2017年08月20日

夏祭鬼異譚

鬼は暑さを人間ほどに感じない。けれどもこの薄暗い部屋は、きっとひやりと涼しいのだろうなと思う。
長く人間と一緒に暮らしてきたから、その空気は五感で味わうように伝わるのだ。
『葵さん、こんにちは。今年も夏祭りがやってきたね』
町に響き渡る囃子の笛や太鼓の音色を、美和は楽しく、そして葵は鬱陶しく感じる。うきうきした美和を気だるげに睨み、葵は『そうね』と短く返した。

美和と葵は、若い娘の姿をした鬼である。頭には二本の角、瞳は赤い。この礼陣の町に、彼女らは人間とともに暮らすもう一種類の「ひと」だ。しかしその性質は異なっている。
美和は町を守る鬼。力の及ぶ範囲、この町の中で、人々を慈しみ手を差し伸べる。
葵は町を呪う鬼。力の及ぶ範囲、この町の中の全てを、憎んで恨んでときには命を奪う。
そんなふたりが一緒にいるのは、ほかならぬ美和の酔狂であり、葵の気まぐれであった。封じられている部屋から動けない葵のもとを、美和は足繁く訪れている。
今日、この礼陣の最大の行事、夏祭りの日にでさえ。

夏祭り初日の午前、神輿行列は礼陣神社から始まるが、そこに地区ごとの子供神輿が合流する。小学生までの子供たちが担ぐ小さなものと、それより少しだけ大きな中学生の神輿。高校生以上になると大人たちに混じって、神社の大神輿に加わっている。
神輿行列は神社での祭囃子に見送られて、町中をまわる。そのあいだ、担ぎ手たちは神輿唄を朗々と唄うのだ。
――やまさとに、すみしありたる、れいのたみ。とわにわすれじ、おおおにのおん。
『私、あの唄、大嫌いだわ』
この近所、遠川地区の子供たちが唄う声が聞こえてくると、葵は眉を顰めた。美和はその隣で、神社の社務所から失敬してきた缶ジュースを開ける。
『まあねえ、葵さんは好きじゃないよね。だってあの唄、大鬼様への恩を忘れませんって内容だし』
恩なんて感じてないもんね、と缶に口をつける。ドロッとした温く甘い液体が、口の中に広がった。
『葵さんが呪い鬼になった原因に、感謝なんかできないよね』
『美和は唄える? あの腹立たしい唄』
『詞を覚えちゃってるから、唄うことはできるよ。でも大鬼様に手放しで感謝できるかと言われれば、それはまた別問題かな』
あっさりと答える美和に、葵は目を眇める。優しくはなく、馬鹿にしているのでもなく。ただただ彼女は、美和が不思議なのだ。
『相変わらず変な鬼ね。大鬼のおかげで、あんたはここにいるんでしょうに』
『簡単な話だよ、葵さん。世の中には自分を産んだ親に感謝しなくていい子供がたくさんいる。産んでくれたから敬いましょう、感謝しましょう、なんて単純な話が通るなら、虐待だって容認することになっちゃう。そんなのおかしいでしょ』
『あんたは……。まあ、そうね。私も自分の父親は恨んでたし、殺したし』
神輿唄が少しずつ遠ざかる。離れることなく止まないのは、夏の最後まで生き延びていたセミたちの合唱だ。あれらもじきに死んでいく。かつての美和や葵のように。
美和はこの世に生を受けたとき、人間だった。だがその命は数分ももたず、魂だけがこの世に残った。それを紆余曲折を経て鬼の形にしたのは、この町の持つ法則だ。
葵は二十歳を過ぎるまで人間として生きていた。しかしある大雨の日、山で自動車事故を起こして死んだのだ。もともとこの町に強い恨みを持っていた彼女は、この町の持つ法則に従って鬼と成ったが、その性質は災いをもたらす呪い鬼だった。ゆえに、この場所――自分の生家に封じられている。
この町の持つ法則とはすなわち、人間の魂が肉体を失った後に鬼として再びの生を得ること。通常、人間にその姿は見えなくなるが、この町の人々が鬼の存在を認めているために、「在る」ものとして扱われる。ただし、鬼たちが一度死んだ人間であるということは、あまり知られていない。
人間として生きた時間が極端に短い美和などは、この仕組みに甘んじてもかまわないはずだった。だが、呪い鬼が存在すること、鬼となった魂がこの町に縛りつけられて輪廻に入れないことなどを知るにつれ、彼女もまたこの町の法則に疑問を持ち、その大元となっている大鬼に疑念を抱いていた。
大鬼――鬼の元締め、総大将であるそれは、この町で人間の姿をして暮らしている。礼陣神社の神主として、人間たちとも交流している。千年近い昔から、全く変わらぬ若い男の見た目で。人々は神主は大鬼様であると認識している。
この町は、よそから見れば奇妙なのだ。現代、それを隠すように生きてはいるけれど。
『神輿唄、もうあんまり聞こえないね』
『こっちに行列がまわってきたら、また聞こえるでしょう。ああ、鬱陶しい』
『ちょっとの辛抱だよ、葵さん。私は大鬼様に特別感謝してるわけじゃないけど、人間が元気に楽しそうにしてるのは好きだな』
『あんたは呪いを持っていないから』
疑問はあれども、美和は鬼としてこの町を守っている。それはこの町に、守りたいものがあるからだ。大鬼云々は関係なく、美和が大切に思っているものがある。
葵にはそんなものは何一つとしてない。この町を、力さえあれば壊してしまいたいと考えている。だが、それほどまでの力は、ここ数年で少しずつ削られていた。いや、変質しているというべきか。端的に、美和の気にあてられて、浄化されているのだった。町を恨みに思うことは変わっていないが、放っておいてもどうせいつかは滅びるだろうと、むやみに力をふるうことをしなくなった。
酔狂も、気まぐれも、悪くない方向に働いている。この町にも都合が良いが、それよりもふたりの鬼にとって良かった。
『人間が楽しそうにしているのが好きなら、神輿行列を見に行けばいいのに』
『もう何年も見てきたから、たまには見ない年があってもいいかなと思ってね。それにさ』
美和は言葉を切り、視線を泳がせる。その仕草が妙に人間らしく、葵を苛立たせる。
『それに、何よ』
『夏祭りに行けない葵さんを放っておいて、私だけ楽しむわけにはいかないでしょ』
