2016年01月17日

未来への行進曲と彼女の子守唄 その4

 コトミさんからまた連絡があった。岡林が目撃されたのは大城市、この県の県庁所在地だった。人口が多いこの地域での捜索は、一見足取りを掴みやすいようで、混乱も引き起こしやすいのだという。岡林を見た、という証言自体も信憑性が疑われているという。けれども、捜査をおざなりにされているわけではないらしい。
 大城市から移動した可能性も考えられているというので、オレも気をつけるように、と改めて言われた。一人でいること自体が危ないから、できれば常田家の世話にもなれないか、とも。かつて在の母親の遥さんがオレの面倒を見たいと言ったとき、烈火のごとく怒った人とは思えない提案だ。
 在を通じて、常田家を信用したのだろう。母親の日記から、在の母親とずっと連絡をとっていたことは知っても、コトミさんたちは相手を信じ切れずにいた。岡林を野に放っておいて勝手なことを言う人だという認識が強かったのだ。でも、オレが在を「身内」と認めたことで、その考えが変わったのだ。
 けれどもオレは今のところ、常田家を頼るつもりはない。あっちには祖父母がいるとはいえ、住んでいる家は母一人子一人だ。在も、在の母親も、万が一の場合に巻き込むわけにはいかない。岡林がオレの母親の金を狙っているのなら、なおさらだ。
 だが、母親は生前、常田の家を頼っていた。だからオレは今、礼陣にいるのだ。――正確には常田家を通じて、礼陣を頼った。それを知ったのは、やはり日記でのことだったけれど。
 礼陣の町が子供への補助を手厚くしていることを、母親は遥さんと連絡をとるうちに知ったらしい。そこで岡林から逃れるためと、樋渡さんたちから自立して親子二人で生活していけるようにするため、そして自分に「もしものこと」があったときのために、門市から礼陣に移住することを考えていたのだった。
 それを実現する見込みができたのは、オレが中学生の時。たしかに憶えている。母親は、オレに提案をしたのだ。
「黒哉、高校に入っても剣道続けるよね? だったら、良い高校があるんだけどな」
 そう言って持ってきたのが、礼陣高校のパンフレットだった。部活に強い、特に剣道は全国大会に行けるレベルの学校。卒業後の進路も多様で、そのためのバックアップも十分にしてくれる。家庭環境と学力に応じて給与型の奨学金も出るという、公立高校にしてはできすぎている内容に、初めは混乱したものだった。けれどもそれは、礼陣という町では珍しくないことなんだそうだ。当時は信じられなかったが、今は本当だったのだとわかる。
「でも、礼陣って山一つ越えたところだろ。ここから通うには金が……」
「だから引っ越すの。黒哉の中学卒業に合わせて、あたしも向こうに店を持つから。こう見えて、コツコツ頑張ってきたのよ」
 こう見えても何も、母親はいつだって働き続けてきた。オレはそれを知っていたし、だからこそ母親に負担はかけまいとしてきた。塾には通わなかったが、勉強は人に負けないくらいしたつもりだ。どんな誹謗中傷も知らないふりをしてやりすごしてきた。剣道も月謝があるのでやめようかと思ったこともあったが、母親が「これは続けなさい」と言ってくれたのでやってこられた。オレが生きてこられたのは、母親の努力のおかげだ。
「実はもう、お店の契約も進んでるし、住む場所も相談中なの。だから黒哉が向こうの学校行ってくれたら、母さんはとっても助かるんだけどな」
「わかった、わかったから。礼陣高校は道場でも名前聞いたことあるし、興味はある。そうだな、剣道できるなら行きたいよ」
「うんうん。母さんもこの制服着た黒哉が見たいな。中学の学ランもかっこいいけど、このブレザーも大人っぽくていいよね。……ていうか、高校生になった黒哉が見たいんだ。あたしは高校行かなかったからさ」
 頑張ってきた母親の、このささやかな夢だけは叶えてやれた。礼陣高校を志望校にして、受験し、合格した。引っ越しをして、礼陣の町の人間になった。――このときは、母親が樋渡さんたちから離れたのをいいことに、岡林が全てを奪いにやってくるなんて、オレは思っていなかった。わかっていたら母親を守れたのかといえば、それもあやしいのだが。
 母親はそれを全て予想した上で、子供に手を差し伸べる礼陣の町に住むことを決めた。オレが独りになっても生きられるようにと考えていた。そしてそのとおり、オレは今、生きている。
 生きて、子鬼と飯を食っている。そこまでは母親も予想できなかっただろう。
『黒哉、今日も飯が美味いな! 唐揚げなんてよくできたな』
「電子レンジでできる方法を教わったんだよ。普通に揚げたほうが断然美味いけど」
 オレの作った飯を美味そうに頬張る子鬼を見ていると、母親を思い出す。甘いものは苦手だったが、オレの作るものは何でも「美味しい」と言って食べてくれた。食後にはコーヒーを必ず淹れた。それぞれの誕生日には決まってコーヒーゼリーを作って、二人で食べた。そんな日々が懐かしい。もう、懐かしくなってしまった。
「今度、ちゃんと揚げた唐揚げ食わせてやるよ」
『それは楽しみだ。食べることは鬼にとって良い娯楽だからな』
 子鬼は茶碗に盛ってやった白米をきれいに平らげた。鬼には本来食欲というものはないらしいが、娯楽として食べることを楽しんでいるらしい。こっちも独り寂しく飯を食うことがないので、子鬼が来てくれることは素直に嬉しい。独りの食事は味気ないものだと、知ってしまっている。
 鬼はこの町の住人であり、神であり、人間たちの親だという。こうしてオレのところにやってくるのも、オレがその姿を見られるのも、オレが親を亡くした「子供」だからだ。子鬼を含む鬼たちは、オレの面倒を見てくれている。そう思うと、オレは周りの大人たちに守ってもらっているのと変わらない。
 感謝はしている。一緒に過ごす時は悪くない。けれど、ときどき頭をよぎるものがある。
「子鬼。……アイツが、岡林が、県内にいるらしい。コトミさんたちが、礼陣にまた来るかもって心配してる」
『ほう、気をつけておこう。黒哉に手出しはさせん』
 そう言いきれるほどの力を持っている鬼が、どうして母親を救ってはくれなかったのだろう。ただ殺されていくのを放っておいたのは、何故なんだ。そんな疑問が生じるのだった。
「……鬼が救うのは、子供だけなのか?」
 礼陣の鬼は子供を守る神。この町を研究している平野先生も、鬼と交流
がありコイツらについて詳しい大助も、そう言った。だからオレはその問いを、単純な疑問として――いや、いくらかは母親を助けてもらえなかった悔しさや恨みを込めて、投げかけた。すると誰もが、当の鬼でさえ、困ったようにこう答えた。
 鬼は何でもしてくれるわけじゃない。むしろそう思っていたら、人間も鬼も自らのあるべきかたちを見失う。だから、本来は見えないくらいがちょうどいい。
『すまん、黒哉。許してくれとは言わないし、私たちにはそれを言う資格もない』
 子鬼もまた、俯きながら言う。
『私たち鬼は、子供たちにとっての親の場所に着こうとする。親として居座ろうとする。実の親が亡くなり、空いた場所を奪う。過去にそれを厭い、鬼を恨んだ人間もいる。黒哉だって、そうしてもおかしくない。礼陣の外から来て、突然鬼の子になったのなら、なおさらだ』
 さっきまで笑って飯を食っていた口が吐き出す言葉は、痛々しい。子鬼もつらいだろうが、オレもそんな言い方は受け入れがたい。だって、そんなことを言われては。
「オレがまだ、礼陣の人間じゃねーとでも言うのかよ」
『違う! 黒哉は礼陣の人間で私たちが守るべき存在だ。だから今度は』
 それならいい。オレが礼陣の人間だというなら、それゆえに守ってくれるというのなら、オレは恨まずに感謝する。子鬼の頭を軽く叩いて、うまくできているかはわからないが、笑ってみせてやった。
「大丈夫だ、わかってるから。母さんのことも、オレのこれからのことも、お前ら鬼はちゃんと想ってくれてるんだって知ってる。だからもう、謝るな」
 鬼が救うのは子供だけじゃない。かつて子供だった大人たちも、こいつらは救いたいのだ。でも、それはとても難しいことで、なかなかできることじゃない。オレは母親のことを仕方ないと諦めるわけではないが、鬼を責めるつもりもない。
『……黒哉は、優しいな。もっと責めてもいいのに』
「お前らを責めたところで、母さんは帰ってこないだろ」
 オレが恨むのは、あの男だけで十分だ。そうでなくては、きっと疲れてしまうから。在のことだってそうだった。
『ところで岡林のことは、在には話したのか』
「いや、まだ。生徒会役員選挙が近いんだ、邪魔するわけにいかないだろ」
 余計な情報を伝えて、混乱させると面倒だ。あの男のことはやはり黙っておこう。――そう思っていたのだが、オレの認識は甘すぎた。在は恨むべき対象ではないが、関係者であることには違いないのだ。



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posted by 外都ユウマ at 12:17| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