『今までそうしてきたのに、どうして今年だけそうなの。腹が立つ言い訳はやめなさい』
『ああ、やっぱり言い訳だってわかるか』
さすがは葵さんだな、と美和は笑う。その表情にいつもの無駄な明るさがないどころか、沈んでいるように感じ、葵は訝しんだ。
そしてふと気づく。こんなに他人のこと――美和は鬼だが――を推し量ろうとしたことが、生前から数えてもあっただろうか。記憶にない。
『町にいれば、どうしても弟たちに目がいっちゃうから。今年はあんまり、外にいたくないの』
『弟……ああ、あの人間の』
その存在のことは、葵も昔から知っていた。美和は人間として生まれたとき、双子の弟と一緒だった。彼は美和の死後も人間として生き続け、高校を卒業してからしばらく故郷であるこの町を離れたが、昨年の夏に戻ってきた。今は実家の呉服屋を手伝っている。
鬼のくせに実家への思い入れが強い美和は、弟のこともずっと気にかけていた。それなのに、今年は会いたくないのだろうか。では、最近は?
『いつから弟を見ようとしていないの』
『ずっとってわけじゃないんだ。たまには様子を見に行くし、店の手伝いだってする。でもねえ、この時期はちょっと、見てられない』
『どうして』
葵がここまで美和を問い詰めるのも珍しいが、美和から笑顔が消えるのも珍しい。あまりない状況にありながら、ふたりは並んで宙を見る。
『……去年の祭りのあとね、犬が死んだの』
平坦な声で、美和は言う。
『うちで飼ってたわけじゃないよ。でも、弟と幼馴染が、すごく可愛がってた犬。寿命だったってわかってるんだけど、弟も幼馴染も、それ以来いわゆるロスってやつになっちゃって』
『ロス……ああ、喪失感のこと』
『そう。それで、あんなに祭り好きだった二人が落ち込むものだから、なんだかつまらなくなっちゃってさ。私が楽しいと思う夏祭りは、あの二人が笑いながら町を歩いて、みんなに声をかけられてそれに応えて、特設ステージに飛び込んで場を盛り上げるような、そういうものだったから』
今年もそれがなさそうだからね、と目を伏せた美和の横顔を、葵は目の端で見ていた。
人間のことを祭り好きだったと語る美和こそ、この夏祭りが大好きだったくせに。人間と一緒に神輿行列を追いかけ、出店をまわり、花火を見て。葵が人間だった頃より、ずっと楽しんでいたくせに、こんなことで「つまらない」などと思ってしまうのか。
葵は人間だった頃から、礼陣の夏祭りが大嫌いだった。幼かった時分ですら、祭りを楽しいと思ったことはない。祭りの時期は残暑がきつく、体の弱い母がいつも臥せっていたからだ。「葵もお兄ちゃんと一緒にお祭りを見ておいで」と言われても、母の傍を離れたくなくて、行こうとしなかった。
母を置いて友人と祭りに出かけてしまう兄の神経を疑った。笑いながら出店で買ってきたあれこれを母に見せて、溶けかけの氷菓子を食べさせているときだけ、母思いの子供に戻る。そんなずるい兄が嫌いだった。
――葵、お兄ちゃんが買ってきてくれたから、お食べなさい。御仁屋の鈴カステラですって。
そうして母が勧めるから渋々口に含んだ鈴カステラの甘さが、今でもべたついて離れない気がして、葵は唇を噛んだ。
夏祭りは嫌いだ。母と自分を置いて、誰もが何も知らずに笑っている。父と兄は同じ家にいるくせに、何も知らないふりをする。それをよしとするこの町が、心の底から憎かった。
『犬がどうしてそんなに大事にされるの』
黒い鬼の気を纏いながら、葵は呟く。美和は葵に振り向き、それを優しく払うように手をかざした。
『犬……オオカミって名前だったんだけどね。子犬の頃から、弟たちが成長するまで、人間を見守ってくれてたんだ。弟と幼馴染が町を出てからも、家でずっと帰りを待っていてくれたんだよ。大事にされてたのはオオカミじゃなく、周りの人間だったんだ』
そんな犬が死んで、一年経っても悼まれている。互いに愛情とか呼ばれるそういうものを持っていたのだろう。犬の気持ちなど知らないが。
葵の母は、死んですぐに「鬼」という代替品を用意されたというのに。この町で「親を亡くした子供は鬼が守ってくれるようになる」といわれるそのままに、周囲の人間はこぞって母の位置に鬼を、当たり前のように座らせようとした。それが許せなかった。葵が、この町を呪うようになったきっかけだ。
だから鬼は嫌いだ。鬼を崇拝するこの町の人間も嫌いだ。もちろんそこに含まれていた、父と兄も嫌いだった。
『そんなに大事にされてたのに、どうして犬は鬼に成らないのかしら』
皮肉を込めて言った葵に、美和は苦笑する。
『犬は人間ほど、鬼に頼っていないからじゃないかな。この町の人間は、鬼に何でも頼りすぎだよね。きっと犬は、鬼なんか飛び越えて、そのまま自分で神様になっちゃうんだ』
この町の法則なんかに縛られずに。――葵も人間でなければ、大事にされたのだろうか。この町から自由になれたのだろうか。
再び神輿唄がこちらに近づいてきた。大神輿を担ぐ大人たちの声だから、子供のものよりよほど重く響く。この町の、鬼を強く信じている人々のものだ。眉を顰めた葵の肩を、美和が抱いた。
『……何よ』
『何もわからずにただ唄ってる人もたくさんいる。もしかしたら、そういう人が今はどんどん増えてるのかもしれない。あんな唄、無視しちゃえ』
自分も町の人に親しまれている、特に子供の人気が高く名の知られている鬼のくせに、美和は言う。変な鬼だ、と葵は目を細め、美和の手から逃れた。
無視しちゃえ。――あの唄は、葵には関係がないのだから。大鬼の恩などしらない。恨みすらも鬼のかたちにしてこの町に留めおく、あれこそが真の呪い鬼なのではないか。人間たちはそんなことを知らないで、ただ受け継がれている詞を唄っているのだ。
『愚かなこと』
『大抵の人間はそんなものだよ。伝統を重んじるってのは、意外と難しいんだ、きっと。時代は流れるものだし』
流れても残るこの町の大鬼信仰は何なのだ、と葵は思う。疑う者がいないというのは、不気味なことなのだと、どうしてわからない。
また、神輿唄が遠ざかる。