未来への行進曲と彼女の子守唄 その3

 まともに眠れた覚えがないまま、朝が来てしまった。結局会長への返事はまとまっていない。ただ、断る理由を探すのはやめようと思うまでに留まった。けれども早めに決着をつけなければ、生徒会役員選挙の立候補期間を過ぎてしまう。過ぎてしまったら、どうなるのだったか。
 何にしろ、僕の意思を聞かないことには、会長は安心して役目を退けない。それは避けなければ。これまでの恩を仇で返してしまうことになる。
 会長には、というか、会長と水無月先輩には、いつかはたくさん来ていた新聞や雑誌の記者たち、ニュース番組の取材などを追い払ってもらったこともあった。黒哉のお母さんが亡くなって、容疑者がかつて僕の父だった人だと判明してから、しばらくは随分追い回されたものだった。でも僕なんかはましな方で、きっと黒哉はもっと大変な思いをしたんだろう。
 会長はこの学校の生徒代表として、僕らをできる範囲で守ってくれていた。そのお礼を、僕はまだできていない。けれどもお礼ができるほど力を持っているとも思えない。会長のように、生徒を守り、助けることが、僕には到底できるとは思えないのだ。だから僕は、生徒会長には――。
「在、おはよう。目の下真っ黒だよ、大丈夫?」
 気が付けば僕はちゃんと制服を着て学校に来ていて、自分の席に座っていた。顔を覗き込む亜子さんに少し焦りながら、なんとか返事をする。
「おはようございます、亜子さん。僕は大丈夫ですよ。それより大助君は……」
「今日も遅刻じゃないの? わたしが迎えに行ったときに起きてきたし。寒いと眠いじゃんって言うけど、あいつが眠くなかったことなんてないよね。せっかく寒い中迎えに行ってやってるのに」
 そうは言うけれど、亜子さんと大助君の家は向かい同士だし、亜子さんは好きで大助君を迎えに行っているのだ。自分のほうが寒さに弱いのに、それをさておいて。この二人の関係が、僕は羨ましい。何の遠慮もなくて、互いに助け合えて。これくらいできたら、僕も少しは生徒会長を引き受けられるような気になったかもしれない。
「……ってそうじゃなくて、わたしは在の心配をしてるの。在こそちゃんと寝るべきだと思うよ。一限目さ、保健室でサボっちゃえば? ノートはわたしがとっておくから」
「本当に大丈夫ですよ。サボるなんて生徒会役員として許されないし」
「あ、やっぱり意識してるんだ。在はあんまり副会長って肩書にこだわってないのかなって思ってたけど、そうでもないんだね。それとも昨日の流さんのせい?」
 これは誘導だろうか。亜子さんはこういうのが得意だ。僕は苦笑いしながら、「両方ですよ」と正直に答えた。
「目立ってはいないけれど、副会長っていう肩書を持っているからには、生徒の代表だということを意識して振る舞った方がいいでしょう。もちろん、会長に次の生徒会長を、と言われたことも気にしてはいますけれど」
「なるの? 生徒会長」
「……どうでしょうね。僕には向いてないと思いますよ。会長みたいに人をまとめる力は、僕にはありませんから」
「そうかなあ。わたしは在に生徒会長やってほしいけど」
 やっぱり誘導だった。僕が迷っていることを、亜子さんはちゃんとわかっている。こんなに鋭いのに、どうして大助君とはまだ付き合っていないんだろう。それとも僕がわかりやすすぎるんだろうか。いや、そんなことはないと思う。亜子さんはきっと、自分のことに関しては鈍くあるようにしているんだろう。
 僕がそんなことを考えているのに気づかずに、亜子さんは僕に話しかけ続ける。大助君はまだ来ない。
「流さんはたしかにみんなを引っ張っていくのも、盛り上げるのも得意だけど。あれはあの人の才能だからね。在が同じになる必要なんてないし、むしろわたしは和人さんと同意見。流さんの時代とはがらっと雰囲気を変えて、全然違うタイプの生徒会長が出てくるのは良いことだと思う」
「違いすぎますよ。いきなり頼りない生徒会長が出てきて、新入生はともかく、在校生は納得するでしょうか」
「在は頼りなくなんかないよ。現に黒哉が助かってるじゃない」
 亜子さんはにっこりと笑う。でも僕には、彼女が言っている意味がわからない。黒哉が助かっているって、何のことだろう。けれどもそれを尋ねる前に予鈴が鳴って、それから大助君が教室に駆け込んできた。予鈴前に校門を抜けてきたのだから、今日は遅刻にカウントされない。
 授業中は眠さを堪えて、休み時間にほんの少しだけ目を閉じる。それを繰り返して、昼休みになった。大助君と亜子さんに心配されながら教室を出て、屋上へ。今日は山からの風が特に冷たくて、亜子さんはコートも持参していた。この寒さじゃ大助君のブレザーは借りられないだろうと思っていたら、大助君はこともなげに亜子さんにブレザーを放って、自分はシャツ姿で座り込む。やはり大助君が起きられないのは、単に朝に弱いからなんだろう。
 続いて黒哉が「寒い」と文句を言いながら駆け込んできて、僕から弁当を受け取る。会長と水無月先輩は、珍しく遅いようだ。たしか生徒会役員で何か集まりがあるわけではなかったはずだから(もしそうなら僕はここにいられない)三年生に関係する用事なんだろう。
「先に食っちまおうぜ。今日は姉ちゃんが熱い紅茶用意してくれたんだけど、お前らも飲むか?」
 大助君が持ち歩いていた魔法瓶を軽く振る。たっぷりしたそれは学校に持って来るには少し大きすぎて、よく目立っていた。
「飲む! コップは?」
「持ってきてる。在と黒哉も飲むだろ」
 亜子さんが震えながら返事をする。僕と黒哉も頷いて、順番に大助君から湯気を立てる紙コップを受け取った。まだ自動販売機に温かい飲み物が入っていないので、熱い紅茶はありがたい。普段はコーヒー派の黒哉も、飲んで一息ついていた。
「大助の姉さんって、すげー気が利くよな。屋上で飯食ってること知ってんの?」
「知ってる。『社台高校ではできなかったなあ』だってよ。そりゃそうだ、ここももともと立ち入り禁止だったんだし」
 黒哉を助けているというなら、僕よりも大助君の方が助けになっているんじゃないだろうか。僕にはわからないけれど黒哉には見えるという鬼のことも、大助君なら同じ目線で話すことができる。この町に来て間もなかった黒哉にとって、どれだけ心強かっただろう。黒哉だけじゃない。大助君はみんなから一目置かれた存在で、何か問題が起これば大助君を呼びに来る生徒も多い。問題は主に、喧嘩だとか、他校との揉め事だとか、そういうことだったりするのだけれど。
「……大助君は、生徒会役員やらないの?」
「は?」
 思わず出た一言に、大助君は怪訝な顔をした。亜子さんも。黒哉は紅茶をもう一口啜った。
「なんで俺がそんな面倒くせえことすんだよ」
「それ以前に、遅刻常連で宿題は忘れるし試験は赤点すれすればっかりの大助に、生徒会役員は無理でしょ。そりゃあ、ちょっとは人望あるかもしれないけど、それは喧嘩が強いからで……まあ、舎弟が多いっていえば良いのかな」
「俺は舎弟なんかもった覚えはねえ。つーか、俺の悪口言いすぎ」
「悪口じゃなくて事実でしょ」
 大助君と亜子さんの言い合いになってしまった。そんなつもりはなかったのだけど。僕が止める前に、黒哉が空の紙コップを置いて鼻で笑った。
「たしかに大助じゃ無理だな。この学校が不良だらけになりそうだ」
「いや、ならねえよ。真面目なやつらは絶対ついてこねえ。この学校の生徒って、流の影響で祭り好きに見えるけど、なんだかんだいって真面目なやつが多い。だから部活も真剣に取り組んで、結果出してくるんだろ」
「ああ、そういう見方もあるな。うちの部も、たまにふざけたりするけどだいたい真面目だし」
 どこもそうだよな、と頷いてから、黒哉は僕を見た。それに気づいた亜子さんも、にんまりと笑う。大助君は「人をだしにしやがって」と呟いて、腕を振りかぶった。それから、ばん、と僕の背中を叩く。
「痛っ!?」
 痛いけど、丸まっていた背筋が伸びた。自然と顔が上がって、三人の顔がよく見える。この屋上と、その向こうの景色も。秋が終わり冬へ向かおうとする山々を越えれば、この町とは比べ物にならないくらい広い世界がある。――僕が今、心の中にある躊躇いを乗り越えたら、どんな世界が広がっているんだろう。会長が見ていた景色は僕には見られないかもしれないけれど、僕の目に映るものがあるはずだ。
「しゃんとしろよ、在。どうせ役員選挙があるんだから、生徒が認めるかどうかはそれで決まるだろ。在がそこに出るかどうかだけ決めろ」
「悩んじゃうのは在の性分だから仕方ないけどさ。まあ、わたしはそこがなかなか好きではあるんだけど」
「うじうじしてんの見るとイライラするんだよ。流と主将に認められてんだから、胸を張れ」
 大助君、亜子さん、そして黒哉にそこまで言われて、僕はまだ躊躇うのか。いや、もう時間がない。眠れないほど悩むより、腹を括ってしまった方がいい。それに認めてくれているのは、会長や水無月先輩だけじゃない。僕には味方がついている。どんな結果になっても、彼らは僕を励ましてくれる。
「で、この学校でも特にくそ真面目な在は、役員選挙出るのかよ?」
 黒哉は僕をそんなふうに思ってるのか。たぶんそこには、融通が利かないとか、ちょっとのことで悩みすぎるとか、そういうマイナスな意味も含まれているんだろうけれど。今はたぶん、応援してくれているんだろう。
「会長が推薦してくれるなら、出るよ。来年度は今年までのお祭り騒ぎはできなくなるかもしれないけれど、それでもいい?」
「そこは安心しろ。生徒のほうで勝手に盛り上げるから」
「生徒会長はどーんと構えててよ」
「どーんってほど在に威厳はねーけど」
「黒哉、やっぱりちょっと酷いよね」
 やっと僕も笑えた。決めてしまったら、肩にのしかかっていた重いものがなくなった気がした。僕は決めるまでが遅い。人に背中を押されてやっと一歩踏み出せる。でもその一歩の大きさは僕にとってはとんでもないもので、それだけで達成感がある。案外、僕は単純なのだ。
 と、屋上の扉が開いた。そこにはキャップがオレンジ色のペットボトルを抱えた会長と水無月先輩が立っていて、嬉しそうな顔でこっちを見ていた。もしかして、全部聞かれていたのか。会長はともかく、水無月先輩にはそういうずるいところがあるのを、僕は知っている。
「流さん、いつから?」
「えーと、大助が生徒会役員になるとか、そういう不安な話をしてる辺りから」
「僕が行こうとしたら、流が止めたんだよ。あいつらに任せておけば大丈夫だ、だって」
 会長が苦笑し、水無月先輩が微笑む。僕の予想は外れだったらしい。むしろ逆だったとは。なんだか気まずく思っていると、会長が僕の目の前に立った。そして満面の笑みで、右手を差し出す。
「ありがとうな。在が決めてくれたなら、俺は全力で推薦する」
 これほど心強い支援があるだろうか。僕は会長の手をとり、握りあった。その脇で、水無月先輩がペットボトルを掲げる。
「そういえば、これ、どうしようか。人数分買ってきちゃったけど」
「温かいお茶? 和人さんたち、学校の外まで行ってきたの?」
「学校を抜け出すのも、なかなかスリルがあって面白いね。結局帰ってきたときに、玄関で平野先生に見つかっちゃったけど。生徒会役員が何やってんのって呆れられた」
「……この学校で一番真面目なの、マジで在かもな」
 また少しだけ、僕がこの学校の代表になっていいのかな、と不安になった。

 その日放課後に、僕は会長に連れられて生徒会担当の先生のところへ行き、役員選挙に出る意向を伝えた。先生は「常田なら問題ないだろう」と頷いてくれ、それから「野下より安心できる」と付け加えた。僕が知っているよりも、会長はもっと多くのことをやらかしてきたのかもしれない。思えば学祭の出し物だって、会長だから許してもらえたようなものなのだ。
 だけど会長が残した熱は、この学校に残る。僕だけが無理に動こうとしなくても、この学校の生徒は自分で動く。それが常識の範囲に収まるように調整するのが、きっと僕の役目になる。
「他の人員については考えてるのか、野下?」
「一通り声はかけてます。なんと礼高志望の中三生までリサーチ済み!」
「そこまでやれとは言っていない。まったく、お前はいつもやりすぎる。だから水無月と組んでちょうど良かったんだがな」
 僕のこと以外も、会長はちゃんと考えていた。新しい生徒会役員の候補を聞いて、僕も納得する。持ちあがる者もいれば、役員経験はおろか、クラス委員すら経験したことのない生徒の名前まであがった。けれども会長がその人となりを説明してくれると、僕も安心できるのだった。
「あとは新一年生から書記を選べば、新年度の生徒会役員の布陣は完璧。俺は安心して卒業できる!」
「うん、野下はもう十分すぎるくらいやってくれたから、さっさと卒業しろ。常田、あとよろしく」
「あ、はい……」
 そうだ、もう十分すぎるほど用意してもらった。選挙で認められれば、僕は次の生徒会長になる。かなり周りの人に力をもらったけれど、自分でやると決めた。でも、いやだからこそ、これからのことは僕がちゃんと決めなければ。人に作ってもらった道ばかり歩いていたら、それは怠慢な気がする。
 選挙に向けてやらなければならないことがある。選挙演説用の原稿を作ること。それを選挙当日に、全校生徒の前で読む練習。今までは副会長でありながら、会長と水無月先輩がほとんど全てを片付けてくれていたためにやってこなかったことを、新会長としての意識を持ってやる。責任は重大だ。ここで失敗したら、推薦してくれた会長に申し訳ない。
「演説原稿、チェックしていただいてよろしいですか?」
「あ、それは推薦人の野下……よりは、水無月の方がいいな。そっちにきいてくれ。教師がやると贔屓だって言われるから」
 そうか、これから全く対抗馬が出てこないという保証はない。それにしても、会長はともかく、水無月先輩に教えを請うのはできれば避けたい。ここは無理にでも会長に見てもらわなければ。
 ……と、思っていたのだけれど。
「副会長選のときに、一回演説しただろ。あれじゃだめなのか?」
「あれは演説というより、簡単な決意表明ですよ。副会長として責任を持って務めますのでよろしくお願いします、としか言ってません」
「よく憶えてるな。俺、自分が何言って会長になったのか全然憶えてないんだよ。だから原稿のチェックは和人のほうがいい。俺も和人に見てもらって原稿作ったし」
 会長が先にそう言ってしまったので、そこをなんとか、と食い下がることもできなくなってしまった。けれども、水無月先輩に見てもらったというのなら、僕の記憶にある会長の演説は不自然だ。だって、あんなに会長らしい演説はなかったのだから。
 クラスと名前を呼ばれ、壇上に立った会長(当時はまだ会長ではなかったのだけれど)は、改めて自己紹介をした後、大きく息を吸い、マイクをスタンドから取り上げ、叫んだのだ。
「俺が会長になったら、この学校の生徒の誰もが、学校に来るのが楽しみになるようにする! とはいえ俺と考えの違う人はたくさんいるだろうから、いろんな意見を聞いて、行事や普段の生活にいいとこどりをしていこう。今学校がつまらないと思っているやつが、ほんの少しでも楽しいと思えるように、俺たちみんなで礼陣高校をつくりあげていこうぜ!」
 最後は拳を高く突き上げ、全校生徒の歓声を呼んだ。礼陣高校史上最も盛り上がった演説だったと生徒のあいだでは評判だったけれど、教員らからは賛否両論あったという。それから一年、会長は自分の言ったことを実現し、さらに人気を高めた。あの演説は、水無月先輩にはつくりあげられないと思うけれど。
 そんな感想を正直に水無月先輩に述べると、笑いながら種明かしをされた。
「原稿は書いたけれど、直前に放り投げてたよ。あの演説は、流の勢いで生まれたものだね」
「放り投げた?」
「用意した原稿を読んでるうちに、緊張してきちゃったらしくて。中学の時も、小学校でも会長やったことあるけど、選挙のために事前に用意した原稿とか挨拶は全部放り投げてたな。で、アドリブでその場を乗り切る」
 会長は意外とあがり症だったようだ。道理で本人は「憶えていない」わけである。それが数々の伝説をつくりあげてきたかと思うと、やはり会長は天才なのではないか。なににしろ、原稿の作成を会長に手伝ってもらうことはできなさそうだ。
「在は流と違って、きちんと言葉を用意してきてその通りに発言するから、在自身が納得できる原稿を作ったほうが良いね。どうする? 先生や流に言われた通り、僕に見せてみる?」
 水無月先輩は、僕が彼を苦手としていることをわかっている。さらに僕が一人ででも原稿を仕上げて演説をこなすだろうと、妙な信頼を持ってくれている。「なにも僕に確認しなくてもいいんだよ」と、僕に選択の余地をくれているのだ。
 それが余計に腹立たしくて、けれども自分に自信がない僕は、選べる行動が一つしかない。
「選挙までに何度か見ていただきたいです。今みたいに、講習の空き時間とか、昼休みをお借りすることになると思いますが」
「うん、わかった。在が原稿を持って来るなら、僕はそれを見るよ。嬉しいなあ、在に頼られるなんて」
 嫌味のない笑顔には、特に違和感はない。本当に喜んでいるのだ、この人は。たぶん、僕が苛立っていることもお見通しの上で。……この人には、かなわない。会長とは別の意味で。



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2016年01月11日

つながる同窓会

二十歳の誕生日のときにもそうしたけれど、今日はまた特別な日。仏壇に向かって手を合わせ、春は今は亡き両親に報告する。
「お父さん、お母さん。私、大人になりました」
実際にその年齢になったのは昨年の五月だったので、もう随分前から大人の扱いをされている。ときどきは祖父の晩酌に付き合い、そのうちに祖父よりも酒に強いことが判明した。どうやらこれは母からの遺伝らしく、父はあまり酒は得意ではなかったという。というより、少し飲んだだけではしゃぎすぎてしまったのだそうだ。
両親が生きていれば、彼らとも酒を酌み交わし、今日という日を祝えただろうか。晴れ着姿を褒めてくれただろうか。想像して、笑って、振り返り時計を確認する。もうそろそろ公民館に向かわなければ、道が混んでしまう。それに、友人たちも待たせることになるだろう。
「それじゃ、行ってきます」
習いに行って何度も練習して、手伝ってもらいながらなら自分で着付けられるようになった振袖。髪のセットや化粧も研究した。鏡を見ると、写真の中の母によく似た姿があって嬉しくなる。
「おじいちゃん、私そろそろ出るねー」
「おうおう、気をつけて行けよ。終わったらみんなで家に来い。写真を撮ってやるから」
「うん!」
年明け、寒さが沁みるけれど心が浮き立つ今日、礼陣の町で春たちの代の成人式が行なわれる。

公民館前が非常に混むのは年に数回といったところで、そのうちの一回が成人式だ。あとは礼陣大学の入学式や卒業式があるけれど、北市女学院大学に通う春にはあまり関係がない。だからたぶん、こんな混雑を経験するのは、もうほとんどないだろうと思う。
ついでにいうなら、見知った顔がこんなに集まるのも、もしかするとこれが最後になるかもしれない。いくら礼陣出身者が夏祭りに帰って来るからといって、同年代ばかり一か所に集まるのは、成人式の他にないだろう。
同窓会だよ、と昨年成人式を経験した幼馴染は言っていた。幼い頃から学区の垣根を越えて一緒に遊びまわっていた子供たちは、大人になると礼陣を離れたりして、一旦はばらばらになってしまう。それからまた礼陣に帰って来る人々は少なくないけれど、やはり昔のように一緒に時間を過ごすことは少なくなる。今日はその貴重な一日だ。
「あ、須藤さんだ。久しぶりだね」
「羽田さん? わあ、振袖似合ってる! 本当に久しぶりだけど、元気だった?」
「元気元気ー。佐山ちゃんもね、元気だよ。会ってないけど、連絡よくくれるんだー」
人混みを掻き分けて、最初に会ったのは中学時代の同級生。羽田は礼陣の町から出て、山向こうの隣町である門市で働いている。その一番の友人である佐山は、もっと大きな町に越していき、そこで仕事をしているそうだ。けれども二人とも籍は礼陣に置いたままなので、成人式のために帰ってきている。
「園邑さんたちは?」
「千花ちゃんとは公民館前で待ち合わせしてるんだけど……あ、着いてるみたい。佐山さんと会ったって」
スマートフォンのメールアプリの画面には、たくさんのメッセージが表示されている。高校時代にやっと持つようになった携帯電話は、そのうちもっと便利な機械に変わり、今では無料メールアプリでのやりとりが主流だ。礼陣にまだいる人とも、離れてしまった人とも、すぐ傍にいるようなスムーズな会話ができる。
けれどもやはり、実際に顔をあわせるのはまた違った楽しみがある。春の場合、千花とは大学が一緒なのでよく会うけれど、他のかつて付き合いが深かった友人たちはほとんど町を出てしまっている。年末から年明けにかけて挨拶をした人もいるけれど、今年に入ってやっと会うことのできる人々も多い。
「じゃ、須藤さんと一緒に行けば佐山ちゃんに会えるね。楽しみだなあ、きっとすっごくきれいな振袖着てるんだろうな。お化粧もばっちりきめちゃってさ」
「そうだね。急ごうか」
早くみんなに会いたい。逸りを抱えて、春は羽田とともに公民館前へと進む。あまり伸びなかった身長は人波をすり抜けるのには便利だけれど、前を見るのには不便だ。そこは羽田に補ってもらいながら、目的地を目指した。
一方、公民館前には千花と佐山がいて、待ち合わせの相手を背伸びをしながら探していた。千花がこの場所に到着した時には、もう派手な晴れ着姿の佐山がそこに立っていた。長い睫毛には羽根までついている。それを見た途端に、千花は「私ももう少し着飾ってくるべきだったかな」と思ったものだった。赤い振袖と盛り上げた髪は、これでも随分飾ってもらったのだけれど。――着付けも髪のセットも化粧も、全部お隣の一家にやってもらった。相変わらず頼りっぱなしである。
「園邑、須藤さんたち見つかった? まあ、須藤さん小さいから見えないかもしんないけど」
「うーん……でも羽田さんと一緒みたいだから、わかると思う。それか、詩絵ちゃんのほうが先に来るかもしれないし。もしかしたら男性陣が来てくれるかも」
「今のところ、どの気配もないけど」
佐山と千花が、少々早く来すぎたのだ。けれどもほんのちょっとでしかない。もう公民館前は人でいっぱいだし、久しい再会を喜ぶ一団もそこかしこに見ることができる。でも千花たちの待ち人は、なかなかこの混雑を抜けきれないようだった。
「だからはねちゃんにもっと早くおいでって言ったのに……」
「まあまあ、羽田さんが早く来てたら、春ちゃんと会ってなかったかもしれないし。こうやって佐山さんと待ち合わせを共にできるのも、ご縁ってことでひとつどう?」
「どう、って。本当に暢気なんだから、園邑は」
思えばいつかは酷く険悪だった二人が、こうしてお喋りをしながら友人たちを待てるというのも、感慨深いものだ。恰好は他に比べれば地味かもしれないが、こうして今日を迎えられるということを、千花はただ喜ぶことにした。それが一番良い。
そう思ったとき、少し遠くから、「おーい」と呼びかける声がした。耳がちゃんと知っている、この低い声は。
公民館前の千花と佐山を見つけたのは、新だった。ここまで来る途中、牧野と会って、互いのスーツ姿を指さして笑いあっていた。晴れの日だからとネクタイを少々派手なものにしていたのが、変にツボに入ってしまったのだ。
ひとしきり笑って、「元気だったか」「元気だよ、そっちは?」と定番の応酬を繰り広げたあと、千花たちが目に入ったのだった。
「あ、気付いた。……でも、春はいないな。やっぱり家まで迎えに行くべきだったか」
「会うの久しぶりだろ? ちょっとくらい離れてたほうが感動するって、たぶん。ていうか、ざまあみやがれ」
「そんな言い方ないだろ、マキ。自分だって彼女いるくせに」
新も牧野も、礼陣に帰ってくるのは久しぶりだった。正確には年末年始に帰省はしていたのだが、それぞれ家の都合もあって、ゆっくりできなかった。友人たちとは今日まで会っていない。現在、新は県内大城市の国立大に、牧野は県外の私立大に在籍している。礼陣の町を歩くのは、夏に帰ってきて以来だ。
日々連絡は取っているものの、しばらく直接春に会うことがなかった新は、今日を本当に楽しみにしていた。ただ会えるのではない、振り袖姿が見られるのだ。前撮りした写真は送ってもらって見ることができたのだけれど、今日はそれとは違う着物らしい。
「早く春に会いたい。よし、マキ、急ぐぞ」
「焦りすぎて人にぶつかるなよ」
二人は人の合間を上手にぬって、公民館前へ向かった。
さて、その姿をもう少し離れた場所から、それも背後から見つけたのが詩絵だった。しかもそこからは、千花と佐山、春と羽田の姿も捉えることができた。問題はそこまでいかに素早く行くかだ。
「春たちを拾って……は、ちょっと無理だな。やっぱり公民館行ったほうが早いか」
「そうだね。でも開場までまだ時間あるよ。焦らないでいいんじゃない?」
ここまではひかりと一緒に来た。同じ美容室を、同じ時間帯で予約していたのだ。申し合わせたわけではないのに、詩絵とひかりは昔からタイミングがいい。水無月呉服店で借りた振袖を着付け、美容室こいずみで髪と化粧を整えるという礼陣女子の定番の流れをクリアした二人は、少しずつ前に進むことにした。
歩きながら、夏から今まで積もった話をする。あとで同じことを、友人たちに改めて話すのに、たぶん何度話しても何度聞いても飽きないと思ったから言ってしまう。
今、詩絵は県内公立大の教育学部で学んでいる。礼陣からは離れて暮らしているが、連休があれば頻繁に帰ってきて、実家の店を手伝う生活をしていた。そしてひかりは県外の専門学校で勉強をしている。めったに帰ってこられない礼陣の町を、ゆっくり見て満喫したかった。
そんな調子で進んでいくと、あともう少しで目的地、というところで見知った顔に出会った。すらりと背の高い彼女は、中学時代の同級生である小日向だ。
「あ、加藤さんと笹木さん」
「小日向さんじゃん! うわー、スタイルいいから振袖も似合うなあ。一人?」
「ええと、園邑さんからメール来てて、合流するつもりだったんだけど……」
「じゃあ一緒に行こう! どうせみんな集まるんだし」
詩絵の提案に、小日向はぱっと顔を輝かせた。ここまで一人で来たようで、千花から連絡はもらっていたものの、やはり不安だったらしい。
小日向はずっと礼陣に住んでいる。通っている大学も、北市女学院大学だ。高等部からそのまま進学したのだった。
ますます賑やかになったお喋りは、公民館に近づき、とうとうゴールに到着した。そこには先に千花と佐山と合流していた新と牧野もいて、七人は再会を喜びあった。
「ほーう、新ってばスーツなんか着ちゃって。これで仕付け糸つけっぱなしとかだったら笑えるんだけど、大丈夫?」
「ちゃんと確認してきた。春に格好悪いところは見せられないからな。……詩絵も、別人みたいに見違えてるけど」
「それ褒めてるつもり?」
やいのやいのと騒いでいるうちに、やっと「着いたー」という羽田の声がした。片手は大きく上に、もう片方の手ははぐれないよう春と繋いでいる。もちろん新の視線は、羽田を通り越して春へと注がれていた。鮮やかな紅梅色を纏った、愛しい愛しい彼女に。
「春! やっぱり振袖似合うな。そもそも浴衣だって似合うんだから、似合うに決まってるよな。ここまで来るの大変だっただろ。オレが迎えに行けば良かったか」
あからさまに詩絵とは、というよりもそこにいる他の女子に対するものとは違う反応に、みんな呆れる。呆れながらも、これでこそ新だ、変わらなくて安心した、と思いながら息を吐いた。
「落ち着いてよ新。……久しぶりだね。また背伸びちゃった?」
春がにっこり笑うのと、公民館が開いたのは、ほぼ同時だった。人の波に流され、けれどもはぐれないようにしながら、集まった面々は会場へと移動した。