待っててね、と美和が出て行ったかと思うと、かき氷を持って戻ってきた。ただの氷の山のように見えたけれど、曰く、透明なシロップがかかっているらしい。
『結局出店に行ったんじゃないの』
『かき氷だけは食べたかったんだよ。弟が買ってくれたんであって、出店には行ってない』
『弟に会ってるし』
『顔を見ただけが、会ったって言うかな。もう向こうは私の姿が見えないから、会ったことにはならないんじゃない?』
けれどもかき氷は、美和のために用意されたものだ。ストローでできたスプーンで氷の山を崩し、口に運ぶ。
『ねえ葵さん、知ってる? かき氷のシロップってね、色だけが違うんだよ。味は同じなの』
『食べたことないんだから知らないわよ』
『じゃあ今食べてみよう。あーん』
『やめてよ、子供じゃないんだから』
嫌がる葵に、美和は子供のように笑う。見た目は子供ではないけれど、二十近く年の離れた葵からすれば子供みたいなものだ。
『みんな、私のことは美和鬼様って呼んで、葵さんのことは呪い鬼だっていうけど。私たち、同じなのにね。そんなに大鬼様には恩を感じてない鬼。ちょっと強い力を持つ、この町の鬼』
美和だって、呪いを持てば葵のように町全体を災いに陥れられるような、強力な呪い鬼に成る可能性がある。それは大鬼からも言われていることだ。だから呪いはもたないようにと。
でも呪いは、ちょっとしたことで生じる。この町の鬼が不安に囚われ人を恨めば、簡単に呪い鬼になってしまう。元に戻す方法はあるが、少々手荒い。
夏祭りの時期は、呪い鬼は減るという。人間たちの「恩」とやらで守られるらしい。
けれどもそれをもとから感じないのなら、仕方がない。葵は生前から恩を持てなかった。だからいつまでも呪い鬼のまま、この場所に封じられている。
『忘れられちゃえばいいのにね、大鬼の恩なんか』
『……別に、勝手にすればいいわ』
あんまり鬼を否定すると呪いを溜めるわよ、と言った葵に、美和は笑顔を返した。葵さんは優しいね、と言ってくれるのは、母以外には美和だけである。
遠くからは祭囃子、近くには風鈴の音。明日の夜には花火が響く。今年も礼陣の夏が過ぎていく。賑やかに、しかしひっそりと。



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2017年04月02日

鬼の娘の帰宅

僕には娘がいたことがない。息子だって、実の息子ではなく、正確には甥だ。
女の子がうちにまったく出入りしなかったわけではない。なにしろうちは剣道場で、子供たちを集めて稽古をしている。その中には女の子だっているのだ。
それに昔は、――そう、だいぶ昔のことになってしまったけれど、僕には妹がいた。気は強く、けれども人嫌いで、この町も出られるようになったら出て行ってしまった妹。彼女はもう、生きてはいない。
そういうわけでこの家に女の子が住むことは長らくなかったのだが、このたび、新たに入居することとなった。
「本日よりお世話になります。よろしくお願いいたします」
育ちが良いことは、彼女を見ても、彼女の父――唯一の家族だった――を見ていてもわかる。大切にされてきた娘さんを、はたして僕が預かっても良いものか。
いや、もう議論はし尽くした。彼女の父親が家を手放してこの国を離れ、彼女がこの町に残ると決めた以上、住む場所は必ず必要だ。そしてそれは、妹が生きていればこの家だったかもしれないのだ。
園邑千花。彼女には僕と同じ血が流れている。彼女は、僕の姪である。

事情は少々複雑だ。そして多分、普通ではない。
僕が育てた甥、いや息子は、もとはといえば妹の子だ。僕の知らない人との間にできた子を、妹が連れ帰って、この家に置いていった。それからは僕の子として育てていた。
その次の年に、妹は事故で命を落とした。だが、その直前に出産していたらしいのだ。生まれたはずの子供がどうなったのか、それから十五年はわからなかった。しかし、本当はすぐ近くにいたのだ。
乳児は同じ町の夫婦の手に渡り、育てられていた。育ての母は早くに亡くなったそうで、父が一人で彼女の成長を見守り続けてきた。彼にとって、突然に授かった子は、大切な宝だった。
まさか僕の息子として育った海と、よその娘として育った千花さんが、高校で出会い恋愛関係になるなんて、誰も予想できなかったことだった。
海と千花さんは自分たちが本当は兄妹であるということを知ってもなお、付き合い続けることを選んだ。そしてあろうことか、大学を卒業し、父とも離れなければならなくなった千花さんを、僕のところに住まわせるという提案をしてきたのだ。
もちろん話し合いは、家族ぐるみで慎重に進めた。本人たちの意志が固く、改めるつもりなど全くないということがわかってしまってからは、僕も園邑さんも何も言葉を返すことができなかった。
元はと言えば、彼らが兄妹であることを知ってからも隠し続けた、僕らに非があった。子供たちは十分に悩み苦しんで、乗り越えようとしたのだ。
僕らはその責任をとらなければならなかった。これがそれにあたるかは、まだわからないけれど。

「千花さんにはこちらの部屋を使っていただきます。客間ですが、今日からはここがあなたの部屋ですから、自由にしてください」
この家は広い。空いていた部屋に彼女を通すと、「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、持参した荷物を広げ始めた。そして、ふと手を止める。
「先に運んでいただいた荷物は、どちらに?」
「ああ、まだ部屋に入れていなかったんです。先に入れておくべきでしたね」
「いいえ、あまりお手を煩わせてもいけませんから。どうせ本や洋服ばかりなので、とくに急ぐこともありません」
にっこりと笑う彼女は、妹に――葵に似ているような気もするし、そうでもないようにも思う。なにしろ葵が笑ったのを見たのは、子供の頃以来だ。まだ僕らの母親が生きていた頃。それは随分と遠い日で、僕の記憶にはほとんど残っていなかった。
千花さんはすでに二十二歳。今年で二十三歳になる。幼い葵の面影を重ねられないのも、当然のことだった。ただ、海によれば、声は似ているのだという。
海は葵を知っている。葵は人間としては死んでしまったけれど、鬼になってこの世に留まっているのだ。強くこの家と町を呪う、呪い鬼として。普段、彼女はこの家に封じられている。海は葵と関わることのできる鬼の子だが、彼女のことを憎んでいた。
それでも千花さんを選んだのだ。彼女を愛しいと思って。ずっとそばに置くつもりで。
「はじめ先生、どうかしましたか? まだ、私を住まわせること、迷ってます?」
我に返ると、千花さんが僕の顔を覗き込んでいた。僕は驚きを表さないようにして、首を横に振る。
「いいえ、なんでもありません。それより、先に食事にしましょう。手伝っていただけますか」
「もちろんです。私がお役に立てるかどうかはわかりませんが……」
料理は苦手で、と言う彼女に、大丈夫ですよ、と笑う。なんとか笑ったつもりだ。
千花さんは葵には似ていないかもしれない。けれども、母には似ているような気がした。

海はまだ学生だ。今年が最後の年になる。だから千花さんと二人の生活は、これから一年だけ。
そのあいだに慣れておかなくてはならない。僕も、彼女も。
道場をやっていることもあって、この家の生活は少々変わっている。それを千花さんに教え、僕も千花さんのことを知らなければならない。なにしろ今まで暮らしてきた環境が大きく違うので、生活の齟齬は必ず生じるだろう。
そう思っていたのだが、千花さんはすでに海からこの家のことをよく聞いているようで、家の前や道場の掃除のことも、多くの人が出入りする都合も、こちらが思っていた以上に把握していた。
「海さんのお部屋は掃除しておかなくて大丈夫なんでしょうか」
「したほうがいいけど、たまにでいいですよ。本人が触られたくないものもあるかもしれないので」
「触られたくないものって何でしょう? 興味あります」
そして僕に対しても、あまり遠慮がなかった。戸惑っているのは僕ばかりのようだ。
女の子にどう接していいかわからないので、千花さんが来る直前は須藤家に通い詰めて相談をしたりもしたものだけれど、そういえばそのたびに、春さんに叱られたっけ。
――はじめ先生、千花ちゃんなら大丈夫です。そんなに心配しすぎたら、千花ちゃんが過ごしにくいですよ。決めたのならしっかりしてください。
そう言う春さんは、すでに自宅に同居人を入れるための準備を進めていた。須藤さんの家も、春さんの結婚を機に環境が変わるのだ。早すぎるような気もするのだけれど、結婚。
「はじめ先生」
「はい、なんですか」
「先ほどから、度々遠い目をされるので。やっぱり、私が来るのはご迷惑だったのでは」
千花さんが申し訳なさそうに僕を見る。いけないいけない、春さんの言う通り、しっかりしなければ。僕が彼女と二人で暮らすのは、海が帰ってくるまでだ。それまで気を確かにして、落ち着いて対応していれば、きっと僕も慣れるはず。
「迷惑ではないですよ。葵が今も生きていれば、千花さんはここで育ったかもしれないんですから」
「葵さんが……。そうですね、葵さんは私を手放すためにこの家に向かう途中で事故に遭ったのでは、と言われているのでしたね」
いけない、話題を間違えた。僕が別の言葉を探していると、千花さんは何故かちょっと笑った。笑う要素なんて、どこにあっただろう。
「あ、すみません。実は以前、私も葵さんに会おうとしたことがあったんです。まだ葵さんが私を産んだ人だと知らない頃ですが」
知らなかった。それに、彼女は葵に会えるのだろうか。おそるおそる、僕はもう一度口を開く。
「……千花さんは、まだ鬼が見えるんですか。海のように」
「いいえ、私は高校生の頃にはほとんど見えなくなっていました。春ちゃんと同じです。たぶん、葵さんのことも見えないと思います」
親を亡くした子を、この町では「鬼の子」と呼ぶ。鬼が親代わりとなって、子供の前に姿を現すからだ。僕と葵もそうだった。小学生の頃に母を亡くし、しばらくは鬼が見えていた。
ただ、僕は高校生になる頃にはあまり鬼を見ることはできなくなり、葵は鬼を見続けていた。鬼を嫌っていた葵のほうが、鬼の子としての力は強かったのだ。その力はどうやら海に受け継がれたようで、海は二十四歳になろうとしている今でも、礼陣に帰れば鬼を見る。
千花さんは葵よりも僕寄りだったのかもしれない。ごく一般的な、年齢を重ねれば自然と鬼を見ることがなくなる鬼の子。兄妹だと力が偏るのだろうか。
「見えないとわかっていて、どうして会おうと?」
「海さんのお母さんだから、ですかね。あの人は頑なに認めようとしなかったけれど、血が繋がっているのはたしかです。私は、両親と血縁にありませんから。勝手に羨ましがっていたのかもしれません」
たとえそれが呪い鬼でも、千花さんにとって葵は海の母に違いなかった。けれども、海はそう思ってはいなかったから。
「会おうとして封印の部屋に行こうとしたら、怒られてしまいました。危ないからって」
「そうですね。……今の葵は、普通の人間が近づいても危険です。そうしてしまったのは、僕ですが」
葵の呪いは僕らが彼女の味方をしなかったから生じたものだ。彼女の悲しみを理解しようとしなかったからああなってしまったのだ。最初から葵についててやったなら……とは、何度も思ったことだった。
「はじめ先生のせいじゃない……なんて無責任なこと、私には言えません。でも、あんまり自分を責めていはいけないと思いますよ。だって、葵さんがこの町を恨むことがなければ、海さんや私はいなかったかもしれないんですから」
もう考えても仕方ないことです、と千花さんははっきり言った。僕よりも、海よりも、毅然とした態度。これは育て親のおかげだろう。
「千花さんは、葵を母親だと認めてるんですか?」
「産みの親であることはきっと事実なんだろうなと思っています。でも、私が母と呼ぶのは、私を育てると決めた人だけです。葵さんは、葵さんです」
そしてこういうところは、少し海に似ているな、と思う。

千花さんと二人の夕食は、静かなものになるだろうと思っていた。けれども千花さんがあれこれと話してくれたおかげで、寂しくはなかった。話題の引き出しが多いのは、ラジオに関わっている人間だからだろう。常に話すことを考えているのだ、この子は。
「千花さんはお父さんとも、こうしてお喋りを楽しみながら食事を?」
「それができればよかったんですけど。父は仕事が忙しくて、あまり一緒に食事をすることがなかったんです。ご飯はもっぱらお隣の、葛木さんのお家でいただいていました。お喋りが多いのも、葛木さん一家のおかげです」
そういえばそうだった。しかし、僕の失言を千花さんは気にせず、笑顔で応じてくれるのだった。そしてまた楽しい話を始める。海も、彼女との会話は楽しいだろう。
なにしろ僕も海も、あまり話すのは得意ではない。葵もそうだった。……いや、葵はきっと、言いたいことがあっても言えなかったのだろう。話す相手がいなかったのだ。
千花さんなら、葵と話せただろうか。まだ、彼女に葵が見えたなら。
「……千花さん。良かったら、葵の部屋の前でも、何か話してやってくれませんか。僕らにはできなかったことを、君なら……」
ずるいことだとわかっている。僕がこれまで逃げてきたことを、来たばかりの彼女に押し付けようとしている。それでも千花さんは、嫌な顔一つしなかった。
「お話しても、いいんですか? 葵さんと?」
「ええ、ぜひ。部屋の中は危ないので、外から話しかけることになりますが」
「もうあんまり危なくないって、春ちゃんからは聞いてますよ。呪いは弱くなっているって」
そうらしい。けれども、僕にはそれがわからないから、正しい判断ができない。それに葵は、まだ僕を恨んでいるはずなのだ。
「……ねえ、はじめ先生。一年かけて、一緒にやりませんか」
「一緒に?」
「葵さんの呪いを弱めるんです。一緒にお話するんです。お兄さんのあなたが、諦めちゃだめですよ。それじゃあ、葵さんが生きてた頃の繰り返しになってしまいます」
千花さんが微笑む。この子は、どこまで知っているんだろう。きっと春さんや海が、話せることは全て話したのだ。そうして千花さんは、進道の家に入ることを決めたのだ。
「この町には鬼がいる。……人が不慮の死によって鬼と成り、第二の人生を生きる。やり直しがきくんです、それを利用しないでどうするんですか」
可愛らしく儚い、花のような外見で、なんてしたたかな子だ。
彼女は確かに礼陣の子だった。
「だから、一緒にお話しましょうね。一年かけて、ゆっくりと」
彼女の存在で、進道の家は変わる。臆病だった僕らを、彼女が支えてくれる。
僕は彼女を支えられるよう、この家の長として、立っていなければならない。海が帰ってくるまで。