式自体は何の変哲もなく進行し、予定時間通りに終わった。その後の親睦会からが本番だ。
昔馴染みが集まって、軽食をおともに積もる話を語り始めると、もう止まらない。礼陣で生まれ育った者は多くが幼い頃から顔見知りなので、だんだんと輪も大きくなる。
「成人代表が筒井ってのも、なんか変な感じだったよな」
「変って何だよ。立派なもんだっただろ」
筒井は高校を卒業してから、役場に勤めている。それで声がかかったのだろうと思うが、案外真面目に役目を務めあげたので、仲の良い者たちは驚いていた。
「朗も一応社会人なんだなって感心した」
「博希ぃー……。一応ってお前なー……」
がっくりと肩を落とす筒井に、沼田は楽しそうに追い討ちをかける。そんな沼田は普段遠い地の国立大の学生をやっているので、礼陣に帰ってくるのは久しぶりだ。先ほどから筒井に限らず、新にも「相変わらず須藤のことしか考えてないの?」などと毒を含んだ言葉をかけていた。
「働いてる人は偉いよね。俺も就活頑張らないとな」
「まだ先だろ。それよりさ、浅井は彼女とどうなの? このあいだの喧嘩は解決した?」
「うーん、解決っていうのかな。もう怒ってはいないみたいだけど」
浅井は隣県の大学に、塚田は地元の礼陣大学に通う学生だ。頻繁に連絡をとっているようで、塚田は浅井の様々な事情を把握している。礼陣のかつての子供たちは、彼らに限らず交友関係を長く続ける。気軽に連絡が取れるツールが発達したことで、さらに距離が縮まっている気がする。
アプリ内で「礼陣」というグループを作って、やりとりをしていると、頻繁にタイムラインが更新される。誰かが言ったことには、誰かしらが反応する。大抵はこの町の話題で、発信元は地元に残っている者であることが多い。
「このあいだ、春が送ってくれた酒の写メさ。向こうの友達に見せたら、飲みたいから買ってこいって」
「酒屋さんで売ってるよ。あとで一緒に行こうか」
「ていうかみんなで飲もうよ! このあと春ちゃんの家に集まるんでしょ?」
「おじいちゃんが張り切ってるから、来てくれると嬉しいな。もう酒瓶ずらーって並べて待ってるんだから。あのお酒もあるよ」
他愛もないお喋りの内容は、大人のそれになった。けれどもノリはあまり当時と変わらない。今日は何して遊ぼうか、何の教科を勉強しようか、そんな調子だ。
「新は残念だな、誕生日三月だから、まだ十九歳だもんな。早く大人になれよ!」
「シノ、うるさい。オレ以外にも早生まれはいるだろ」
「秋公からも連絡来てるぞ。地元でもう飲み始めてるって。新とも早く飲めるようになりたいってさ」
飛鳥が新にスマートフォンの画面を見せながら、にやにやしている。それが悔しくて、新は「あと二カ月早く生まれたかった」と思う。そうしたら、このあと須藤家で行なわれる宴会でも、春と一緒に酒が飲めたのに。
ちなみに飛鳥は礼陣大学の学生をやっていて、無料メールでやりとりをしていた秋公は有名私立大に籍を置いている。秋公はもともと礼陣の人間ではなく、高校だけこちらに来ていただけだったので、成人式は彼の地元で参加している。けれどもまるで同じ場所にいるように、スマートフォンを通して会話ができるのだった。
「アキもこっち来られれば良かったのにね。みんなで飲み会やりたかったな。新は飲めないけど」
「詩絵まで言うか。……全く飲んでないわけじゃないぞ」
新をからかっていると、詩絵の肩を叩く者があった。そのまま笑顔で振り返ると、そこには少し緊張した面持ちの浅井がいた。会うのは夏以来だ。
「加藤、元気そうだね」
「浅井もね。ちゃんと食べてる? まだそっちにサンドイッチ残ってたよ。使ってるのうちのパンだから美味しいよ」
「うん、食べた。加藤のとこのパン、美味しいよね。……あと、晴れ着、似合ってる。大人っぽいというか、女性らしさが出てるっていうか」
「ん、ありがと。女大将がこんな格好、おかしいっていわれるかと思ってたんだけどね」
今日のために髪を伸ばして、化粧をした詩絵は、会場で噂されるくらい見違えていた。あれがかの「社台の女大将」かとささやきあう声は、本人の耳にも届いている。素直に褒めてくれたのは友人たちと家族くらいだ。勇敢なのか馬鹿なのか、正面切ってからかってきた筒井と塚田は、すでに女大将の威力が増した拳をくらっている。
「おかしくなんかないよ。加藤は、昔からちゃんと女の子らしかったと思う」
「お世辞なんかいいよ。何にも返せないんだし。それより、浅井も春のとこの飲み会行くでしょ? 良いお酒用意してるってよ」
「そっか、でも俺は早生まれだから。誕生日、来週」
「ありゃ、それは残念。でも美味しい料理も用意してくれてるみたいだし、一緒に行こうよ」
明るく笑う詩絵に、浅井も笑顔を返す。しかしそれはどこか翳っていて、詩絵は首を傾げた。それから、さっき耳に入った話題を思い出す。――たしか浅井は、彼女と喧嘩をしたのだとか。しかもそれはちゃんと解決していないようだった。
「もしかして、彼女のこと心配? 浅井は優しいもんね」
「……ええと、彼女とはうまくいってないんだ。付き合ったはいいけど、なんだか喧嘩ばっかりで」
「なんだよ、相談なら乗るよ? 一応アタシも女子だしさ」
恋愛相談なら、詩絵は慣れっこだ。春と新を見届け、千花の恋を応援し、今でも友人たちからの相談や惚気を頻繁に受けている。自分は恋をしたことはなく、せいぜいが憧れ程度だが、この手の話に関してはプロなのではと思っていた。
「じゃあ彼女と別れるから、加藤、俺と付き合ってくれる?」
だがプロは、自分が好意を持たれることに慣れていなかった。だから、ずっと気づかなかった。
「……なんでそうなるのよ」
「小学生の頃から、ずっと加藤のこと好きだった。女の子として見てた。……だめかな」
気づかなかったけれど、答えははっきりしている。
「だめだよ、それは。ちゃんと彼女と話し合わないで、それはだめでしょ」
「だよね。加藤ならそう言うと思ってた。そう言ってほしかったんだ」
これまで彼女の言い分をただ聞くばかりで、ちゃんと話しあったことはなかった。喧嘩だって、彼女が一方的に始めて、浅井が負ける。その状況を変えるために、よく効く応援と、長かった初恋を吹っ切ることが必要だった。
「ありがとう、加藤」
「お礼を言われる意味が分かんないんだけど。こっちがごめんねって言わなきゃいけないのに」
その光景を見ながら、ひかりと塚田がしみじみと頷いていた。あの二人も少し大人になったな、なんて思って。