進道家に、この家の血を引く女性が帰ってきた。



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2017年03月04日

赤青メゾネットシェア

 築十年、一棟三戸のメゾネット。リノベーション済みで内装もきれい。一階にリビング、キッチン、風呂とトイレがあり、二階に洋室が二つ。これで家賃五万円に共益費が月二千円。水道代が定額。通信費は不動産屋での契約時にサービスで割安に。先立つものが少なく済むのはありがたいし、このあたりの相場からいってもこれはたぶんお得。近くに学校があるから、学生向けのシェア可能な物件として出しているのかもしれない。
 しかし、実際に住んでいるのはそんな時代なんぞ終えてしまった人間だったりする。すまない、学生諸君……。
「こきひ。こきひってば。何寝ぼけてんの、今日出勤じゃなかったっけ」
「……しゅっきん? はなちゃん、今何時?」
「七時半」
 うぇあ。土曜日だからアラーム鳴らなかったんだ。いつもなら休みだものね、土曜日。跳ね起きたわたしの奇声も慣れたもので、はなちゃんは開けたカーテンをタッセルでくるりとまとめている。飾りのビーズが、朝日を反射して輝いた。
「はなちゃん、起こしてくれてありがとう! はなちゃんいなかったら遅刻だったよ!」
「いいから、朝ご飯食べな。もう下に用意してある」
「何から何までありがとう!」
 どたどたと階段を駆け下りても、階下の人に怒られることはないというのがメゾネットのいいところだ。もしかしたら隣の人には迷惑をかけているかもしれないけれど、苦情は今のところはない。
 リビングに用意してあったトーストにミニオムレツをのせ、ケチャップをかけて頬張る。オムレツはチーズ入りで嬉しい。食べながら、ハンガーにかかっているブラウスにアイロンがかけてあることを確認する。昨日の夜、きちんと準備したはずなのに、目覚ましのアラームだけを忘れたらしい。二度寝の癖があるわたしは、アラームをかけていても時々寝坊するのだけれど。
「帰りに玉子と台所用洗剤買ってきてくれる?」
「オーケー! でも一応メッセージ送っといて!」
「スマホ忘れないようにね」
 ベッドの上に置きっぱなしだったスマホは、いつのまにかテーブルに移動していた。はなちゃんが持ってきてくれたのだ。支度を超高速で終わらせ、スマホを引っ掴んでポケットへ。
慌ただしい朝でも、玄関での儀式は忘れない。
「いってきます、はなちゃん」
 見送りに出てくれた彼女に抱きつかないと、わたしの気力はフルチャージできない。呆れたような「いってらっしゃい」がないと、職場までダッシュする気にならない。
 まあつまり、わたしとはなちゃんは、少なくともわたしは、はなちゃんにラブラブなのである。すまない、真面目な学生諸君。

 わたし、南瀬深緋と同居人の北杜縹が知り合ったのは、就職活動中のことだった。とある企業の書類選考を突破した先の一次面接日、それがわたしたちの運命の日だ。
 まったく通過できる気配のない散々な面接を終えたわたしは、会社のロビーで転んで鞄の中身をぶちまけた。周りの人にも笑われて、人生最悪の日だと泣きそうになったそのとき、助けてくれたのがはなちゃんだった。黙って素早くわたしのノートやらペンケースやらを拾い、差し出してくれた姿はさながらリクルートスーツの女神だった。彼女を追いかけて社屋を出たわたしは、すぐにアタックを仕掛けたのである。――お礼がしたいので、もし時間があったらお茶でもしませんか。
 今思い出しても恥ずかしいほどの勢いを、はなちゃんは「次の面接まで少し時間があるから」と受け止めてくれた。そうして近くにあった喫茶店に入り、自己紹介と、連絡先の交換をしたのであった。これからも一緒に就職活動頑張りましょう、とそう言ってその日は別れた。でも、わたしはそれ以降、はなちゃんのことで頭がいっぱいだった。就職活動の進捗状況報告にかこつけて、毎日メッセージを送るくらいには。
「北杜さん」が「縹ちゃん」になり、ついに「はなちゃん」と自然に呼べるようになった頃、わたしたちにそれぞれ内定が出た。結局、出会ったところは二人とも不採用で、それぞれ別の企業、別の業種に就くことになったのだが、それからがミラクル。なんとわたしたちを採用した会社は、同じ町にあったのである。社屋の距離もそう遠くはなかった。そもそも同じ圏内で就職活動をしていたのだから、そういうこともあり得るのだろうけれど、わたしにとってはこの上ない幸運で、口実だった。
「はなちゃん、春から一緒に暮らそうよ。同じ部屋借りて、二人暮らししよう」
 さすがにこのメッセージを送るときは緊張した。スマホの画面に指先を近づけたり離したりして、やっとのことで送信アイコンをタップした。けれどもそんなわたしの気持ちなどつゆ知らず、はなちゃんの返事はあっさりしたものだった。
「それいいね。家賃折半できたらありがたい」
 当時、わたしは実家暮らし、はなちゃんはひとり暮らしをしていた。どちらも会社には少し遠く、これを機に引っ越した方がいいかもね、なんて話は出ていたのだ。ルームシェア可能な物件を探し、二人で待ち合わせて内見に行き、惚れ込んだのが現在の住居。二人の意見が一致して、めでたく同居することになった。
 それからわたしとはなちゃんのラブラブ生活が幕を開けたわけだけれど。まさかわたしが就活中から片思いしていたなんて、はなちゃんは思うまい。


 休日出勤のこきひの代わりに、家事の一切をやるのが、今日の私の仕事だ。買い物だけは頼んでしまったけれど、やはり忘れそうなのでメッセージも送っておく。彼女は出会いからそそっかしい。床に鞄の中身を散らかして、真っ青な顔をして座り込んでいたのを見たときから、放っておけなかった。その時点では、まだ友達になるとも考えていなかったのに、いつのまにか一緒に暮らしている。わからないものだ。
 メッセージを送信して思い出すのは、一緒に暮らそうと、こきひに誘われたときのことだ。何度も連絡を取り合って、お祈りメールが届けば慰め合い、内定が出ると喜び合った。その延長線上に、寝食を共にする未来があろうとは。
 引っ越してきた当日。私が部屋の鍵を受け取り、家電を先に運び入れ、あらかじめ決めておいた部屋に自分の荷物を置き始めてから、こきひはようやく現れた。引っ越し業者の忙しいシーズンで、こきひの荷物は翌日にまわされていた。「布団もないんだよね」と困ったように笑うこきひと、その日の晩は一つの布団で寝た。騒々しいわりに、寝相は良かった。
 思えば引っ越してくる前、こきひと直接会ったのは初対面のときと部屋の内見のときの二回きりだった。どちらのときも感情の起伏が激しかったし、メッセージも絵文字顔文字スタンプのオンパレードだったので、とても賑やかな子だと思い込んでいた。それが一緒に暮らし始めて、何か違うな、と感じた。
 一度何かにのめり込むと、こきひはとんでもなく静かになる。まるでそこにいないみたいに気配を潜める。仕事が始まるまでの数日、家事を分担してやっていたときのこきひは真剣そのもので、黙っていたと思ったら掃除や料理が済んでいた、ということが続いた。
「意外と静かだね」
 そう指摘したら、手をばたばたさせたり目をきょろきょろさせたり、途端に存在感を発揮し始めた。
「あー、えっと、実はわたし、あんまり喋るの得意じゃなくて。はなちゃんと顔合わせてて、変なこと口走ると困るから、おとなしくしようって思ってたんだけど」
「そんなに変なこと考えてるんだ?」
「あんまりつっこまないでー……」
 画面上の会話とは、また違った可愛さ。会わない間は今時の女の子だと思っていたけれど、会ってみるとまるで妹のようで。それも甘えたな末っ子だ。かといって私がなんでもかんでも世話をする必要はなく、互いに立ち入りすぎなければ楽しい生活ができるだろうと思っていた。
 実際、こきひとの暮らしにはあまり不満はない。スキンシップ過多ではあるけれど、すっかり慣れてしまった。私もそれを面白がっているところがある。
「こきひ、ちゃんとお金持ってるかな」
 独り言を呟いて、「余裕があったらお酒もお願い」とメッセージを追加すると、まもなくして了解を表すスタンプが返ってきた。尻尾をぶんぶんと振る犬のイラストに、こきひらしさを見た。


 はなちゃんとの宅飲みは控えめ。わたしと二人で、缶チューハイ二本で済む。引っ越してきてから初めて一緒にお酒を飲んだ日、お互いあまり飲めなかったのだ。わたしは胸がいっぱいで入らなかっただけなのだけれど。本当はもっと飲めるのに、その後もはなちゃんに合わせるようにしていたら、自然と飲酒量は減った。
 限定品を見つけてかごに入れ、頼まれたものを再度確認。玉子と洗剤も忘れていない。ミッションを終えたら、はなちゃんに会える。毎日それが楽しみで、仕事を乗り越えているのだ。
「ただいまー」
「おかえりー」
 家に帰ってきたときにただいまを言える相手がいるのが嬉しい。それに夕飯の匂い。はなちゃんが作る料理は、簡単なものから手の込んだものまで全部美味しい。全世界に自慢したくなるけれど、はなちゃんをとられてしまうのが嫌だから、本人以外の誰にも言っていない。
「お疲れ。買い物ありがとう」
「どういたしまして。お酒もあるよ」
「うん、ゆっくり晩御飯にしようか。ドラマの録画でも見ながら」
 はなちゃんと過ごす時間が好きだ。ご飯を食べながらお酒を飲み、ドラマを観て笑うはなちゃんが好きだ。はなちゃんと暮らせて良かった。一日の終わりには、必ずそう思う。
 わたしが好きでいることを許してくれるはなちゃん。たぶん、妹を可愛がる感覚なんだろう。触れるのを嫌がらないのは、はなちゃんが「そういう扱い」に慣れているからだ。でも、大きく見て愛だと思っていいよね。勝手に思っちゃう。だからわたしとはなちゃんはラブラブなのだ。
 できれば長く、この生活が続きますように。そう願ってやまない、わたしの毎日。はなちゃんはどう思っているんだろう、ってときどき考えるけれど、怖くなってすぐやめる。
 わたしはまだまだ、この幸せな日々に浸っていたいのだ。



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posted by 外都ユウマ at 14:54| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

終の話

「馬子にも衣裳とはよく言ったもんだな」と笑われるか、「似合ってるよ、綺麗だ」と微笑みつきで言われるか、どちらが耐えられないだろう。それぞれの性格をよく知っていれば、「そりゃどうも」とかわせるのだが。
「私、吉崎君にそんなこと言われたらショックで帰る。かといって綺麗だとか言ってくれる人でもないけど」
伸ばした髪を巻きながら、紗智が言う。その隣ですでに巻いた髪をさらに盛っている結衣香が、明るく笑った。
「さっちゃんには綺麗って言うんじゃない? そこまで言えなくても、似合うとは言ってくれると思うな。だってこんなに可愛いんだし」
ねえ? と投げかけた言葉を、やつこがキャッチして大きく頷く。こちらはちょうど支度が終わり、友人二人を待っているところだ。
橙色も鮮やかな晴れ着は、父が生前に娘に着せたいと願っていたものだそうだ。母が着ていたものを、丁寧に手入れして、受け継いだ。やつこが小学生になる前に亡くなった父だが、十五年後を見通す千里眼でも持っていたのか、晴れ着はまるでやつこのためにあつらえられたもののようだった。
「さっちゃんもゆいちゃんも綺麗だから、雄人も透君も感動するんじゃない? 二人の顔を見るのが楽しみだなあ」
「やっこちゃんもだよ。綺麗なんだから、今日は飲みすぎて人に絡みすぎないようにね」
「警察官が騒ぎ起こしちゃ世話ないし」
「くれぐれも気をつけます。……あ、ゆいちゃん、飛鳥兄ちゃんに写メ送らなくていいの? わたし撮るよ。さっちゃんもお姉さんに送るんだよね」
「完成してからお願いするね。どうせお兄ちゃん、あとで見るし」
「私もできてから」
先輩たちも通ってきた、礼陣の町の成人式。町に元子供たちが大人になって帰ってくる日だ。