親睦会のあとは大勢で須藤家に向かい、宴会を開いた。須藤翁が用意してくれた酒はどれも今後飲めるかどうかわからない逸品で、まだ成人していない早生まれ組は悔しがった。
宴会の様子をスマートフォンのカメラ機能で撮って、千花は遠くの町にいる海に送った。いくつもいくつも。はしゃぐ春とそれを押さえる新、つまみを追加で作る詩絵と小日向、乾杯をする佐山と羽田、浅井を囲んで肩を組む牧野、塚田、筒井。こちらはデジカメで写真を撮るひかりと、レンズに向かってポーズを決める飛鳥、巻き込まれる沼田。そんな千花を撮ってこっそり海に送ったのは、春。
その写真はさらに各地にいる先輩たちに転送され、拡散していく。みんなが「成人おめでとう」とタイムラインにメッセージを返してくれる。
晴れの日は広がって、彼らの新しい一歩を祝う。



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2016年01月10日

未来への行進曲と彼女の子守唄 その2

 修学旅行の土産といったら、何か食べ物でも買ってくるものなんじゃないのか。少なくとも中学の修学旅行でのオレはそうしていた。母親と、その職場仲間の人たちに、行った先の銘菓らしいものを適当に見繕ったものだった。だから在からの「土産」は、やっぱり変わっていると思う。
 神社に行って、お守りならともかく、どうして御朱印なのか。それをオレの代わりに貰ってきてどうする。心底呆れたけれど、在らしいといえばそれまでで、貰えるものは貰っておくことにした。
 誕生日の際にもプレゼントを持ってアパートに押しかけてきたし、在はとりあえずオレが喜びそうな何かをしたいんだろう。それは鬱陶しいといえばそうなのだが、厭ではない。もうオレは、在を拒絶するのをすっかりやめてしまっていた。完全に吹っ切れたのは、たぶん学祭で、「保護者」らをアイツに会わせてからだと思う。あの瞬間、在は本当の意味でオレの「身内」になった。漠然とした感じから、たしかな立ち位置になったのだ。
[アルバイトお疲れさま。今日のことだけど、昼休みに僕が次の会長をやるかやらないかって話になったときに、注目されてるって言ってくれてありがとう。僕は自分なんて生徒会長なんかやれるような存在感はないと思ってたから、黒哉の言葉にはすごく勇気づけられた。役員選挙のこと、もう少し考えてみようと思う。そう思えたのは、黒哉のおかげだよ]
 相変わらず無駄に長いメールにも、とうに慣れた。もっと短くしろって言ってもきかないところを見ると、これがアイツの限界なんだろう。余計な言葉を混ぜなければ気が済まないらしい。そういうところがうざったいのに、オレの言葉で良い方向の心境の変化があったようなのは、悪い気はしない。
 在がいて、水無月主将や流、大助と亜子がいて、それから町の人、鬼たち、いろんなものが周りにある今の生活が当たり前になってきている。周囲から遠ざけられ、こちらも遠ざけていた昔とは違う。いや、母親の知人たちは今も昔も変わっていないか。ずっとオレに良くしてくれているし、大事なことはきちんと伝えてくれる。
 長ったらしい在のメールにもう一度目を通してから、簡単に返信する。今日は課題はないし、授業の準備は前もってしてあるからやることはもうない。遅くなった夕飯は、いつも通り、うちを訪ねてくる子鬼と一緒に食べて、後片付けも済ませた。もう、本当に手をつけることが何もなくなってしまった。ということは、目を逸らしたいことについて考えなくてはならない。
 在からのものとは別に、もう一通メールを受け取っている。母親の仲間であり、オレの保護者達の一人でもあるコトミさんからのものだ。この内容を在にも伝えるべきかどうか迷ったのだが、今日は結局やめておくことにした。せっかく在の気分が良さそうで、他に考えることがあるのなら、知らない方がいい。
 オレの母親を殺した男で、オレとアイツが兄弟になる原因になった男――岡林律人のことなんて、きっと聞きたくないだろう。まして岡林が、県内で目撃されたなんて情報は。

 そもそも初めの頃、オレが在を認めたくなかった理由は、この岡林という男にある。岡林は昔、在の母親と結婚していながら、オレの母親とも不倫関係にあった。この男は婿養子として常田家に入り、家業でやっていた不動産屋から着服した金で遊んでいた。そんな二重生活を送っているうちに、やがて常田家とオレの母親との両方とのあいだに、子供ができることになる。つまりそれがオレと在が生まれたいきさつだった。在とオレが兄弟であると認めることは、岡林を父親だと認めてしまうのと同義だったから、在の言葉――「君の兄にあたるんだけど」という最初のあの言い方が、癇に障ったのだ。
 オレは岡林の顔を、写真でしか知らない。それも、母親が殺されたあとに初めて見た。オレが生まれたときには、あの男はすでに母親と別れていたからだ。原因は、オレができたから。すでに常田の家で子供が生まれていて、表面上は父親でいなければならなかったあの男にとって、不倫の子供は邪魔だったというわけだ。
 そのことはコトミさんたちに教えられたわけじゃない。コトミさんたちはいつだって、オレを気遣って何も言わなかった。全ての事実は、母親が死んでから、犯人の手掛かりを探す段階で明らかになったことだ。――母親の日記を、生前から「あたしに何かあったら見なさい」と言っていたそれを、オレが読んだから。
 母親は俺が生まれてからずっと、その日記をつけていたようだった。日々あったこと――主にオレの様子だった――の他に、岡林と出会ってからのことを、思い出しながら書きつけていたらしい。その頃から、今後自分に何かがあるかもしれないという予感があったのだろう。コトミさんたちも、「サヤカちゃんは変なところで勘の鋭い子よね」と昔からよく言っていた。今になって、そんなに勘が働くならどうして岡林なんかと付き合ったのかと疑問が湧いてくる。
 とにかく日記は、母親の人生と事件の容疑者をオレに教えてくれたのだった。オレが母親の遺体を見つけて警察に連絡がいったときには、オレも容疑者の一人だったのだ。むしろ一番疑われていた。第一発見者で、そこそこでかい息子なら、それも仕方のないことだったのだ。当時はかなり腹が立って、コトミさんと樋渡さんが駆けつけてきてくれるまでは、ずっと警官に悪態をついていたのだが。ショックで混乱していたのもある、とも言い訳しておく。
 オレの容疑を晴らしたのは樋渡さんとコトミさんの口添えと、事件当時一緒に部活をしていた顧問や部員たちの証言、そして母親の日記だ。三つめが一番効いた。なにしろ、死者本人の証言だ。――私はいつか、岡林に殺される。

 門市のバーで働いていた日暮清佳に、岡林、いや、常田律人は、初めて店に来たときから目をつけていたらしい。すぐに清佳を呼びつけて、自分の身の上話を始めたそうだ。どこまで本当かはわからないが。なにしろ自分はとある会社の重役だと言ったのだ。本当は、片田舎の不動産屋の婿養子だったのに。
「結婚はしてるんだけど、あんまりうまくいってないんだ」
 あの男はそう言ったらしいが、うまくいっていなかったとして、そうしているのは自分だ。けれどもあんまり切なげに言うものだから、若かった清佳はすっかり騙されてしまった。その男が不遇な目に遭っていると信じ込み、言葉にほだされ、何度か会ううちに惹かれるようになってしまった。頻繁に品物が贈られるのも嬉しかった。まさかそれが、妻の実家から持ちだした金で購入したものだなんて夢にも思っていない。
 バーの「ママ」、樋渡さんは清佳を心配したが、若い清佳は耳を貸さなかった。ちょうど思春期の娘と母親のような関係だったという。実の親とはうまく関係を築けなかった清佳にとっては、成長において必要な段階ではあったのかもしれないが、そのまま男に入れ込んでしまったのは良くなかった。妻がある身だと知っていながら、付き合うようになってしまった。そのあいだに男の妻が身籠ったことも、そのときは知らなかった。知ろうとしなかったし、男は「妻とはうまくいっていない」としか言わなかったから。その子供が産まれてからも、清佳はそれとは知らずに男と関係を続けていた。
 だが、清佳の妊娠が発覚したとき、男の態度はがらりと変わった。子供ができたら男は妻と別れる決心がつくのではないか、自分と幸せな家庭を築けるのではないかと思っていた清佳の気持ちは裏切られた。
「馬鹿を言うなよ。僕は子供なんかいらない。常田の子供だって、その腹にいるのだって、邪魔でしかない。そんなもので縛りつけられるのはごめんだね」
 男に愛されていたと思っていた、子供もきっと愛してくれると思っていた、だから清佳は男の本性に愕然とした。常田の家に子供がいるなんてことも、このとき初めて知った。言葉も出ないまま立ち尽くしていると、男は用意していたかのようにメモを投げてよこした。どこかの住所が書かれていたそれに手を伸ばそうとしたとき、男は言った。
「子供はいらないけれど、君との関係は悪くないと思っている。そこで子供を処分してきたら、今までどおりの付き合いを続けていこう」
 言葉を放ったその口で、いつも清佳に向けるのと変わらない眼差しで、男は笑った。だが、清佳の眼にはもう今までの優しかった男は映っていなかった。そこにいるのは清佳がやっと得られた宝物を捨てさせようとする、恐ろしい人間だった。実の両親よりもたちが悪い。彼らは一応は清佳を産み、名前をつけ、中学までは家に置いた。でも、この男は子供を産ませようとすらしないのだ。
「……ママやコトミちゃんたちの言う通りだった。ちゃんということをきいて、あなたとの関係を切るべきだった」
「僕と別れようっての? 今まで君が生活できてきたのは、誰のおかげだと思ってるわけ?」
「ええ、あなたはあたしにたくさんお金を使ったわ。あたしもそれに甘えた。だからこんなことになったのよ。悪いのはあたし。だからあたしは、ちゃんとけじめをつけなきゃいけない」
 やっと家族ができると思った。夢に見たような、周りの人々が育ってきたような、温かい家庭が築けるのではないかと期待した。それを引き裂こうとするこの男とは、もう付き合っていけない。――温かい家庭なら、こんな男がいなくても、自分と子供がいればつくっていける可能性がある。
「子供は産んで育てます。あたし独りでも。さようなら、律人さん」
 清佳はそのまま男と別れて、二度と会わないつもりだった。逃げて縋った樋渡さんに、男が来てもとりあわないように頼んだ。泣きながら謝る清佳を、樋渡さんはただただ抱きしめてくれていた。
 それからしばらく男は店に現れなかったが、そのかわりに、別のところで事態は急転した。偶然礼陣から来たという客が、常田不動産のことを話したのだ。樋渡さんが詳しく内容を聞いたところ、その不動産屋の娘婿と常田律人が同一人物であるということがわかったのだった。そこにはたしかに生まれて一年も経たない子供がいるということも。
 それを聞いた清佳は、突発的に行動に出た。常田不動産の住所と電話番号を調べ、翌日の昼には礼陣にやってきた。常田不動産までの道は、人に訊けばみんな親切に教えてくれるので、すぐに分かった。勢いで乗り込み、娘と文通をしていて会いに来たという嘘を吐いて、会わせてもらった。そんなことは嘘だと本人が一番わかっているはずなのに、常田律人の妻である遥は、不思議そうな表情を浮かべて清佳の前に現れた。
 遥はいかにも良い家庭で育ったお嬢さんといった風貌の、大人しそうな女性だった。夫が吐いた嘘も真に受けて、仕事や付き合いだから夜に帰ってこないのも仕方がないと思い込んでいる、何も知らない女性。その腕には赤ん坊が抱かれていた。父であるはずの男に邪魔だと思われながらも生まれることを許された子供が。
「あの、日暮さんでしたかしら。私はあなたを、たぶん知らないと思うのですけれど……」
 それならどうして会ったのか。あまりの無防備さ、暢気さに苛立ちを覚えながら、清佳は遥に詰め寄った。
「知らないのは当たり前でしょう。どうせあなたは、自分の夫のことをなんにも知らないんでしょうから。どうして夜に夫が帰らなかったか、疑ったこともないの?」
「主人はうちの家業の他にも、色々な方とお付き合いや取引があると……。あなたは、主人のお仕事に関係した方なのですか?」
 その「付き合い」がどんなものなのか、このお嬢さんは本当に何も知らないし、知ろうともしていないのだ。世の中に、こんなにも世間知らずな女がいたとは。……いや、それは自分も同じだ。清佳は自嘲し、それから遥に、これまでのいきさつを伝えた。
「あたしは常田律人の愛人です。このお腹には、彼の子供がいます」
 そこから始まった説明を聞くうちに、遥の顔がだんだんと血の気を失っていった。顔面蒼白とはこういう状態をいうのだなと、清佳は心の冷静な部分で感心してしまった。
「……すみません。あなたのお話、とても信じられません。彼が、そんな……他の女性と……」
「でも、事実ですから」
 きっぱりと言い切った清佳に、遥はまだ「嘘よ、嘘よ」と呟いている。これ以上は言っても無駄かと、諦めてその場を去ろうとした。結果が無駄でも、本妻に会いに行ったと知られたら、樋渡さんに叱られるだろうか。あの男がこのことを知ったら、どうするだろう。そんなことを考えながら向けようとした背中を、けれども遥は引き留めた。
「待って。突然のことで、私は全く理解できていません。もっと詳しくお話を聞かせてください。主人にはあなたのことは言いませんから。……連絡先を、教えてくれませんか」
 震える手で、清佳の服の裾を掴んで。もう片方の腕で、しっかりと子供を抱いて。遥は真実に目を向けようとしていた。今まで信じていたものを、疑おうとしていた。
 清佳は遥に向き直り、彼女と連絡先を交換した。こっそり見た赤ん坊の寝顔は、まだ何も知らないまま、安らかだった。
 二人が連絡をとるのは、遥が電話をかけてきたときに限られた。それも時々で、夫がいないときを見計らってのことだった。そのわずかなあいだに、清佳は自分と男のことを話せるだけ話した。月日が流れて子供たちも順調に育った。清佳は遥の子供に一度きりしか会っていないが、その成長は遥を通して知っていた。そして清佳自身も、宣言通りに独りで子供を――オレを産んだ。「何物にも染まらないように」という願いを込めて「黒哉」と名付け、その日から日記をつけ始めた。日記には鍵をつけ、解除するための四桁の番号をオレの誕生日に設定した。宣言通りに、オレを独りで……いや、樋渡さんやコトミさんたちの力を借りて育て始めた。
 仕事を掛け持ちして、オレが保育園や小学校といった集団の中で生活するようになってからは、その関係者たちの誹りを受け流し、オレに剣道を習わせ……自分が両親から愛されなかった分を埋めるように、清佳は、母親は、オレを大事にしてくれた。
 オレが大事だったから、父親が誰なのかは話さなかった。けれども事態は、オレが何も知らないうちに変わっていたのだった。オレが小学生になって間もない頃に、母親に遥から連絡が入っていた。
「全てが父に知れました。あの人が我が家のお金を勝手に持ちだしていたことも、結婚してから今まで、あなたや他の女性とお付き合いをしていたことも。父が不審に思って調べていたので、私が話したんです。あの人とは離婚しました」
 随分と遅い展開だったようだが、それだけあの男が上手く取り繕っていたんだろう。しかし綻びは暴かれ、あの男は常田家を追い出された。もう常田は名乗れなくなって、岡林律人として生きていくことになった。
 だが、それで全てが終わったわけじゃない。それはむしろ、再開の合図だった。あの男はよりによってオレの母親につきまといだしたのだった。樋渡さんたちが母親とオレを守ってくれていたけれど、いくらかの金をとられた。一度成功すれば味を占める。その後もあの男は幾度となく母親に金を無心し、奪っていた。オレはそんなことも知らずに、ただ毎日に不満や小さな喜びなんかを持ちながら生きていた。
 けれども、母親はオレに何も教えなかったわけではない。小学生だったオレを呼んで、鍵をかけた日記帳を見せて言った。
「黒哉、あたしに何かあったら、これを見なさいね。ここに大切なことは全部書いてあるから、きっと黒哉の役に立つはず。鍵は黒哉の誕生日に、こうやってダイヤルを合わせたら開くから」
「今見るんじゃだめなのかよ」
「うん、今はまだだめ。あたしが黒哉になんにも伝えられなくなるような、それくらい大変なことが起こったら。もし忘れちゃっても、日記の存在はコトミちゃんたちにも伝えてあるから大丈夫よ」
 そのときは縁起でもないことを言うなと思った。けれどもそれは、母親が岡林との関係を続けるうちに持つようになった予感で、保険だったんだろうと、今ならわかる。ことはすでに起こってしまって、もう取り返しがつかないのだけれど。
「だから黒哉、あなたは何が何でも生きなさいね」
 そう笑った母親は、もうこの世に生きてはいない。
 だが、岡林は、母親が死の前日までソイツに殺されるだろうと予感し覚悟していた当の男は、生きて県内をうろついているのだ。警察から樋渡さんに目撃情報があったということが伝わり、それを聞いたコトミさんがオレにこっそり教えてくれた。
[黒君も気をつけてね。あいつがまだサヤカちゃんのお金を狙っていたら、今度は黒君が危ない目に遭うかもしれない。なるべく一人にならないように!]
 オレの身を案じながら、オレについててやれないことを、コトミさんたちは悔しがっている。一方で、オレがコトミさんたちから離れている今の状態を、ほんの少し安心してもいると思う。母親の残した財産のほとんどは、今は樋渡さんが預かってくれているのだから。
 オレは自分の身だけ守っていればいい。守れるようにしていればいい。幸いなことに、礼陣には味方がたくさんいる。むしろ味方を作るために、母親はオレを連れて礼陣に引っ越したのだ、きっと。



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2016年01月09日

未来への行進曲と彼女の子守唄 その1

 寒くなってきたからこたつの用意をした、という話が聞こえてきた。この町の冬は、山に囲まれているという地形のせいか、底冷えがする。外を歩いていると、山から下りてきた冷たい風が、無防備な顔に叩きつけられる。これが非常に痛いから、はたしてここより北の土地はどのくらい寒いのだろうかと、そこにいる人たちはどうやって冬を越しているのだろうかと、不思議になる。――そうだ、この町の外には、知らない世界が広がっている。
 僕はこの町で生まれ育って、やがてこの町で祖父の仕事を継ぐことを期待されている。それは僕が進路に悩まなくていいということでもあるのだけれど、自分で考えた道を持たないことには、多少のコンプレックスがある。僕はもっと、物事を考えなくてはならない。自分がどうしたいのかを。
 文化祭が終わり、将来について思い始めた矢先。そろそろここで昼食をとるのもつらくなってきた屋上に、僕らは相変わらず集まっていた。黒哉、水無月先輩、会長、大助君、亜子さん、そして僕が、車座になって凍えながら弁当箱をつつく。
「流さん、そろそろ生徒会室解禁してよー。屋上寒いー」
 学校指定のセーターベストの上に、厚手のカーディガン、さらにもう一枚大助君のブレザーを羽織り、前を掻き合わせるようにしながら、亜子さんはかたかたと震える。冬生まれだけど寒がりなんだ、と前に言っていた。たしかに彼女は、中学時代から冬は厚着だったように思う。
「生徒会室なら熱い茶も飲めるしな」
「大助、そのお茶は誰が淹れるの」
「あ? 和人か亜子だろ」
「人任せにしない」
 一方、シャツ一枚にネクタイなしという、あまりに薄着で、ついでに校則も無視している大助君だけれど、彼も温かい飲み物が恋しいらしい。きちんと制服のブレザーを着て、それでもときどき寒そうに腕を擦る水無月先輩が、大助君を叱りながらも「でもお茶は温かい方がいいよね」と呟いた。傍らには冷たいお茶のペットボトルが置いてある。まだ校内の自動販売機に、温かい飲み物が入っていないのだ。一応は申請しているのだけれど、入れてくれるのはもう少し先になりそうだった。
「だいたい、そろそろ僕らには生徒会役員権限はなくなるんだからね。流、君もそろそろ次の役員のことを考えないと」
「うーん……考えてはいるんだけどな」
 会長は指定ブレザーの前を開け、ネクタイを緩めている。服装は緩いけれど、人望の厚い生徒会長は、そろそろその任を辞さなければならない。生徒会役員選挙が近いのだ。引き継ぎと受験に向けての動きを同時に進めることを考えると、役目を引き継ぐのは会長が今までやってきたことをきちんと知っていて、運用できる人を、会長自らが選んで推薦するのが最も妥当だ。
 選挙をしても、実際に新生徒会役員が動き出すのは卒業式以降になる。その後、新入生からも役員が選出され、やっと新年度の役員が揃うのがこの学校の伝統だ。ややこしいシステムだけれど、長年それでやってきた。
 僕が生徒会役員になったのは二年生からで、一年生のときにクラス委員をやったのをきっかけに、何故か会長の目に留まった。一年生の秋の終わり、言われるままに選挙に出て、対抗馬が出ないまま流れで役員になり、影の薄い副会長として目立たない働きをしてきた。だいたいにして今の生徒会役員は、会長と副会長である水無月先輩が目立ちすぎているので、他はどうしても霞むのだった。あまり目立ちたくない僕としては、ありがたかったのだけれど。
「いいや、この機会に言おう。在、お前に次の生徒会長やってほしいんだけど」
「……はい?」
 あまり目立ちたくない僕を引き抜いたのは会長で、表舞台に立たせようとするのもまた会長だった。やっと少しだけわかってきた気がしていた会長の考えが、僕はまたわからなくなってしまう。震えたのは、枯葉を伴って通り過ぎた風のせいだけじゃない。
「会長、冗談ですよね」
「冗談なんか言うもんか。俺も和人も卒業したら、生徒会の仕事を一番わかってるのって在なんじゃないかってずっと思ってたんだ」
「でも僕は会長みたいにはできませんよ。ノリは悪いし、場を盛り上げるなんて絶対にできないです」
 あわてて首を振るけれど、会長と、それから水無月先輩にも通じなかった。水無月先輩なんか、無責任にも腕組みをして感心している。
「今までとタイプが違う人の方がいいんじゃないかな。在は仕事をしっかりするし、今いる役員の後輩たちも反対はしないよ」
「でも、選挙に出たら落ちる自信があります。僕のことなんか誰も気にしてないんじゃないでしょうか」
「そうでもねーぞ」
 名前のわりに存在感がない僕のことだから、誰も知らないし、生徒会長を任せたいと思わないのではないかと思った。でも、黒哉は意外にもそれを否定する。黒いカーディガンを羽織った黒哉は、こちらが戸惑っているあいだに、僕が知らなかった、というか特に気にしてこなかった事実を口にした。
「学祭のバンド、結構人気出たらしいからな。主将や流はまあ当然として、在もそこそこ注目されてた」
 ということは、黒哉もそうとうな人気者になったのだろう。いろんな人に声をかけられたに違いない。そう思っていたら、亜子さんが「じゃあ黒哉もモテてるんだね」とにやりと笑って言った。黒哉は「オレのことはどうでもいいんだよ」と、少し顔を赤くして返事をしていた。
「じゃあ、知名度も十分だな。どうだ、在。やってくれないか?」
 会長がもう一度問う。でも、僕にはすぐに返事ができない。この学校には会長の作った空気があって、行事も会長が引っ張ってきた。それを僕が引き継げるか、違うかたちにしてしまっても生徒は納得するのか、不安しかない。
 僕にはとても務まりそうもないけれど、会長の気持ちを無碍にしたくもなくて、曖昧な返事をした。
「少し、考えさせてください」
 考えてから断れば、会長も納得してくれるだろう。そんな僕の甘い期待を見透かしたように、会長は笑って頷き、「待ってる」と言った。

 一年生のときにクラス委員をやったのは、誰もやりたがらなかったからだ。あまりに決まらないので、担任が僕の入試の成績が良かったからというほとんど無関係な理由で、仕事を僕に任せたのだった。絶対にやりたくない理由というのは特になかったので、僕もそれを引き受けた。
 会長と出会ったのは、その後の生徒会役員会議でのこと。クラスの代表として出席した僕に、会議後、会長は今と同じ軽いノリで話しかけてきたのだった。
「常田不動産の社長さんの、孫の在君だよな。頭良いって聞いてたから、ヤシコー行くんじゃないかと思てたんだけど、本当にこっち来てくれたんだな」
 あんまり嬉しそうな笑顔だったので、面食らいつつも、僕もへらっと笑って返した。
「はい、常田在です。よろしくお願いします、生徒会長さん」
「改めて、野下流だ。堅苦しいから流でいいよ、よろしくな」
 そう言われながらもずっと「会長」と呼び続けてきたのは、この人とは距離があると思ってきたからだ。誰にでも慕われて、明るく華やかで目立つ存在である会長は、僕には雲の上の人に見えた。天上の人が僕の名前と顔を知っているというだけでも、とても驚いたのだ。
 あとで「役員やらないか?」と言われたときの驚愕がそれ以上だったことは、言うまでもない。でもやっぱり断る理由が見つからなくて、というよりは会長の推しが強くて、断れなかったのだった。そうして僕は突然、生徒会副会長になることになった。――この学校の生徒会役員は、会長が一人、副会長が二人、書記が二人、会計が二人という構成になっている。会長以外が二人体制なのは、ダブルチェックができるようにするためだ。けれども僕は今に至るまで、同じ副会長である水無月先輩の粗を見つけられたことがない。
 会長と副会長の一人が卒業するから、持ちあがりで僕が会長に、ということなのだろうけれど。やはり僕には荷が重いな、と家に帰ってから改めて思った。なにしろ会長の実績がとんでもなく、改革に近いレベルだったものだから、その後釜が僕では絶対に全校生徒から落胆されるだろう。目に見えている。
 ……ああ、でも。黒哉はそうは言わなかった。学祭のバンドで注目されていたと、そう言ってくれた。僕の背中を押すように。もしかしたら会長と水無月先輩の肩を持とうとしただけなのかもしれないけれど、僕には自信のあるなしに関わらず、黒哉の言葉が嬉しかった。
 黒哉が期待してくれているなら、それだけでも生徒会長をやる価値はあるのかもしれない。そんな気持ちが、心の隅のほうから少しずつ湧き上がってくる。荷が重いと、責任重大だと、知っているのに触れてみたくなってしまう。黒哉の言葉には、僕を動かす力みたいなものがあるようだ。
 少し迷った末に、メールを打つ。注目されていると言ってくれたことに対する感謝を短くまとめて、黒哉へと送る。まだアルバイトをしている頃だろうなと思いながら返信を待って、そのあいだに夕食も課題も風呂も予習復習も片付けてしまった。あとはもう寝るだけ、というところで、携帯電話が高い音で鳴った。黒哉からの返事が来たのだ。急いで画面を見る。
[注目されてるって事実を言っただけだ。礼を言われるようなことはしてない。でも修学旅行の土産の仕返しはしたかったかもな。]
 仕返し、にちょっと笑った。学祭のすぐあとで、僕ら二年生は修学旅行があったのだ。京都や奈良の寺社仏閣を見てまわるという、このあたりでは定番のコースだった。そのとき黒哉にと用意したお土産のことを、まだ気にしているらしい。
 彼に選んだおみやげは、御朱印帳だった。大助君と亜子さんと一緒にまわった神社で、一通り御朱印をいただいてきたそれを、帰ってきてから黒哉に渡すと、呆れたように言われた。
「こういうのは自分で貰ってこないとだめだろ。オレの楽しみ奪いやがって」
 ごめんと謝りながら、やっぱりこういうの好きなんだなと、僕はほくそ笑んだ。続きは黒哉が埋めてよ、と言うと、彼は「当たり前だろ」と返事をしてから、気をつけないと聞こえないくらい小さな声で「どうも」と呟いた。――つまり今日のフォローは、お土産のお礼だったということか。
 出会った頃に比べれば、随分と心を開いてくれたと思う。黒哉の「身内」になれて、少しは信頼してもらえるようになって、僕は今が一番幸せなのかもしれない。何も持たない僕が、特別だと思える存在を手に入れられたのだ。
 もう一度黒哉に、ありがとうとおやすみを伝えるメールを送ってから、布団に潜った。さて、会長への返事を改めて考えなければ。会長もまた、僕を見つけてくれたという意味では恩人なのだから。真剣に受け止めなければならないと、思い直した。
 そういえば、屋上で黒哉と会えるようにしてくれたのも、元はといえば会長が屋上を開けてくれたからなのだ。



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2016年01月03日

鹿川透の四季日記

鹿川透が礼陣に引っ越してきたのは、冬のことだった。もうじき小学五年生も終わりになろうかという、冬休み明け。道にはジャクジャクした水分の多い雪が敷かれていた。そして町のぐるりを囲む山々は、真っ白に染まっていた。
そんな冬が、また巡ってくる。それを過ぎたらいよいよ中学生になって、透は少しだけ大人に近づく。両親に負担をかけたくないので、早く大人になりたかった。
けれども両親は、彼らなりにちゃんと持ち直しているらしいというのが、この一年でよくわかった。隣町の大企業で、手痛い失敗がきっかけとなりリストラの憂き目にあった父は、この町の新しい職場でうまくやっているようだ。透にはよくわからなかったが――これも子供だからで、大変悔しいことだ――失敗したとはいえ積み上げてきたキャリアは本物だった父は、今の会社では重宝されているという。
母も随分落ち着いた。あれが大変、これが大変、と言わなくなった。それどころか最近では、毛糸を買ってきて編みものまで始め、「近くにドイツ人の、手芸が上手な方がいるのよ。ドイツ語の教室もやっているんですって。お母さん、行ってみようかしら」なんてうきうきと言うようになった。
それでも隣町にいた頃より収入が減ってしまったのはたしかで、以前より質素な暮らしをしなければならなくなったのだからと、透はずっと欲しいものがあっても必要最低限のもので済ませてきた。お小遣いを貰わない生活にも慣れたし(家事の手伝いをすると少しだけもらえる、その分だけは受け取ることにしている)物を大事にするようになったと実感している。礼陣に引っ越してきてから、環境はまるで変わってしまったけれど、物事はうまくまわっているようだった。
そんなふうにして、一月から十二月までを過ごした町は、いつでも美しい景色と賑やかな人々で満ちている。
雪が融けて暖かくなった頃には、友達と一緒に色野山に遊びに行った。花の蕾をつけている木々や草花を、間近にじっくり見たのは初めてだった。やがてそれが一斉に開いて、山を色鮮やかに染め上げたのも壮観だった。そしてその頃になって、もう一度山に遊びに行って、今度はお花見を楽しんだのだった。
夏に向かうにつれて、町はそわそわしてくる。学校でも、図画工作の時間に「夏祭りポスター」の課題が出た。毎年八月の後半に行なわれる夏祭りの、告知のためのポスターを募集しているようで、小学生から大人までこぞってコンテストに参加するという。小学生の部、中学生の部、高校生の部、一般の部とあって、透たちは小学生の部に挑んだというわけだ。
結果は他校の子に決まったが、透たちも参加賞をもらえた。ノートと鉛筆、消しゴムのセットは、透にとっては本当に助かるものだった。
夏祭りには子供神輿も出る。御輿行列のときにうたう唄を、透も友達から習った。礼陣の子供はみんな唄えるというし、その調子が上手なので、感心したものだ。そもそも透の通う遠川小学校では、年に数回合唱コンクールを行なうので、そのせいか大抵の子は歌が上手だ。けれども合唱曲を歌うのとは全然違う、不思議な抑揚のある唄は、上手な子は大人に負けないくらい本当に上手だし、苦手な子は平坦になってしまって、お経を聞いているよう。透はどちらかといえば、本番もお経側だった。
本番の神輿行列は、そんなことは気にならないくらい楽しかったけれど。みんなで唄いながら町中を練り歩き、沿道のたくさんの人たちから声をかけられる。駅前広場で行列が終わったら、お菓子とジュースを貰って、お喋りをしながら一休み。休んでおかなければ、この後の縁日巡りで力尽きてしまうと、友達に言われた。
そしてたしかに縁日巡りは面白く、忙しかった。子供は駅裏商店街に出ている出店に限って、値切り交渉が許されている。友達がみんな大人と渡り合って、品物を安く手に入れているのを見ていると、透もやってみたくなった。いざ挑戦してみると、大人たちは「鹿川の坊ちゃんは祭りが初めてだもんな、おまけしてやらあ」と簡単に値下げに応じてくれて、少し物足りなかったが。
祭りの最後の花火大会は、神社の境内で楽しんだ。ちょうど高台になっているそこから、河川敷で打ちあげられている花火はきれいに見えた。ここなら絶景だ、と教えてくれたのも友達だった。
秋になると紅葉が山を彩り、その下を歩いて遠足に行った。春とはまた違う顔を見せた山々に、透は感動しきりだった。そんな透を見る友達が嬉しそうなのも、印象的だった。
礼陣の人々は、礼陣を好きになってもらいたがる。楽しいこと、素晴らしい場所を、たくさん教えてくれる。そしてこっちが笑顔になると、相手も喜ぶのだった。