「お、やっこじゃん。まさに馬子にも衣裳だな、とても心道館最強の称号を持つ女とは思えない」
雄人が予想通りの第一声を発してくれたので、やつこは予定通りに「そりゃどうも」という台詞と肘鉄をくらわせる。呻く雄人を紗智が心配そうに見て、結衣香は大笑いしていた。
「お前な、人の新品のスーツに何してくれるんだよ」
「そっちこそ何てこというのよ。お父さんが絶対に似合うって予言した晴れ着なんだからね」
「だから晴れ着は立派だって。宮川と志野原はその点、ガワと中身が伴ってて完璧だな。さすが北市女の大和撫子」
褒めているのだろうが、紗智は微妙な笑顔を浮かべていた。それはそうだろう、雄人は真っ先にやつこを見つけて、コメントをしたのだ。紗智と結衣香はいっしょくた。小学生の時から想い続けて、どうしてこんなに届かないものか。
もう嫉妬でやつこを逆恨みするほど子供でもないけれど、今でも悔しいものは悔しい。
「吉崎君は相変わらずだね。いつまでたっても子供っぽいんだから。それより鹿川君は? まだ来てないの?」
ちょっと呆れながら結衣香が尋ねると、それがさあ、と溜息交じりの声が返ってくる。
「待ち合わせの時間、間違って送ってて。十分後の予定だから、あと五分くらいで来るんじゃねえ?」
「バカじゃないの、雄人。何が連絡は抜かりないぜ任せとけ、よ。やっぱりグループでメッセージ流しとけばよかった」
剣道の試合になると人が変わったように真剣になる雄人だが、それはつまり普段は頼りないということだ。いや、紗智や後輩たちに慕われているから、全く頼りがいがないわけではないだろう。だが少なくとも、やつこにとっては残念な同級生なのだった。
「来ないわけじゃないんだからいいだろ。そんなに言うならやっこがもっと透と連絡とってれば。あいつ、オレと話してるときもやっこのことばっかり気にしてんだぞ」
「わたしは仕事が忙しいの。このご時世、お巡りさんが勤務時間中にスマホばっかり見てたら、すぐに問題にされちゃうんだから。この町の人ならまだしも、よその人に見つかったら大変だよ」
仕事を楯にごまかしたが、気にされているのが問題なのだ。結衣香と紗智の視線も刺さり、やつこは人混みへと目を逸らす。
待っている姿はまだ見えない。どこかで迷っているのかもしれない。彼は雄人と違ってしっかりものだが、混雑した場所は苦手なのだ。この田舎の生まれではなく、いくらか都会の隣町からやってきたというのに。
「本当に十分だけ間違えたの? もっと間違えてるんじゃないでしょうね」
「十分だけだって。だからさ、やっこはここで待っててやれよ」
「はあ?」
訝しんで振り向くと、にやにやする雄人と、合点がいったというように顔を見合わせて頷く結衣香と紗智。待ち合わせ時間を遅らせたのはわざとか、ということに思い至ったときには、三人はやつこを残して公民館へ向かっていた。
「ちょっと、それはないんじゃないの……ゆいちゃんとさっちゃんまで……」
裏切られた、とまでは思わない。たぶんこれは、雄人が透に気を遣ったのだろう。やつこの気持ちは棚か天井裏にでも放り投げて。こっちにはこっちの事情があるということを、わかっていないはずはないと思うのだが。
「まいったなあ……」
透と会いたくないわけではない。むしろ友人としてなら会いたい。直接連絡するのを避けていたのは、透に自分のことを自然に諦めてほしかったからだ。避けた時点でそれは不可能だということに、もっと早く気づいていればよかった。

そう待たずに、透はやつこだけが残る待ち合わせ場所にやってきた。「久しぶり」と挨拶を交わしてから、周りをきょろきょろと見回す。どうやらこの状態は、雄人単独での企みらしい。
「みんなはもう中に。たぶん席取っといてくれてると思う」
「もしかして待たせすぎた? やっぱりもっと早く出てくるべきだったかな」
「雄人が言った時間通りなら、問題ないんじゃない。わたしたちも早く行こう」
一刻も早く、二人きりの状況から脱したかった。何でもないように振る舞えたら、それこそ試合のときのような凪いだ心を保てたらいいのに、透を目の前にするとどうしても意識してしまう。
これが恋なんて可愛いもので済めばいいのだけれど、そうもいかないから困っている。詰めてくる距離を早足であけて、このまま遠ざかってくれればと願う。周りが思うより、事態は深刻なのだ。
「待てよ、やっこ」
「寒いからあんまり待てないよ。それにさあ、帯だけじゃなくて、内側にタオルとかいっぱい入れてるから重いんだよね。頭もこれでもかってくらい盛られたし」
「大変だな。でも、その恰好ってことは嫌じゃないんだろ。やっこなら、本当に嫌なことはしない」
背中を追いかけてくる言葉が刺さる。嫌なことはしたくない。それはやつこに残った我儘な部分で、大人になりきれていないところなのかもしれない。年齢を重ねて、この町に住む鬼たちが見えなくなって、それでもまだ自分が大人だとは思えない。
「……たしかに、嫌ではないよ。お父さんに見せたかった姿だもの」
「よく似合ってる。綺麗で、でもいつもの元気なやっこらしくて、遠くからでもすぐわかった」
「ありがと」
顔を見ずにした返事は、聞こえたかどうかわからない。予想通りの言葉に、予定通りの対応を。上手にできていただろうか。
「やっこ、全然こっち見ないな」
少し寂しそうな声は、聞こえなかったことにした。振り返れば絆される。その先には、きっと悲しい未来が待っている。
やつこは父を亡くした幼い日のことを、今でも鮮明に憶えている。「根代の家は男殺し」と言われるその通りになった、あの日のことを。

先に入っていった三人と合流してからは、昔と変わらない振る舞いができたと思う。透ともやっとまともに顔を合わせられた。いつも通りのやつこでいれば、友人たちも安心するだろう。
同級生との再会、先輩たちからのお祝いメッセージと、ちょうどよく忙しくなったことも良かった。成人式といえど、実際その日を迎えた自分たちは、まるで子供に戻ったようだ。
「雄人、海にいから来てるよ。あんまりはしゃぎすぎないように、だって」
「心道館にいた全員に送ってんのかな」
「志野原さん、着信ずっと鳴ってるけど」
「お兄ちゃんよ。心配性なんだから」
「ゆいちゃんのお兄さん、ぶれないよね」
いったいいつから大人になるのか、今日の様子を見ているとわからなくなる。先輩たちもそう言っていたことを、ふと思い出した。
「やっこちゃん。わたし、一回帰るね。お兄ちゃんがうるさいから」
「うん。あとでまた」
結衣香が式が終わってそう経たないうちに離れる。
「私も親戚のところに行かなきゃならないって。夜にまたね」
「さっちゃんもか。じゃああとでね」
紗智も行ってしまう。それなら自分も一度家に戻ろうか、と思ったとき、名前を呼ばれた。
「やっこ、もう行くのか?」
「ゆいちゃんとさっちゃんが帰ったからね。透君はせっかく帰省してるんだから、もうちょっとみんなとお喋りしてなよ」
雄人はまだどこかにいるはずだ。やつこのしらない、社台高校の同級生もいるだろう。
けれども透は、困ったように笑って、誘った。
「時間あったら、神社に行かないか。神主さんにも会っていきたい」
断る理由は、一つを除いて特になく、その一つは言葉にするのが躊躇われる。結局、神主に会うなら、ということで了承してしまった。
公民館から、商店街へ向かい、挨拶をしながら東に抜けると、礼陣神社に辿り着く。石段を上がった先の境内に、今日はいくらかの人がいた。大抵は顔見知りで、やつこたちの恰好を見て「もうそんな歳かね」と感心する。
「神主さん、やっこちゃんと鹿川さんとこの子が来てるよ」
参拝客に呼ばれて、神主がひょっこりと顔を出す。いつもの穏やかな笑みでこちらに手を振り、やってくるなりやつこの手を取った。
「やっぱり似てますね、七海さんと七瀬さんに。ムツさんにも」
「はあ……そんなに似てますか」
「透君も立派になって。勉強は進んでいますか?」
「学年相応に順調です」
にこにこと話す神主の向こうで、参拝客らが顔を見合わせている。「鹿川さんの子って、一人息子だったわよね」「一人は大変ねえ」と囁き合う声が、ここまで聞こえた。みんなやつこの家が、どういうところなのか知っている。
表情が歪まないように口の内側を噛む。聞かなかったふりをしようと決めた。
「一人だと何が大変なんですか」
だが、「ふり」は容易く崩される。
「ちょっと、透君。やめなよ」
「ひそひそされるの、昔から嫌いなんだよ。同級生だろうと年上だろうと関係なく」
気まずそうに俯いた人々を、透は構わず睨む。神主は苦笑いをしたが、止めなかった。
「で、何なんですか。大変なことって」
「ごめんなさい、変なこと言ったわね」
「根代さんのところは代々お婿さんとってるから、またそうするのかなって思ったの」
適当な言葉でごまかしているが、どちらにせよ透を指して言うようなことではない。やつこが無理やり笑いながら「そんなんじゃないですよ」と言おうとしたのを、しかし、透は顔色一つ変えずに遮った。
「知ってますよ。やっこがそうしてほしいって言うならそうします」
何がどこにかかるのか、判断するのに少しかかった。そのあいだに、噂をしていた人々は驚いたり感心したりしていて、認識はすっかり「透はやはり根代家に婿に行くのだ」ということになっていた。
「透君、何言ってんの。婿とかあんた関係ないし、わたしの意思は知らんぷりなの?」
慌てて割り込んだやつこに、透はしれっと答える。
「だったらその意思とやら、さっさと聞かせてくれれば良かったんだ」
「勝手にもほどがある! わたしがどれだけ困ったか!」
簡単に恋で片付けば、これほど困りはしなかった。関係を断ちたくはないから、自分からは突き放すことができず。けれども透の気持ちを受け入れれば――やつこだってしがらみがなければその選択ができた――根代家の歴史が繰り返されるかもしれない。
根代の家は男殺し。婿をとる家だが、その婿は長く生きられない。人間を捨てて鬼と成り、家を守るために力を使う。
「そんなに困らなくても、やっこがそうしろって言った通りにするのに」
「それが一番困るんだよ」
「俺は鬼に成るのもいいと思ってる」
「わたしはよくない」
一際冷たい風が肌をひっかいて通り過ぎ、我に返った。いつのまにか境内に他の人間の姿はなく、神主だけが立っている。
「二人とも、ちょっと温まっていきませんか」
いつだって何事もなかったように、彼はここにいる。