そうして過ごした一年で、透が最も多く足を運んだ場所は、学校以外であれば礼陣神社だった。鬼を祀っているというこの神社は、町の人々の手で運営されている。お守りなどの授与は、ここに住んでいる神主がやっているが、境内の掃除や社の修繕といったことは町の人が交代でやっている。日曜日には透の友達である八子が、祖母と一緒に掃除をしに来る。透はそれを狙って来ることもしばしばだった。
けれども何度か、一人だけで神社に来たことがある。もともと寺社仏閣は好きなほうで、興味を持って調べたこともあったから、礼陣神社にはとりわけ関心があった。鬼を祀っているということも、その鬼が実在するということも、興味深かった。
そう、透は鬼を見たことがある。節分の日に、頭に二本のつのがある鬼を見た。それは凶暴になってしまった鬼だったようで、八子が竹刀で叩いておとなしくさせていた。そんなファンタジーが、この町では現実で、しかも鬼を見たことのない人を含む誰もが、鬼の存在を信じている。
だから町の人が、友達が、「神主さんは鬼なんだよ」と言うのも、疑いようがなかった。つのはなく、浅葱袴の普通の大人、それも若いほうに見える神主は、しかしずっとその姿が変わっていないのだという。しかも、神官らしいのは格好ばかりで、あとはちっとも神主らしくないのだった。
「透君、こんにちは。今日はお一人ですか」
穏やかに微笑んで立っているけれど、特に何をしているわけでもない。ただそこにいる。
「こんにちは。神主さんは相変わらず、境内の掃除とか、神官としての仕事をしていないんですね」
普通、この神社のように設備が一通り揃っていて、一応ではあるが管理者がいる神社は、もっと忙しいものだと思う。境内をきれいに掃き清め、参拝者に授与するものや祈祷の道具の準備をし、氏子をまわったりするのが、透の知っている神主の仕事だ。けれどもこの神主と呼ばれている人がそうしているのを、透はほとんど見たことがない。参拝客と話をしていたり、巫女らしき人と何か相談をしていたりはしているようだが、それ以外に何か仕事をしていたことが、そんなにあっただろうか。
祝詞をあげたりもしないようだ。祝詞は神様への挨拶や報告のようなものだと透は捉えている。しかし神主がこの神社に祀られている鬼そのものならば、たしかに祝詞は必要ないのだった。だって、自分への挨拶になってしまう。いつぞやも、八子あたりがそう言っていた。
「そうですね、祝詞はあげたことがないです。地鎮祭なんかも頼まれればやりますが、形ばかりですね」
神主に改めて尋ねると、のほほんとこう返ってくるので、透は呆れたものだった。神様本人だろうが、一応神主を名乗るなら、儀式の類はきちんとするべきなのではないか。
夏祭りのときは、神主らしく立派な恰好をしていたのに。つまりは神官としての正装だったのだけれど、あれも恰好だけだったのかと思うと溜息が出る。それでもこの町の人々は、神主に親しみながら、敬意を払っているのだった。
「せめて神職の資格をちゃんと取ればいいのに」
「私はこの町から離れられませんからね」
神主は、透の言葉を少し困りながら受け止める。仕事に関する話をするといつもそうだ。自分でも神主らしくないと思っているのかもしれない。
けれども人間たちが「神主さん」と呼ぶから、この神様は、大鬼様は、神主でいるのだろう。そこにいるだけ、なのだけれど。そこにいるだけでいいのだ。
「……あの、神主さん。俺、礼陣の町が好きです」
「そうですか。それは良かった」
透が町を好きだと言うと、神主は目を細めて喜ぶ。町の人たちと同じで、もしかすると町の人たち以上に、神主は礼陣の町が好きなのだろう。他の人にも好きになってほしいくらいに。
「季節感とか、夏祭りの賑やかさとか、住んでる人とか……みんなあったかくて好きです。好きだから、神主さんにはもうちょっとちゃんとしてほしいというか……。俺、神社そのものも神社の仕事も、すごく好きなので」
「そうですね。祀られているのが自分でも、神主である以上はきちんとしなければいけませんね」
神主がまた苦笑する。でも、透は考えたのだ。この人がこの土地の神様で、礼陣から出られないなら、出られる人が仕事を学んで来ればいい。それらしい適当なものでこれまでやってこられたのだから、それもいいのだろうけれど、正しいやり方とされているものも学んでおいたほうがいいと思う。
人がいて、町があって、四季があって、神がいる。それで十分なのかもしれないけれど、でも。
「俺、神主さんの代わりに、勉強してきます。早く大人になって、両親と町に恩返しがしたい。ここが町にとって大切な場所なら、俺がこの先もここを守れるように勉強します」
町に触れて、町について知った。町が好きになって、町のために何かしたいと思うようになった。恩返しのために、早く大人になりたい。今できることでは、まだまだ足りない気がする。
「その心意気、とても嬉しいです。そうですね、透君が勉強したことをさらに私が教われば、もっと広く世の中を見られますね。それは良い考えだ」
うんうんと頷いて、神主は透の頭を撫でた。心の底から愛しいと思うものに、そうするように。
「もうすぐ君がこの町に来て、一年になります。そのあいだに、たくさんのものを見て、たくさんのことを感じ、考えてくれたんですね。礼陣の大鬼として、これ以上に嬉しいことはありませんよ」
「……まあ、できたらですけど。なにしろうち、あんまり裕福じゃないので。大学とか行けるかな」
「行けますとも。透君なら、自分の信じた道を行けます。私が保証しますよ」
礼陣の町の神様が言うのだから、これ以上に信頼できる保証はない。透は照れて笑い、それから、心の中でそっと約束した。
いつかかならず、この町を良くする人になろうと。そんな大人になろうと。そのためなら、今、そしてこれから、どんな苦労もしよう。大丈夫だ、大変でも、周りの人が支えてくれる。ここはそんな町だから。
「……おや、雪だ。もうすぐ山も白くなりますね」
また礼陣に、冬が来る。透にとって二度目の冬が。



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2016年01月01日

世界を渡り守る者

「この町の担当になっちゃったのよね。面倒だけど」
元旦、午前零時。山に囲まれた田舎の町、礼陣のシンボルである礼陣神社の境内で、少女が甘酒を飲みながら気だるげに言う。いや、正確には少女の姿をしているだけの、れっきとした神である。正月になると方々を訪れる神だが、彼女はそのうちの一柱、たくさんいる歳神の末端の存在だ。この国における神道での「年神」とは異なる。
一族として多数いて、それぞれ担当の地区を持って新年に全国を見てまわるようにしている。自らが司る干支の年には、その一年を守護する神として役目を負う。歳神の少女は前年、未年を司り役目を果たしたが、来訪の役は今年もまわってきたようだ。しかも、正式にこの町を任された。
「たぶん、私のせいでしょうね。私が貴方としかまともに話せないから」
苦笑する神社の神主(と、町の人々からは呼ばれている)に、歳神少女は眉を寄せたまま「本当にそうよね」と苦言を呈する。
「ここに来て得することといえば、甘酒が美味しいことくらいかしら。あと御神酒もなかなかだわ。この町の酒蔵は毎年いい仕事するわね」
「結構得してるじゃないですか、ミトシさんも」
穏やかに、嬉しそうに顔をほころばせた神主に、歳神ミトシは黙って甘酒の入っていた空の紙コップを突き出す。おかわりの要求だ。それに応じてやると、すぐに一口飲んで、ほうと息を吐いた。
「ついでに、今年は兄様から伝言を預かってきたわよ。上のことは気にせず、再生神として、また土地守りとして、精一杯やるように。だってさ」
「おや、キリトキさんにしては優しい言葉ですね。そもそも、あの人が現れるのが珍しい」
「兄様、ここ最近はよく出てくるけど」
私にこの町を任せたのも兄様なの、と胸を張るミトシに、神主はなるほどと頷いた。だからこのなりのわりにはプライドの高い歳神は、今年も役目を引き受けたのだ。兄と慕う神の頼みでなければ、来たとしてももっと文句を言っている。
神たちは、彼らが第一世界と呼ぶところからやってくる。この世界を第三世界と呼び、管理しようとしている。けれども彼らは神と呼ばれるだけの大きな力は持ってはいるが、本質は下に見ている人間たちと何ら変わりがない。
歳神の少女が甘酒を堪能しているように。
けれども力をふるうことができるから、他の世界を見下し、支配できると勘違いしてしまっているところがあった。ミトシが兄と慕うキリトキは、それを憂えている。もうずっと昔から。神主もそうだった。だからこそこの世界に降りてきた。
人間たちからは神主と呼ばれども、その本質は再生を司る神そのもの。大鬼という名を冠しているが、それは人間が名付けたもの。再生神ははるか昔、第三世界と呼ばれる数多の世界の一つであるこの世界の、この星の、この国の、この町にやってきた。第一世界に嫌気がさしていた分、第三世界への憧れが強かった。
ちょうどここに自らの対となる破壊神の指が落ち、人となって暮らしていたことが、再生神の背中を押した。この地が破壊神の無意識によって荒れているところを、助けたいと思って降り立ち、そのまま居ついた。それから先は人間とともに暮らしてきたのだ。人間たちの魂の理を、少しばかり歪ませながら。
それからいくつもの新年を迎え、そして今年がやってきた。人間たちが建ててくれた神社は初詣の人々で賑わい、平和な光景をつくりだしている。
世界はけっして平和とはいえない。いつ見放されてもおかしくはない。それでもこの場所だけは守りたいと、神主は思う。
「相変わらずものすごい執着ね。いや、愛着っていうのかしら。……でも、そうね。消えていくのを黙って見ているよりかは、この力を使って干渉して平穏を守るほうが、幾分マシなのかも。わたしも前に、こんな世界は滅びたほうがいいんじゃないかなんて思ったことがあったけど、そう捨てたものじゃないってことを教わったし」
ミトシは伸びをして、空になった紙コップをゴミ袋をかけたダンボール箱に放り投げた。
「ごちそうさま。今年もいい年にしましょうね」
「ええ、頑張ります。私には相変わらず、再生させることしかできませんけれど」
「その再生もほどほどにね。……それじゃ、また来年」
今年の歳神の来訪も、無事に終わった。あとは主に土地守りの働きにかかっている。
「さて、今年もなんとかやっていきましょうか」
鈴の音、柏手、話す声。これらが続いていくように。



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