社務所でお茶を飲んだら、少し落ち着いた。せっかくの晴れ着をまだ家の「鬼さん」――父に見せていないのに、だいぶ崩れてしまった。正面では透が、神妙に俯いている。
「悪かったよ」
「本当。なんで今日に限って子供みたいな……ううん、この辺の子供より質が悪い」
昔はあんなことにならなかったのに。ほんの二年ほどで、何が変わってしまったのか。
「いつの時代も、根代さんちの痴話喧嘩は大変ですね」
「そういうのじゃないです。……お母さんやおばあちゃんのときは、喧嘩とかあったんですか」
やれやれどっこいしょ、と年寄りみたいなことを言いながら座る神主は、実際この町で一番の年寄りだ。見た目は若い青年のようなのに、長いこと礼陣の町を見てきている。そんな人がクスクス笑って、「ありましたよ」なんて簡単に言う。
「やっこさんは優しいですよ。ムツさんなんか薙刀持ちだして突きつけて、死ぬ覚悟はできてるのかい、でしたから」
「へえ、おばあさんすごい。やっこもそれくらいやればよかったのに」
「現代でそれはない。おばあちゃんの時代でもそうあることじゃない。ていうか、やればよかったのにって、透君ってば他人事みたいに」
やったところであっさり頷くだろう。鬼に成るのもいい、とはそういうことだ。やつこの家のことを知っていて、その上で告白してきたのだ。そういう人には、薙刀など恐れるようなものではないのだろう。
「七瀬さんはその点、平和でしたね。よそに嫁いだ七海さんを気遣って、穏便に済ませたようです。やっこさんのお父さんは鬼について詳細に知ってから七瀬さんに求婚したので、双方納得の上で家を継ぐことになりました。……実際にどうなるかは、そのときになってみないとわからないものですけれど」
「納得したつもりでも、お父さんが死ぬんだから、悲しんで当然です」
あんな思いをまたするくらいなら、大人にならなくていい。鬼の子として暮らし、成長するにつれて鬼が見えなくなってきてからは、その気持ちがより強くなった。人間として町のために何かをしようと決めて、やっと少し、大人になることを受け入れられるようになってきた。
だけど大切な人を喪いたくないという気持ちは、ずっとずっと残っていた。
「もう泣きたくないから、好きな人とかつくらないって思ってたのに。なのにさ、透君に告白されて、ぐらっとしちゃったんだもん。わたしが殺すのはこの人だなって思っちゃったんだ」
「すごい告白の返事をありがとう」
「……返事なのかな、これは」
殺人予告のような言葉を喜んで受けるような人は、他にいないだろう。やつこは苦笑し、それから神主に目配せをした。案の定、言いたいことはちゃんとわかってくれた。
「透君が生き残る方法もありますよ。根代家の家憑き鬼は私との契約で成り立っています。ただ、これは強固な呪いと同じで、私でも解けないものです。そのかわり私の力が及ぶ範囲内でしか効果を発揮しません。もしもあなたがやっこさんを攫って礼陣を出て、そのままこの地に近づかないのであれば、長生きできる可能性もあります」
やつこの母の双子の姉である七海は、礼陣から出て嫁ぐことで、この連鎖から外れている。そういう方法もあったのだ。
しかし透はすぐに首を横に振った。
「やっこの故郷はここで、俺は礼陣神社を何とかするために勉強してるので、よそに行くという選択は今のところないですね」

水無月呉服店で直してもらった着物を、「鬼さん」の部屋の前で披露する。扉の向こうに、この姿は見えているのだろうか。
父は、喜んでくれているだろうか。
「まだ全然大人になれてないし、この先どうなるのか見通せるような目は持ってない。でもね、鬼さん。わたし、諦めるのはやめたんだ。神主さんが解けない呪いを和らげているものがあるなら、うちと神主さんの契約とやらも、解除する方法があるんじゃないかって思う。わたしは、それを急いで探す。だって守られてばっかりは、性に合わないもんね」
反対されても前へ突き進む姿勢を、大人を理由に捨てることもない。忘れかけていた気持ちを、町中を駆けまわっていたあの頃の自分を、取り戻してみよう。



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posted by 外都ユウマ at 18:02| Comment(0) | 創作文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

文章収納しました

サイトギャラリーに12月のお話収納しました。

「鬼の町で縁を結べば」
礼陣群像劇200話目です。
やつことよそから来た子。外部掲載の「えんむすびちゃん」の主人公です。
今年のラストにはちょうどいいかな。

来年の見通し立ってませんが、何かしら書き続けたいです。
posted by 外都ユウマ at 18:22| Comment(0) | 更新履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする